4th Palau Shell Rainbow Challenge
トライアスロンを始めて1カ月、楽しみと不安の入り混じる中この大会に挑みました。 実は僕は、10月にずっと続けてきた野球をやめてトライアスロンを始めました。
最初は25mを泳ぐのが精一杯で「こんなんで大丈夫かな」と思っていました。そんな僕に1から水泳を教えてくれたのが高橋コーチです。 毎日プールでレッスンを受けました。不器用な僕は言われたことを1回でやれなかったりしましたが、 高橋希代子コーチはゆっくり丁寧に教えてくれました。 お陰で少しずつ泳けるようになり、大会と同じ距離の1500mもこなせるようになって少し安心しました。
パラオのレースでは、地元の高校生たちが出るスプリントタイプではなく、敢えて51.5kmタイプに挑戦することにしました。 前日はプールでの練習の成果が海でも出せるか、コースを試泳ぎをしたり、バイク・ランコースの下見に行きました。
レース当日、思ったほど緊張はなく、「よし!行くぞ!」と気合を入れてスタートできました。ちょうど同じくらいの速さの選手がいて、 とてもよいペースメーカとなりました。無事に1500mを泳ぎ切り、バイクへのトランジットも練習してきた通り上手くやれました。
バイクコースに出ると先導車がいなかったのでコースを間違えないかとても不安でした。少し辛くなってきたころに、応援に来てくれた父と 高橋コーチを見つけ復活することができました。そのおかげでバイクをトップで終えることができました。
最後のランはもともと得意種目だったので一気に後続との差を広げるつもりで飛び出しました。折返しでまた父と高橋コーチが応援してくれたので、 後半も気合が入りラストスパートをかけることができました。
結果は逃げ切りの優勝。まさか1位になれるとは思っていなかったのでとても嬉しかったです。初めてのトライアスロンだったため色々不安が ありましたが無事完走できて本当に良かった。翌日の100kmバイクレースにもチャレンジしてパラオ大会を満喫しました。 短期間でここまでやれたのは色々な人の支えがあったからだと思っています。本当にありがとうございました。
初トライアスロン。辛かったところもありましたが精一杯頑張ったので楽しかったです。僕はトライアスロンというスポーツに出会えて よかったと思います。これからもどんどん上を目指して頑張ります。主催者の皆さんのサポート、そしてたくさんの応援ありがとうございました。
12月4日・5日の両日で「第4回パラオ・シェル・レインボー・チャレンジ」を開催した。KFCがコーディネートするアイランド・シリーズの2010年度の 締め括りイベントだ。
パラオでは2日間で3種目のレースを行う。4日(土)の午前中がオリンピックディスタンスのトライアスロン、 午後からがオーシャンスイム(1.5km/3.0km/4.5km)、そして、 翌5日(日)が本島一周の100kmサイクルレースだ。こんなスケジュールだから、日本人選手も現地選手もダブルエントリーを楽しむ人が多い。
南の島と言っても5島を一括りにすることはできない。人種、気候、海の環境、陸の環境、政治スタイル、法律・習慣等々、それぞれの島に特徴があり、 運営スタイルも臨機応変に対応しないと上手くいかない。
パラオはマリアナ[米国領グアムと北マリアナ諸島(米国自治領のロタ、テニアン、サイパンを指す)]と大きく違うのは独立国という点だ。 正式名はパラオ共和国(Republic of Palau)と云う。だから、マリアナ諸島が米国パスポートであるのに対し、パラオは独自のパスポートを発行している。
しかし、独立国と言っても、国家の運営資金(国家財源)のほとんどは米国から援助であり、また、通貨も米ドルを使っている。これでは、事実上、 USテリトリーのマリアナと何ら変わるところはないと思える。ところが、独立国であるが故のメリットをちゃっかり享受している。
独立国である小国パラオは米国、日本、台湾、オーストラリアなどの先進国から資金面や技術面の有形無形の経済援助を得ることができる。そして、 援助に慣れてしまった島とそうでない島とでは、島民の気質も大きく違っている。だから、KFCとしては、このような状況を踏まえた運営をせねばならない。 因みに、 マリアナは親分米国からの多少の援助はあるが、大部分を独力で稼ぐしか生きる道はない。この点は我々日本人と同じ感覚で違和感を感じない。
運営に直接関係する部分で、パラオが独立国と思えるのはオリンピック委員会と在パラオ日本国大使館の存在である。 オリンピック委員会の下部組織にトライアスロン協会やスイム協会があり、我々はそれらと一緒にイベント運営している。
第1回大会の立ち上げ時は どうしようもないくら雑な運営だった。レース後、厳しく「喝」を入れた。それに対し、ふてくされることなく、真摯に改善に取り組んでくれた。 その効果はてきめんで、年々改善され、4年目の今年はマリアナでの イベントに負けないくらいの満足のいく運営だった。
また、日本政府の出先機関である領事館には第1回大会からご協力を頂いている。立ち上げ時の第1回〜2回は中村領事に、昨年の3回大会は高島代理領事に、 そして今年は領事館が大使館に格上げになり、貞岡大使にご協力を頂いた。これはマリアナ諸島にはない心強いバックアップだ。
貞岡大使からは 「パラオと日本の民間レベルの友好関係促進にスポーツイベントを通して、これからも寄与して欲しい。」とお願いされている。
イベントに関して、トライアスロンやオーシャンスイムのコースはマリアナのレースと大きく違うところはないが、パラオ本島一周100kmの サイクルレースは他では真似ができないダイナミックなロケーションを持っている。
これほど素晴らしい自転車の競技コースはマリアナ、のみならず、日本国内にも存在しない。 いや、世界中、探してもないかも知れない。松丸真幸選手や高橋希代子選手など、参加した選手は皆一様に口を揃えて絶賛する。 因みに、パラオ本島(バベルダオブ島)はサイパン島より一回り大きい島だ。この島を存分に使ってのロードレースは贅沢だ。
今年はオーシャンスイムで猛烈なスコールを体験した。スタートしてまもなく泳いでいる選手を強烈なスコールが襲ったのだ。海の中を泳いでいるので、 上から雨が降って来ても、どうってことはないのだが・・。しかし、それが熱帯の猛烈なスコールとなると、スイマーたちを不思議な感覚にさせる。
一瞬で表面の塩水が真水に変わる。口に入っても辛くない。打ちつけられた大粒の雨で、周りの海面に丸い水滴が跳ね上がる。頭をちょっと沈めて、 下から海面を見上げると、打ちつけられた雨粒で海の中に白い気泡が無数にできている。なぜか、日本人は雨の中を泳ぐと言うことをしない。 真夏でも、雨と云うだけで意味もなく恐れる。
しかし、南の島は違う。猛烈なスコールの中を泳ぐことを「シャワースイム」と言って楽しむ。シャワースイムは本当に楽しいので、感覚の殻を破って、 機会があれば、ぜひ体験されては、いかが。
今年は参加者全員にオフィシャルツアーの利用を参加条件にさせてもらった。これはスムーズな運営に効果があった。こうすることで、日本人選手全員 のパラオでの動きが把握でき、突然のスケジュール変更や病院の素早い対応が可能になる。その結果、余分な神経を使わず済み、余裕が生まれ、安全安心な 運営が可能となるからだ。現地スポンサーの反応も非常によかった。
リゾート地でのレースは滞在するホテルも大切な要素だ。大会のメイン会場である「パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)」というホテルは 居心地が抜群。パラオで唯一のスイムが可能なプライベートビーチを持つコテージタイプの最高級リゾート・ホテルだ。
世界のダイバーたち憧れのホテル。 訪れてみれば、その人気の高さが納得できる。南の島に精通したKFCのホテルランキングでも断トツの1位だ。そして、 このビーチをお借りしてトライアスロンのスイムとオーシャンスイムを開催している。当然、オフィシャルツアーはこのホテルに宿泊する。
瓜生英秋さんは2009年に続き2010年も「トライアスロン・アイランド・シリーズ全5戦」を完全制覇された。 アイランド・シリーズとは、3月のサイパン大会に始って、 6月のテニアン大会、7月のグアム大会、11月のロタ大会、そして、12月のパラオ大会のことだ。
そして、今年はパラオ大会の直後からクルーズで世界一周の旅に出かけられるとのこと。だから、2011年のサイパン大会の頃(3月)はクルーズ途中なので 、それには参加はできない。しかし、パラオを発つ前に6月のテニアン大会と7月のグアム大会のエントリーを予約された。
これだけでも驚きだが、もっと驚いたのは、クルーズの船にローラー台などのトレーニング器機を一式持ち込んでトレーニングに励まれるということだ。 瓜生さん曰く、クルーズの期間中(約3カ月間)は海を観る以外にすることがなく、トレーニング集中でき、効果が高いそうだ。 世の中には、すごい人がいるのもである。
パラオ・シェル石油 / パラオ・パシフィック・リゾート
ロック・アイランド・ツアー・カンパニー / 在パラオ日本国大使館