イベント報告
モンテカルロで乾杯!!
MONACO紀行
■「人生、何が起こるか分からない」

自分の人生の中で、あのモナコに行く機会に恵まれるなんて・・、「人生、何が起こるか分からない」ものである。

1991年にトライアスロンを始める前にラリーという競技に熱中していた。世界ラリー選手権(WRC)の中でもモナ コで開催される冬のモンテカルロ・ラリー(モナコ公国の中心街でカジノがある界隈がモンテカルロ地区という)は峠の頂 上辺りには一部雪道もあり、個人的には一番のお気に入りの大会だった。

現在のラリー界では4WD(4輪駆動)ラリー・カーが主流だが、当時のラリー・カーと言えば、カウンターを当て、 横滑りさせなから操作するFR(後輪駆動)カーが主流で、曲りくねった細い道をドリフト(横滑り)させて走るのが得意? 好きだった。何とか参加できないだろうかと本気で考えた時期もあったが、日本からの参加は資金面で非常に難しい・・・。 そんな訳で、この地名は憧れの場所として、以前からずっと頭の片隅にあったのである。

■憧れのモナコへ

2003年6月10日の昼12:05にエール・フランスで成田を飛び立って約12時間後の現地時間17:20にパリ・シャルル・ ドゴール空港に到着した。飛行ルートは北周りでロシア・ハバロフスク上空からシベリアを抜け、北欧の上空からパリを目指 すというコースである。

ドゴール空港から国内線に乗り換え南仏のニース・コート・ダジュール空港まで南下しなければならない。その所要時間は 約1時間半で、20:05にニース・コート・ダジュール空港に到着した。

ここからモナコまではタクシーで行った。高速道路を利用したので約30分くらいでモナコの宿泊ホテル「FORUN」に 着いた。このタクシーがとにかくスゴイのである。時速180km位でぶっ飛ばすのである。車はベンツで運ちゃんはおばさんと いう組み合わせだ。周りを走る車も皆同じ位のスピードで走っていた。因みに、タクシー料金は約100ユーロであった。

ホテルに着いた時点で夜の9時になっていた。成田からモナコのホテルまで約15時間くらい費やした計算になる。不思議なこ とに夜の9時というのに周りは未だ明るいのである。日本人の感覚からすると夏の夕方5〜6時頃といった感じである。

そして、多少湿気は少ないが、年中通っている南の島のように暑いのである。ちなみに、夜の10時頃になるとやっ と辺りが暗くなる。妙な気分だ。

                           

■モナコは暑い!

翌日は街を観察がてら、散策してみた。皇居の2倍ほどの小さな王国だから、歩いて回っても街のアウトラインは把握できる。

白い石灰質の岩山の斜面に造られた国?というより街で、平地はほとんどなく斜面ばかりである。だから道路は曲りくねった 坂道ばかりだ。炎天下、歩き回ると、その暑さには参る。身体中、汗びっしょりになる。

ヨーロッパでは道路端には駐車してもよいことになっている。モナコの街でも歩道に沿ってたくさんの車が駐車してある。

海岸線にはカジノや高級ホテルや豪華なマンションが立ち並び、超の付く高級車が走り回っている。まるで、映画のワン・ シーンのようである。

海岸線から少し上がった山肌の部分には市民?(国民)の住む一戸建てやアパートがある。そして、この辺りには一抱えも あるような幹の太いオリーブの老木が至る所に生えているのである。

さらに、この街の背後に聳える岩山は標高1500mくらいあり、その曲りくねった山道は「モンテカルロ・ラリー」や 「ツール・ド・フランス」の舞台の一部として使われたこともある。

■モナコ街歩き

また、港には数十億円はすると思われる真っ白い超高級クルザーが数百隻、所狭しと停泊している。この景色は他 では見ることができないだろう。圧巻である。

また、この辺り(コート・ダジュール地方全域)の建物外壁は白かベーシュか淡いピンクいろで統一されている。こ れらは法律で決められているという。背後に聳える岩山の色と似ており、外観の美しさを考えてのことであろう。

建物の裏手を覘いても、道路や公園を見てもゴミは見当たらない。さらに、公園の花壇にも雑草は一本も生えていないので ある。翌日、この理由は役人が早朝からゴミ掃除や草むしりを毎日しているから、ということが分かった。

それなのに、犬の糞は公園や花壇の土のある所にはいっぱい落ちているのである。土が見えないくらいの量である。これに は驚いた。この点は我々日本人には理解できない。

かと言って、日本のようにペットが糞をするのを傍でじっと待っていて、終わったら飼い主がそれを拾うというのも ヘンである。この行為はどう考えても人として間違っている。

■観光立国モナコ

この国の治安に関しては、女性の真夜中の一人歩きも心配がないという。国土が小さいが故、公衆トイレ内など、街の 至る所に防犯カメラが備えられている。もし、犯罪が起これば3分で国境が閉鎖され、犯人の逃げ場はなくなるという。 このようにセキュリティー対策は万全のようだ。

高級リゾート地としての名声を保つためには、犯罪防止に力を入れるのは納得できる。安全は訪れる者にとってはたいへん 重要な要素だ。

 

■一味違うモナコの車事情

また、街中を走っている車がすごい、まるで世界中の車が集まっているような、見本市のような光景である。ポルシェ、フェラ ーリ、ベンツ、ランボルギーニ、ロールス・ロイス、ホンダS2000、MG、アルファ・ロメオ、ジャガー、プジョー、ボルボ、 BMWからジムニー、ヒュンダイまで、何でもござれである。

個人的に一度はハンドルを握ってみたいオモチャのような車「MOKE(モーク)」もあった。この車を初めて見たのは10年 前で、南太平洋フレンチ・ポリネシアのモーレア島だった。島のおじさんにヒッチハイクで乗せてもらったのだが、身体に直に伝わ ってくるエンジンの振動が今も忘れられない。

日本では見たこともないような車が多く、車好きにはたまらない。日本では高級車のポルシャ911カブリオレやフェラーリが 普段の足として使われているのである。それにしてもオープンカー・タイプが多い所である。

例えば、ポルシェ・ボクスターがオープンのまま一日中道端に無造作に放ってあったりする。金持ちのスケールが日本とは少 し違うようだ。ヨーロッパの貴族とかアラブの石油王とか・・だろうな。

■F1グランプリ・モナコ

1週間前に開催された「F1グランプリ・モナコ」大会の余韻が街中に未だ濃く残っていた。レースの片づけが行われている 最中だった。モナコ湾の海上に設置された観客席を分解したり、道端の特設ガードレールを外したり等々である。

このモナコ大会はF1グランプリ・シリーズで唯一公道を使って行われるレースであるから、準備や後片付けが大変そうだっ た。

しかし、このイベントは小国モナコにとっては経済効果は非常に高いものがある。至る所でフェラーリのまっ赤なキャップや T−シャツ、レーシングウェアなどのF1グッヅが売られていた。

今年のモナコ大会では勝てなかったが、真紅のフェラーリに乗るF1王者ラルフ・シューマッハの人気は、ここモナコでも抜群で あった。ちなみに、このF1レースは丘の上に建つモナコ宮殿から見渡せる海岸地域の比較的広い道路だけを使って行われている。

F1開催中、人気ホテルの宿泊料金は1週間で100万円だそうだ。それも、1年前から予約澄みだそうだ。

■海水プール

気候に関しては、6月の時期の地中海地方がこれほど暑いとは思っていなかった。海だと近くにはなく、面倒臭いので、暇を見つ けては公営の屋外50mプールに通った。値段は4.5ユーロ。競技用の飛び込み台を備えているため、片端は水深は10mは裕にある。

それよりも驚いたのは海水プールであったことだ。この施設は港の傍にあるから、海から海水を取り入れて使っているのであ ろう。海水は身体が浮くから楽だ。泳いでいる東洋人は私一人であった。このプールの前面道路はF1のコースになっているので、 TV中継の時には画面の隅っこにこのプールが映し出されている。

■レストラン事情

食べ物に関しては、フランス料理もあるが、イタリア色がより強いように感じた。食文化は歴史や地理的立地条件に影響される もの。周囲をフランスに囲まれている、というよりフランスの中にあるような小国で、80kmほど東にはイタリア国境があること からも、それは納得できる。

どこの店にも多種のワインとピザはある。目前が地中海ということもあり、食材は魚介類の種類が豊富である。魚介のスープが 美味い。

それに、どこの店も前面道路にオープン・テラスを作り、日除けの用に赤や緑のカラフルなパラソルを立て、そこでも食事がで きるようになっている。それが街の景観に溶け込んでいて、とてもよい雰囲気を醸し出している。日本なら道交法によって即刻取 締りの目に会う。日本でもこういう規制緩和をして欲しいものだ。

■コーヒー文化と水文化

コーヒーに関しては、小さな器で飲むエスプレッソが最もポピュラーのようだ。味は濃いが飲み干した後味がうまい。1杯が 2ユーロほどだ。この量では物足りない人は「ダブル」と告げて注文すればよい。そうすれば、倍の量を入れてくれる。

また、ミネラルウォーターの種類は非常に豊富で、スーパーマーケットに行けば、日本では見たこともないようなメーカーの ものがたくさんある。店内の陳列スペース的にはワインと同じ位の広い面積を取っている。おそらく百種類ほどあるのではないか。

ガス入りのものは、日本でよく知られている「ペリエ」だけでなく、それ以外にも見たこともないような種類のものが20種類 以上売られている。

ガス入りの水を飲みたければ、レストランで「ウォーター with ガス」と言って注文すればよい。ガス入りものは個人的に好き なので、可能な限りいろいろな「ウォーター with ガス」ものを試してみた。皆それぞれ違った味で美味かった。それにしても、 こんなものが自然水として地下から採集できるなんて不思議だ。

さらに驚いたのはフレーバー入りのミネラルウォーターである。例えば、レモン風味の「ボルビッ」クとか、アプリコット風味 の「コントレックス」とかである。甘味も添加されており、非常にマズイ、何故こんなものが売れるのだろうか・・・?(後述/ 2007年頃から日本でも「風味」ものが発売れるようになった。)

また、ミント・シロップに水を加えただけの「マンタロウ」という可笑しな響きを持つ名前の飲み物があった。この地方ではポ ピュラーな飲み物のようで、高級レストランでも路上のピザ屋でも日本語的発音で「マンタロウ」と言えば持って来てくれる。爽や かな口当たり、なかなかいける。

■隣町エズのビーチ

モナコという一点だけにすごく富が集中しており、その両隣は人口の小ない寂れた村である。モナコ・モンテカルロ駅からから 電車でニース方面に2駅目、10分くらいの所に「エズ」という名のひなびた田舎村がある。まるで中世の村そのままと言った感 がある。

ここを散策していて偶然人気の少ないビーチを見つけた。それは崖下に隠れるようにしてある「パパヤ・ビーチ」という。

ビーチ沿いにオープンテラスを備えた小さなレストランと脱衣所が一つあるだけである。 目の前に広がっているのは波一つない穏やかな地中海の海、なぜ、地中海には打ち寄せてくる波がないのだろうか。不思議である。 この時期に限ったことなのであろうか。

この鏡のような海を見ると無性に泳ぎたい衝動に駆られる。水着を持っていなかったのが残念。でも、誰一人泳いでいなかった。 皆、寝そべって日光浴ばかりである。この辺りのビーチは砂ではなく、白いピンポン玉のような石ころの浜である。だから、海水に 砂が混じらず水の透明度は悪くはない。

このビーチでノンビリできれば最高に贅沢、気持ちが良よさそう。よい場所を見つけたと密かに嬉しくなった。何となく、 ここにはまた来るような気がした。

また、この辺りにはヌーディスト・ビーチが点在している。それはどんな所にあるかというと、歩いては近づけない場所、すなわ ち、周りを岸壁に囲まれたビーチで、ボートでしか近寄れないようなビーチにある。しかし、電車の窓からだとよく見えるのが可笑 しい

この村を散歩している途中、道端に見上げるほどの大きさの桜の樹を数本見つけた。それには濃い赤色のアメリカン(エズ?) ・チェリーが実っているのである。それが下の地面にたくさん落ちている。拾って喰ってみると「甘い!」。両手山盛り拾って、 食べた。ちょっと得した幸せな気分になった。

■雑多な人種の街ニース

モナコからの帰りにコート・ダジュール地方の大都市ニースに立ち寄った。

ニースの街はモナコと比べると、庶民的な雰囲気で、路上には原宿 のように人がウジャウジャん歩いており、欧米人に混ざりアフリカ系の黒人なども見受けられ、雑多な感じがして生活の匂いが感じら れる街である。超高級リゾート地モナコに行った直後だから、尚更そのように感じるのに違いない。また、NICE(ナイス)とかいて「ニース」と 呼ばせるのがおもしろい。

フランスは昔からアフリカ諸国に多くの植民地を持っていたので、今でもこれらの国々との間で人や物の交流が根強く続いている ことが感じられる。

タクシーの運ちゃんから聞いた話だが、1861年までは、ここニースはイタリア領土だったそうだ。だから、この運ちゃんの祖 父さんはイタリア時代のニースで生まれたのでイタリア人だそうだ。そして、この運ちゃんは同じくニースで生まれたがフランス人で あると話していた。道理でイタリア文化の名残があちこちに残っているのも頷ける。でも、計算すると曾祖父さんでは??

夜の12時頃でも海岸近くの路上にあるオープンテラスのレストランは観光客でごった返している。昼間のニース海岸は大勢の海 水浴客が所狭しと日光浴を楽しんでおり、当然のようにトップレスの女性も多い。夜暗くになっても海岸沿いの歩道は大勢の人が散歩 やら、ジョギング、ローラースケートを楽しんでいる。いかにも地中海コートダジュールの中心都市の海岸と言った感がある。年間を 通してヨーロッパ各地からの観光客がたくさん来ているようだ。

1994年から北マリアナ諸島で年中スポーツ大会をやっているので、ここ10年間ほどロタ、サイパン、テニアン以外へは行っ たことがなかった。行きたくても、時間や、お金が儘ならないのである。この度はラッキーにも仕事を兼ね て訪れることができたのである。いつも感じることだが「人生、何が起こるか分からない」ものである。まさか自分にモナコへ行く 機会が訪れるなんて・・である。

2003/6/20 KFC記