イベント報告

第3回イスラ・インターナショナル・トライアスロン
3rd Isla International Triathlon!!
2006.3.11開催


■第3回イスラ・インターナショナル・トライアスロン参戦記
【Team SAKANO】ダウン症のトライアスリート兼パン職人阪野翔生&顕正パパ

3/10(金)
気持ちよく海沿いを飛ばすバイクピッ、ピッ・・・、ピピピピピ!目覚まし全開!4時だ!翔生、達夫を起こす。早速、朝ごはんだ。メニューは“こんがり卓急便”のサンドウィッチ。翔生が心を込めて作ったサンドウィッチなので美味しい!

雨の中、恵子母さん、治代おばあちゃんに見送られて出発する。次男の東次郎は留守番なので、まだ夢の中。英語好きなので、そのうち通訳としてサポートしてくれることだろう。

忘れ物を気にしながら運転をする。家を出て最初の曲がり角で危うく脱輪しそうになる。危ない、危ない。


早朝と言うことで、交通量も少なくて順調に徳島市内を通過する。ちょうど関西国際空港行きの高速バスに出会う。ついていけば道に迷うことなく関空に行けるのだろうけど、バスと一緒では時間がかかるだろうから、追い越していく。鳴門インターの手前のローソンでおやつと飲み物を買い込む。今回はバイク2台と3人が乗っていることもあり、淡路島の起伏がシエンタ号にはこたえる。燃費もいつもよりだいぶ悪い。

スタート前の緊張の時間午前7時40分、関西国際空港に到着。駐車場からバイク2台、スーツケースを押して、ノースウェストのカウンターに向かう。これがなかなか見つからず、行ったり来たり。NWAと書いてあったのでわからなかった。これまでJALしか使ったことが無かったので、ずいぶん手こずってしまった。

出発まで時間があったので、ベンチで時間をつぶす。達夫は空港の探検をすると言って、一人でウロウロ。出発の時間も迫ってきたので、出国手続きをして8番ゲートへ向かう。満を持して?満席の飛行機に乗り込んだ。



午前9時55分グアムに向けて出発する。飛行機はボーイング757−200OW。定員200名ほどの小さな飛行機である。キャビンアテンダントはアメリカ人?で英語しか話せない。愛想もイマイチ。これまでJALばかり乗っているので、サービス面でも見劣りするなあ。

飲み物サービスの時にビールを頼もうとしたら「¥500です。」とのお言葉。もったいないのでキャンセル。ミクロネシアに行く時はいつもアルコールを飲みまくって、着いたころにはヘロヘロになるのがパターンだったのになあ。
飲み物の後は食事のサービスだ。機内食は美味しくないのが当たり前なのだが、今回はさらに磨きのかかった味だった。仕方ないね。


沖にはココス島が見える午後2時30分グアムに到着。入国審査もスムーズに通過。到着ロビーでツアー会社を探すがなかなか見つからず。ツアー会社のカウンターで問い合わせて、やっと送迎車に乗り込む。宿泊先のPIC(パシフィックアイランドクラブ)へ向かう。
PICへは20分ほどで到着する。時刻は午後4時。入国してからえらく時間がかかってしまった。
ホテルの人にバイクケース、スーツケースを部屋まで運んでもらう。運んでもらったお礼にチップをはずむ?3個の荷物なので$3。チップの習慣の無い日本人にはなんとなくもったいない気がするね。
部屋に入ったらすぐさまバイクを組み立てる。

先頭が顕彰パパ、後ろが翔生くん午後6時からホテルのミーティングルームで選手説明会がある。今回の大会には43名が出場するが、そのうち日本人は12名。こじんまりした大会である。テニアン・ターコイズブルー・トライアスロンと同じくらいの規模である。

説明会より先に食事が始まった。バイキングスタイルの食事に達夫は大喜びである。何回も料理を取りに行く。翔生はいつものごとく、山のように料理を皿に盛り付ける。料理は明日のエネルギーとして、阪野親子の体内に吸収されるのであった。


お腹が膨らんだ頃に大会の説明会が始まった。スイム、バイク、ランの説明が英語と大西さんの日本語で交互にあった。英語にはうとい顕正パパは日本語の説明が必須なのだ。説明の中にスイムでのウェットスーツ禁止のコメントがあった。地元のアスリートはウェットスーツ無しで泳ぐことに慣れているので当然らしいのだが、翔生と顕正パパは、レースの時にウェットスーツ無しで泳いだことが無いのだ。特に翔生が1500mを泳ぎきれるかどうかは非常に不安である。大西さんに相談して、大会事務局にウェットスーツを着る許可を問い合わせてもらうことにした。


3/11(土)
翔生くん、スイムアップ!午前3時、目覚ましに起こされる。朝食の準備をして、翔生と達夫を起こす。ホテルのロビーに4時に集合しなくてはならないので、朝ごはんを無理やり押し込んだ。子供たちと今日のレースの作戦を話し合う。

要するに翔生はウェットスーツ無しの挑戦となるので気合だ〜!泳ぎ切れれば大きな自信になるのは間違いなし。
弟の達夫は初めての海外レース観戦である。サポート部隊として大西さんの車でコースを回らせてもらうことにした。特に重要な任務?は無いのだが、写真を取るのが今回の役目である。

ロビーには既に何人かの日本人の参加者が集まっていた。みんなが集まってきたころを見計らって、バスに乗り込んだ。運転手の後ろの席に3人で座る。午前4時20分、レース会場であるメリッソ村へ出発する。1時間ほどかかるとのことで、子供たちは顕正パパの両脇に座り、寄りかかって到着するまで眠った。それにしてもエアコンが効きすぎ。荷物からバスタオルを取り出し、ひざ掛け代わりにかける。


スイムを終えて、これからバイク。道路が込んでないこともあり、45分ほどでメリッソ村に到着した。会場ではまだ準備ができておらず、トラックで運んできたバイクはバイクラックができるまで、適当に立てかけておいた。選手受付まで1時間以上もある。芝生の上で寝転がるが、肌寒くて寝られない。仕方ないので体を起こして座り込んだ。

その間に大会関係者が会場を設営していく。南の島の大会はいつもこんな感じで、時間がゆっくり流れていくのである。こんなところも南の島でのトライアスロンの魅力なんだろう。



バイクラックが出来上がったのを見計らい、翔生と顕正パパのバイクをラックにセットする。それぞれのレース用の荷物をバイクの横にレイアウトした。翔生のウェットスーツは持ってきたのだが、海がベタ凪状態なので、ウェットスーツ無しでチャレンジすることを決断する。翔生は初挑戦にもかかわらず、特に不安な表情は見られない。少しだけ安心した。

バイク・スタート!6時過ぎに受付が始まった。翔生と受付を済ませ、ゼッケンを右腕と左太ももに書いてもらう。出場者が少ないこともあり、緊張感がない。いい雰囲気だ。

会場に到着したころは真っ暗だった空が白んできた。スイムキャップ、ゴーグルを身に着けて、翔生と海へ入った。アップしている人まだ一人だけ。阪野親子は不安を胸に泳ぎ出す。ウェットスーツを着ない作戦なので、まずは上を向いて浮かぶ練習をすることにした。ウェットスーツを着ていれば、何もしなくても浮かぶのだが、ウェットスーツ無しだと手足を使わないと浮くことが難しい。プールでしか泳ぐ練習をしていないので、なかなかうまくいかない。これからは海で休むことの練習もしないといけないと反省する。


スタート時間が迫ってきた。今回はフローティングスタート(浮いた状態でスタートする)である。と言っても、岸に近いところにいれば、足が立つので翔生にとっても問題無し。ただ、初めてのウェットスーツ無しでのレースに緊張しているのか、水温が低目だからかガタガタと震えているではないか。「泳ぎだしたらいけるけんな。気楽に行こな。」と声をかける。

皆、一応に小指と親指を立てるサインを送ってくる!午前7時、合図とともにスイムスタートする。いつも通りにゆっくりと泳ぎだした。翔生の様子を後ろに見ながら最短コースを目指した。最初の目標はオレンジのブイだ。波は無く、流れもほとんど感じない、泳ぎやすい条件である。翔生はいつもと変わりなく、顕正パパの後ろにぴったりくっついてくる。周囲を見回してみると、何人かの人が見える。どうもスイムは苦手?のようだ。ほとんど同じペースで泳いでいる。海は透明度も高く熱帯魚、サンゴがたくさん見られる。水深がそれほど深くないこともあり、心理的には楽チン。楽しんで行こう!




オレンジのブイまでたどり着く。次は600m地点を示すグリーンのブイを目指す。周りには2人の選手が相変わらず同じペースで泳いでいる。一人は平泳ぎ、もう一人は翔生の真後ろにぴったりくっついてきている。翔生も人を先導するとはずいぶん上達したものである。

ブイを回って、再び第2コーナーのオレンジのブイを目指す。海底にはサンゴの周りを熱帯魚が散歩している。こういうところが南の島のトライアスロンでの最大の魅力だろう。

第2コーナーを回ったところで38分ほど経過。残り200m。最後尾集団の4人がゴールを目指し、ラストスパート!なんてことにはならず、のんびりのんびりスイムを楽しむのであった。そして44分でスイムをフィニッシュする。ぴったり予想したタイムだ。

さて、次はバイクだ。いつもならウェットスーツの下にバイクシャツを着ているので、すばやくトランジットするのだが、今回は濡れた体にシャツを着るので苦労する。「翔生!シャツの裾を引っ張って!」と顕正パパはSOSを発信。靴下、シューズ、サングラス、ヘルメットなどなど。身に着けてコースへ飛び出していく。

スタートしてすぐに最後尾のチャモロ人の選手に追い抜かれる。マウンテンバイクにブロックパターンのタイヤ仕様だ。さすがにマウンテンバイクではスピードは長続きせず、阪野親子が抜き返す。

バイクコースは申し分ない、路面も良好!折り返しまでの海岸線はほとんどフラット。でも、どうも上り坂に見える。少しだけ向かい風のせいなのだろう。24km/hほどで巡航していく。コース横には真っ白は砂浜が広がっている。レースを投げ出し、木陰でのんびりしたい気分になってしまう。そのうちに一つ目の坂に差しかかった。翔生は今でも変速が苦手である。上り坂になると顕正パパが後ろになり変速を指示していく。頂上を越えて一気に風圧が高まってくる。かつて翔生がサイパンの下り坂で大転倒したことは、もう記憶の片隅に追いやられている。そのくらい翔生の技術は向上している。


先を急ぐ。二つ目の上り坂に差しかかった。コース中で一番の難所である。顕正パパが後ろに回り、変速を指示していく。しかし、一瞬タイミングが遅れ、フロント側でチェーンが外れてしまった。立ち止まり、翔生に変速レバーを操作させ、顕正パパがクランクを回す。その瞬間、チェーンがギヤにカチャッと掛かかった。急な登りなので、顕正パパが翔生の背中を押して、再スタートさせてやる。ゼエゼエと息を切らせて進んでいく。頂上までに出会う対向してきた選手は「シャー!」と風を切りながら飛び去っていく。

小さなアップダウンを繰り返す村の中の道やっとのことで足に込めていた力を抜くことができた。コースを左に取り、タロフォフォの滝へ向かう。折り返しまでに道路を横切る線路跡が4箇所あった。幅1mほどのへこんだ部分には鉄道のレールが20cmおきに敷いてある。その上をバイクで一気に通過していく。ガタガタと振動を感じながら通過するたびに胸をなでおろした。「プシュー」なんてタイヤが悲鳴を上げるとチューブ交換という面倒なことになるからね。

折り返しのコーン手前でドリンクの入ったボトルを受け取る。バイクは右側通行だから、受け取るのは右手になる。翔生が右手での受け取りは苦手で、ボトルを取り損ねることが多い。コーンを回って、コースを戻っていく。顕正パパからドリンクを受け取り、水分補給をする。残ったドリンクはボトルごとコース横に投げ捨てた。今回の大会は3回目と言うことで、レースの運営がまだまだ十分とは言えない。でも、それを差し引いてもロケーションの良さでお釣りがくる大会である。

余裕のラン、周りの景色もナイス!帰りは、風が阪野親子の背中を後押ししてくれる。下り坂では50km/hをはるかに超え、海岸沿いの平坦部でも30km/hを維持する。ゴール近くになるとランニングに入った選手とすれ違う。ここで翔生は気が抜けたかのようにペースがガクッと落ちてしまった。顕正パパは前を走りながら、大声で気合を入れる。あと少し、翔生頑張れ!
ゴール手前でおかしな走り方をしている選手に出会った。跳ねるように、はたまた倒れそうに、おかしな走り方である。この選手には後で大変な事態が待ち受けるのであった。

やっとバイクゴールにたどり着いた。翔生は大して疲れているようでもなく、顕正パパもまだまだ元気である。翔生は手袋を脱ぎ、帽子をかぶってコースに飛び出して行った。顕正パパはバイクシューズからランニングシューズに履き替えるので、少しばかり時間が掛かってしまう。毎度のことだが、応援の人から「お父さんより先に走って行っちゃった?」と半分笑いの声が聞こえるのであった。着替えの終わった顕正パパは翔生に追いつくまで全力走行だ。「ゼェゼェ!」やっと追いついた。

地元選手とハイ・タッチで挨拶!さて、今日の翔生の調子はどうだろう?これまでトライアスロンのランではまともに走ったことが無いので、今日は少しだけ期待している。天気は曇り気味で非常に楽だ。ところが翔生の足は動かない。バイクコースは厳しくなかったはず・・・。いつものごとく我慢のランニングに突入となった。ランニングをスタートしてからほんの5分もしないうちに後ろからチャモロの選手にパスされてしまう。巨体をゆすりながらもいいペースで抜き去って行った。これで阪野親子は最後尾となった。

救急車が止まっている。そこには選手が横たわり点滴を打っているではないか。そうです、先ほどおかしな走り方をしていた選手がついに倒れてしまったのだ。極度の脱水症状。警察官の水を飲むようにとのアドバイスを無視して、2〜3回ほど転倒を繰り返しながらレースを続行したことが原因のようである。レース中に水分補給をせずにゴールしようとしたのだろうか?アメリカの軍人とのことだが、所詮人間である。無理は禁物!無理をすると彼のように取り返しのつかないことになりますからね。ちなみに命は取り留めたのですが、障害が残る可能性があるとのこと。元気に復活できることを祈りたい。


南の島のトライスロンといった風情阪野親子は救急車を横目に黙々とゴールを目指す。翔生にはいつもながらの気合を入れるが、相変わらずマイペースである。もうすぐそこにゴールが見えるはずである。「翔生、頑張るぞ〜!」「やった〜!ゴールだ。ゴールラインはどこ?え〜っ!第2折り返しは1km先?そんなぁ。」ということで、第二折り返し地点目指してトボトボ走ることになった。折り返しではボランティアの人が大声援を送ってくれる。レース前半の涼しさはどこへ?日差しがじりじりと肌を焼きにかかる。翔生はじっとその暑さに耐えて、スタートから4時間38分、ゴールにたどり着いた。




あれっ?翔生はゴールラインを通過しても一人走り続けているではないか。「翔生!もうゴールしたんじぇ。止まり!」ゴールテープが無いのでゴールが分からなかったのだ。ゴールでは達夫、大西さん、樋渡さんが出迎えてくれた。大会関係者のみなさんも声をかけてくれる。無事ゴールできたことに顕正パパは胸をなでおろした。



鍛えられた身体、軍人の選手目が覚めると、三時間以上お昼寝をしていた。それでも体が思うように動かない。アワードパーティーが午後6時からなので、仕方なく起きることにする。顕正パパはシャワーを浴びた。やっと生き返った気分?翔生と達夫に声をかける。「さあ、パーティー行こ。お腹いっぱい食べるぞ〜!」

パーティー会場はレストランの奥の部屋だった。表彰式の前に食事をしました。ここでも達夫は大喜び。何回も料理を取りに行った。翔生も負けずに食べまくり。顕正パパはやっとビールにありつくことができたのだった。同じ席には日本からの参加者が集まっている。南の島が大好きそうな方々ばかりである。スクリーンにはプロジェクターでレースの写真を映し出している。そろそろ表彰式の始まりである。

女性部門から表彰していく。いつもサイパンでお世話になるMiekoさんが年代で優勝だ。ついでに女性部門のトップで表彰された。おめでとう!大会は小さいながらも細かく年代別で表彰が行われた。今回は入賞者にメダルが授与される。

さて、男性の部門の表彰だ。翔生は19〜24歳の部門で2位である。45歳〜49歳の部門では顕正パパが3位となった。「ヤッター!ラッキー!」とは言え、両部門の最下位だったのだが出場者が少ないのでみんなが入賞者なのだ。最後に翔生が呼び出され、「Outstanding Athlete Award」として表彰されたのだ。木製の大きく重たいトロフィーをもらった。翔生にとっては良い記念になったようだ。

達夫くん、ヤシの実ジュース初体験!表彰式も終わり、お腹も一杯になったので早々に部屋に引き上げることにした。やることも無いし、昼寝のおかげで眠くなかったので、部屋のテレビで映画を見ることにした。タイトルは「Mr&Mrs Smith」。翔生も達夫も映画が大好きである。ベッドに寝転がって映画鑑賞。顕正パパは帰国の準備で2台のバイクをバラしていく。横目で映画を見ながら、1時間ほどで出来上がり。残りの時間を子供たちと一緒に映画鑑賞する。なかなか面白い映画だった。料金は$14也。まあ、3人で見たので安かったことにしよう。午後10時も回ったことだし、今日はこれでおしまい。おやすみ!



ハードなスケジュールで疲れた遠征だった。今年もトライアスロン参戦がスタートしたが、残りのレースはどうなることやら。顕正パパは4月の宮古島出場に出場します。翔生とは6月の徳之島、7月の秋田、9月の佐渡、11月のロタを検討中です。翔生は少しずつステップアップして、ミドルの完走を目指すことにしている。そして来年当たりはロングに挑戦しようと企んでいるのだ。
追伸
今回のレースでは翔生の頑張りと達夫のサポートで楽しい大会だった。グアムは思っていた以上にすばらしいロケーションであった。今後も機会を作って、もっともっとグアムの良さを体験したいと考えている。皆さんも一度グアム、特にメリッソ村周辺を訪問して、すばらしい景色を楽しんでください。おしまい。


【最後に】
ゴール後の記念写真、翔生、顕彰パパ、達夫くん翔生は“こんがり卓急便”というパン屋で働いています。このパン屋は恵子母さんの「知的障害者が安心して働ける場所を作りたい。」という思いから、今年の1月に開業しました。一番の協力者は、顕正パパが勤めている日亜化学工業鰍ナした。
詳しく説明すると、翔生と藤原さん(養護学校での翔生のクラスメイト)の二人が日亜化学工業株式会社鰍ノ雇用され、そこから“こんがり卓急便”に出向しています。
そして“こんがり卓急便”は日亜化学工業株式会社鰍フ社員食堂でお昼休みにパン販売をさせてもらっています。これらのことは翔生がダウン症というハンディキャップにもかかわらず、トライアスロンにチャレンジすることで自らの道を切り開いたと言えるでしょう。
翔生は一般就労して働くことの大変さも自覚してきました。毎日、腰掛ける暇も無く、一生懸命パン作り、販売に精を出しています。これからはトライアスロンとパン屋を両立させて、人生を謳歌していくことでしょう。

※こんがり卓急便の由来は焼きたてのパンを食卓にできるだけ早く届けたいという思いを込めています。現在、スタッフは恵子母さん、翔生、藤原さん、川上さん、筒井さんの五名。


【KFCから】
KFCの大切にしている一枚ハンディを持ちながらトライアスロンに頑張る翔生くんも立派ですが、翔生くんを励まし、支え続ける顕正パパはもっと立派です。常々思うのですが、顕正パパの深い愛情なくして、今日の翔生くんの成長はなかったと。

右の写真はKFCが大切にしている一枚です。これは、昨年のテニアン大会で、疲れ切った翔生くんの背中を優しく支えながら駆ける顕正パパの姿です。

翔生くんがトライスロンに挑戦を始めた頃のことを思うと、精神的にも、肉体的にも非常に逞しく成長しました。さらに、明るく社交的にもなりました。ジョークも飛ばすし、ツッコミも入れてきます。この度、グアムでこんな会話がありました。

「翔生くん、翔生くんが焼いたパンが余ったら送って来てな。」
「ア・マ・リ・ません!」
「これまた、失礼しました!」





■KFC徒然
どこかモーレア島を彷彿させる風情3月11日(土)にグアム島最南端の村メリッソで第3回イスラインターナショナルトライアスロンが開催されました。

常夏でありながら、今年から天気も安定した、湿気の少ないこの時季の大会となりました。
レース当日は朝、少し肌寒い位で、日の出とともに気温も上がり、雨も降らず、レース日和になりました。

第1回目(タモン湾)、第2回目(アガニャ湾)と開催場所とコースが変わり、試行錯誤の結果、この場所に落ち着きました。そして、今年の第3回目は“3度目の正直”、グアムで一番良いコースになりました。

このコースなら、ロタブルー・トライアスロン大会やターコイズブルー・トライアスロン大会にも引けを取りません。今後もこのコース、この時季に開催することになります。グアムでは、ホテル街から遠く離れていますが、トライアスロンにはここしかありません。
参加者は日本からの12名を含め、グアム在住のアメリカ軍人、ロタやテニアンそしてサイパンのレースでもお馴染みのアスリート達で、総勢50名程となりました。


頼りになるカヤック部隊スイムコースは「ココスインターナショナルクロッシング」のオーシャンスイム大会でも使用する、グアム島の離れ小島、ココス島を望むとても水のきれいな海域です。遠浅のビーチとは違って、ロタ島の東港、テニアン島のタガ・ビーチ、サイパン島のマニャガハ島の海のように、深さも十分にあり、それでいて流れは強くありません。

特にレース当日は、ラッキーなことにべた凪で、まるで鏡のような海、とても泳ぎやすく、選手も口々に「魚もたくさんいてきれいだった。」と言っていました。そのおかげかスイム・リタイアもひとりもいませんでした。



そこからバイク・コースはメリッソ村を通過して、タロフォフォ村まで走ります。ランはメリッソ村内の道路を走ります。この村は、一大観光地グアム島のイメージとは少し違うとても静かな村で、グアム島中心部からずっと離れた南部地域で、ジャングルも多く、程よいアップダウンもあり、スペイン様式の歴史ある建物やチャモロ人のスペイン風の民家も建ち並び、長閑で、グアム島が都会ではなく、南の島だったんだ…ということを思い出させる、KFC一押しのグアム島ベスト・プレイスです。


文句なしのバイクコース、気持ちよさそうここで不思議な感覚を覚えました。レース最中に、度々、南太平洋フレンチ・ポリネシア(タヒチ)のモーレア島にいる感覚に陥り、「あれっ、ここはどこだったっけ?」と自問していました。

理屈ではグアム島メリッソ村にいることは分かっているのだが、頭の奥にある感覚では、モーレア島にいると認識しているのです。そうなのです、我がKFCトライアスロンクラブが初トライアスロン・レースを体験した思い出の場所モーレア島に、このメリッソ村の雰囲気が非常によく似ているのです。そのために、沸き上がってくる錯覚なのです。我々KFCにとっては、ここメリッソ村はKFCの原点であるモーレア島を思い起こさせてくれる特別の場所になりそうです。因みに、モーレア島はあのゴーギャンでも有名な島です。

南太平洋フレンチ・ポリネシアにあるモーレア島での体験がなかったら、このイスラ大会は開催されていなかったでしょうし、さらに、ロタブルー・トライアスロン大会も、ターコイズブルー・トライアスロン大会もなかったことは間違いありません。


バナナを売る少年、即席のバナナ売店メリッソ村にはチャモロ人と結婚した日本人のお母さんがやっている、地元のフルーツの屋台がいつもひとつあり、KFCの御用達フルーツ仕入れ所になっている。しかし、レースの日は“なんだか人がいっぱいいて、売れるかも?!”と思ったのか、即席のフルーツ売店が2つ程出て、ローカル・バナナやココナッツを売っていた。

ピクニック・テーブルを家の前に出して、秤と品物だけを置いて、5、6歳くらいの子供が恥ずかしそうに店番?!というより、遊んでいた。

もう1つは、普段は自分達でバーベキューに使っているであろうバーベキュー・テーブルを置いて、新鮮なローカルバナナやココナッツ等々のフルーツの他にヤング・マンゴやヤング・パパイヤを使った自家製ピクルスも売っていた。楽しそうで、明るいエイドやボランティアもたくさん出でいるが、これらの売店は、エイドとは違うが、のんびりした雰囲気を醸し出していて、これまた良かった。もちろん、フルーツやピクルスはちゃっかり仕入れた。


レースは地元グアム島で若手の最近急成長しているジュード・ベイカーがスイムから1〜2位を争い、結局予想通り優勝した。日本人選手も年代別に入ったりして、健闘した。徳島から参加した、阪野翔生君はこのレースも完走し、これでサイパンのタガマン・タガキッズ、ロタ、テニアン大会の完走で、北マリアナ3島そしてグアム島大会制覇を果たしたことになる。


ライディング・フォームの決まっているジュード選手グアム島はチャモロの島ではあるが、北マリアナ諸島とは違い、アメリカの準州で、北部にはアンダーソン空軍基地、南部にはアプラハーバーに「ビッグ・ネービー」と呼ばれる海軍基地を擁する基地の島でもある。
トライアスロンの大会でも選手はもとより、ボランティアにも軍人が多く、今回は丁度沖縄キャンプシュワブの軍人が一部グアム島へ移転してきたところで、軍人たちがより多く参加していた。

表面上は何の問題もなく、チャモロ人もアメリカ人もどの国の人も仲良くすごしているように見えるが、その実、チャモロ人とアメリカ人は北マリアナでもグアムでもあまり仲が良くない。チャモロ人はアメリカ人(特に白人)が高圧的だったり、支配的だったり、バカにすると言って嫌い、白人はチャモロ人がルーズでだらしない、野蛮人だと言って嫌ったりする。普段はお互いあまり関わらないように生活していて、チャモロ人は白人をバーベキューに呼ばなかったり、美味しい美味しいロブスターをあげなかったりする。

白人も彼らのパーティーにはチャモロ人を呼ばず、会話の中で“あの人はチャモロだから…”と見下すようにする。こんなチャモロ人と白人の関係だけが原因ではないけれど、こんなこともどこかに原因になっているような、とても残念な事故が今回のレースで起きてしまった。


お調子者のマーク・クルズ。良き友人である。トライアスロンの参加選手がひとり脱水により、あわや植物人間という状態にまでなってしまった。彼は26歳の白人男性で、職業はアメリカ海軍の特殊部隊である。

彼はスイム、バイクまで1〜2位を争う順位をキープしていたが、ランで倒れてしまった。エイドで水もスポーツドリンクも摂らず、意識が朦朧として倒れてしまった。
そうなる以前に、何度もチャモロ人ポリスや消防レスキューにレースを止めるように言われたにも拘らず、聞く耳持たずで、彼らの制止を振り切り、止めようとしなかった。「水場に連れて行っても、水を飲まないロバはどうしようない。」という例えがある。


カッコいい女子選手のランその後、点滴を何本も打ち、海軍病院に搬送され、夕方のアワードの時間になっても意識が戻らず、アワードの時点では植物人間になってしまうだろうと報告された。脱水症や熱中症は生命に直結するので、軽く考えてはいけない。

その後、翌朝になり奇跡的に意識は戻ったけれど、レースのことや何があったかも覚えておらず、自分の名前すらも覚えていない。彼は言葉もよくしゃべれないし、事の次第も覚えていないので本当のところはわからないが、彼の両親や上官や同僚の話しだと、“自分は若く海軍の特殊部隊で最高のトレーニングも受けているので、負けるわけない”とか、“民間人の日本人やチャモロ人の選手は水を摂って走っているが、自分は軍人で特別だから、そんなもの摂らなくても勝てる”…そんなことを考えていたのでは…と話していた。

苦しい中にも楽しいレースで、こんな事が起きてしまい、本当に残念だと思います。“まさかこんな事になるとは…”と周りの人も、レースのオーガナイザーも、何より彼自身も想像していなかったことです。

脱水症は本当に怖いです。レースのオーガナイザーであるヱレイン・クオックも、この事故では彼女に過失はなく、周りからもそう言われていましたが、やはり気にしてしまい、アワードの時もずーっと顔が強張り、落ち着かない様子でした。

皆さん、夏のスポーツであるトライアスロンというスポーツは脱水症や熱中症に掛かりやすいスポーツです。しかし、水やスポーツ・ドリンクさえ摂れば、簡単に防ぐことができるます。スポーツは冒険や修行ではありません。無理は禁物ですよ。



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