イベント報告
第21回タガマン
21st Tagaman in Saipan
2010年3月20日
■第21回タガマン参戦記 中原恭恵

つい2ヶ月前に降り立った南国の島サイパン。だが、ものの2ヶ月でこんなにも変わるのかと思うほどの暑さを感じた。真夜中に到着する 飛行機で長い入国審査を通過し、ホテルに着くのは明け方であった。生ぬるい感覚の中、眠りに就く。

目覚めると、窓の外は快晴の青空が広がっていた。ブラブラとビーチまで散歩し、海にチャプンとつかる。こうして南国の島滞在のスイッチ が入り、体が目覚める。

前日、説明会&カーボ

夕刻、バイクに乗ってレース会場へ行き、選手登録を済ませた。その後、説明会とカーボパーティが行われた。しかし、なんと説明会の長い こと。英語、日本語、韓国語、3種類の言語で順に説明を行うからただでさえ時間がかかる上に、韓国の参加選手の質問攻めの嵐。一言説明する と質問が出ないことはない。もうとっくにカーボパーティの開始時刻を過ぎているのに、時間など全く気にもしていない。いい加減日本人はあき れて、微笑していた。なんせ不安なのだろう。このレースには賞金がかかっている。韓国からは有力な選手がたくさん来ていたから、ミスしな いように念を押して確認していたのだろうが。

現地の選手は待ちきれず、とっくに料理を食べ始めていた。なんとはなしにパーティは始まり、翌日に備え、ぽつりぽつりと好きな時間に 皆帰って行った。パスタに米、デザートもたくさん並び、料理は美味しかった。

レースの朝

レースの朝は早い。日が昇ると気温は一気に上がる。最終登録を済ませ、暗い中バイクのセッティングを行った。スイムアップのときでも まだ辺りは暗い。いくら水が透き通っているとはいえ、暗闇の海は何も見えず、泳ぐのが怖い。やっと水平線の向こうからうっすらと白明かり が広がり始め、海へと足を入れた。意外と水が冷たく感じた。意を決し、シャブンと泳ぎ始めた。底はまだ見えにくい。他の選手にぶつからぬ よう、ヘッドアップして前を見る。

たった15分の違いで、辺りは明るくなり夜は明けた。いよいよスタートだというのに、スタートラインがはっきりしない。警告の笛を鳴らせ ばよかったものを、スタートのホーンで誘導注意を促したがために、より沖に近くからスタートしようとズルを企んだ上位狙いの選手数人が スタートと勘違いし、フライング。そのまま泳いで行ってしまった。こちらからの制止の声は、彼らには声援に聞こえていたのだろう。誰も止 めることができない。ライフガードのボートが向かい、やっと気づいた。これでスタートが10分は遅れた。ビーチで待つ選手たちは、「良いア ップになったのではないか」と大笑いしながらその光景を見ていた。

スイムスタート

気を取り直して、今度は無事にスタート。遠浅の海に、皆一斉に駆け込んで行く。水がきれいなせいか、恐れていたバトルはそれほどな かった。波もそれほどなく、沖へ出ても立ってしまうほど浅いところもあった。一度、沖に上がり2周回した。

バイクははじめに上りがあった。スイムから脈拍が上がったままでの最初の上りはきつく、足が回らない。ダンシングして上っていく。 それからガラパン地区のメインロードへと入って行った。道の両サイドに店が立ち並び、観光客がもの珍しそうにレースを見ながら歩いている。 サイパンの中心街はいつでもにぎやかで、そんな街中をバイクで駆け抜けるのは名所を走っている感覚で気持ちも盛り上がってきた。

バイク

コースは、ガラパン地区から北上していく。道幅の広い道路に出ると、向かい風との闘いであった。ダラダラと続く微妙な上りがまた足の 回転を妨げる。それから田舎風景のような場所へと入っていった。傾斜のあるこまやかなアップダウンが続いた。まわりの景色を見る余裕が ない。折り返してからはもときた道を戻るので、追い風である。緑に囲まれた広い道路を、スピードを出して風を切るのは気持ち良かった。

バイクを終えてトランジットへ。地元の子どもたちが手際よくトランジットバックの中身を渡してくれたのだが、その手際のよさに驚いた。 ものを身に付けて走るのが好きではないのだが、さすがにこのギラギラ光る太陽を見ると、サングラスをして走ることにした。

ラン

ランは、フラットなコースだったが、最初から最後までかんかん照りの太陽が背中を焼きつけていた。水分補給はあまりしないが、 エイドごとに必ずスポンジで水を頭からかぶり体を冷やさなければ走れなかった。ザブンと水をかけてくれるエイドもあり、気持ち良かった。 暑さに体がバテてしまったのか、バイクを終えた足は蹴ってもなかなか前に出なかった。

フラットなコースはあてもなく長く感じた。折り返しまで来て、あと半分と思い、足を進めた。リレータイプで出ている選手に颯爽と抜か れた。その背中に食いつくようについていこうとするが、だんだん小さくなっていく。まもなく、おそらくハファダイホテルと思われるガラパン 地区の高層ホテルが遠くに見えてきた。あのあたりまで戻っていくのだと目標物ができたことで、きつさが少し軽くなり、次第に近くなってく るホテルをちらちらと見ながらあと少しだと気持ちを奮い立たせた。

アメリカンメモリアルパークの中を抜けると、直線道路の先にフィニッシュのゲートが見えた。たくさんの人に道路の両サイドから 応援され囲まれて、ビキニ姿の美女?が持つゴールテープを切るのはとても華やかなゴールだった。

アワード・パーティ

レースが終わった夜のパーティでは、これまた美味しいごちそうが並び、ミュージシャンの演奏を堪能した。その後、表彰式が行われた。 総合入賞は韓国勢が半分を占め、賞金を手にした選手は、なんともさわやかな笑顔であった。さすが、入賞するだけのアスリートであるオーラ を感じた。

いつもシーズン初めは、レースのきつさに体が慣れていないのか思ったように体が動いてくれない。寒い日本から暑いサイパンでのレースは、 なおさら体が順応してくれなかったようだ。それでも、レース前は気分が盛り上がり、体も動いてくれそうな感じがしていた。まわりの選手や スタッフ、地元の人々もみんな、あたりはまだ真っ暗なのにテンションが高いのだ。そうワクワクさせてくれる、それが日本では有り得ない 南国サイパンのレースの力なのだと感じた。

アフター・レース

今回もKFCの方々にたくさんお世話になったのだが、その中でも印象に残っているのがメキシカン料理のお店での食事である。店内はサイパン のイメージとは一風違う落ち着いた様相で、日本では食べることのできない本格的なメキシカン料理を味わうことができた。どうしても肉中心食 になりがちな海外であるが、ここは野菜や豆をたくさん使った料理で、とてもヘルシーであった。レースの後、弱っている内臓にも優しく、 おいしくいただくことができた。

レースで思うような結果は残せなかったが、サイパンではまた楽しい想い出をたくさん作ることができた。今度はレース結果でお世話に なったKFCの方々に恩返しできればと思う。サイパンを満喫させてくださったことに心から感謝したい。

■KFC徒然

2010年3月20日(土)第21回タガマントライアスロンがサイパン島で行われた。KFCサポートレースの一つなので、主催の時とは違い、 選手とだいたい一緒の日程で、3月18日(木)に成田を出発した。

今年は昨年優勝した松丸真幸選手は参加しない。なぜなら、一昨年末のリーマンショックの影響でポンサーが降りてしまい、今年1月に住友金属 へ就職し、プロトライアスリートからサラリーマントライアスリートに転身してしまったからだ。新人サラリーマンは休暇が取り難いのが常。 松丸選手を見ていると、日本ではトライアスロンで食っていくのは難しい。特に、ロングディスタンスでは不可能に近い。欧米のようにプロが 育つ土壌が日本にないのは残念だ。プロが育たないトライアスロンは日本でメジャー・スポーツになることは有り得ないだろう。

その代わりと言っては語弊があるかも知れないが、KFCの国内大会をよく撮ってもらっているプロカメラマンの小野口健太さんにタガマン のレースシーンを撮ってもらうことにした。なぜなら、近年、タガマンの使える写真がないのと、KFCウェブ上の写真閲覧ソフト「フォト・ エクスチェンジ」のためだ。大会内容を紹介するよい写真がないと次回につながらない。

レース前日

3月19日(金)午前中10時〜12時位まで、コース下見バスに同乗した。バスに乗ると今年は韓国からの参加者が多い。例年のソウルからだけ でなく、仁川や釜山その他、いろいろな地域のそれぞれの“トライアスロンチーム”が来ていた

夕方5時半からパシフィック・アイランド・クラブ(PIC)のビーチバレーコートで説明会が行われた。コースは例年と同じで、PIC沖の海 を三角形に泳ぎ、バイクは北のバードアイランド、グロット、バンザイクリフ方面へ行く。ランはずっと海沿いを走る。

カーボパーティーはビーチバレーコート横に設けられたスイムスタート会場エリアのオープンスペースで行われた。今年も、食べ物も飲み物 も、ブッフェスタイルで、いつものようにとてもおいしい。ただ選手の数は日本人20名程度、現地のトライアスロンの参加者と合わせても少な い。韓国からの選手は50人くらいか・・韓国チームがやたら多く感じる。

元気のないニッポン

サイパンでもトライアスロンをやっていた人達がサイパンを出て行ってしまったり、他のスポーツに興味が移ってしまっているようで、 世代交代が起き、トライアスロンはあまり元気がない。サイパンの景気の悪さも一因だろう。トライアスロンほど景気に左右されるスポーツは ないと感じている。バブル全盛期の 1980年代後半には日本からタガマンに300〜400人の選手が参加したものだ。今となっては夢のようだ。

毎年、タガマンの参加者分布をみるとアジアの景気動向がよく分かる。今年、韓国人参加者が多いのはイ・ミョンバク大統領になってから 韓国経済が確実に上向き、国内の景気がよくなっていることを示している。例えば、原発プラントなど、大統領自らが先頭に立っての海外への 官民一体で売り込み攻勢を仕掛けている。その結果、韓国企業の存在感は世界中で確実に大きくなっている。それに反して、日本はリーマン ショックから立ち直るどころか、鳩山民主党政権になってから経済は沈滞したまま、アジア各国の成長からもおいてけぼりを喰らっているのが 現状だ。日本人選手の少なさがそれを如実に表している。

レース当日

3月20日(土)いよいよレース当日。今年はサイパンに入ってから、天気はまずまずだ。ややスコールはあるが、南の島特有に普通に暑い。

周りが明るくなった午前6時20分にスタートした。タガマンのスイムコースは、PICビーチのリーフ内なので、全般に足がつく深さで、 波もほとんどなく、とってもイージーだ。韓国チームが速い・・・ヨーロッパからのエリート選手と混ざり・・・というか、大勢の韓国選手 に混ざり、ヨーロッパからの選手もスイムを終えた・・という感じだ。

バイクではスイム終了時よりも、韓国勢は少なくなっていったが、“韓国勢vsヨーロッパ勢”の構図のままレースは続き、男子優勝は イギリスからの“サム・ガードナー”が、女子は韓国からのホン選手が優勝した。タガマン大会で韓国選手の優勝は初の出来事だった。

昨年、松丸選手が華々しく優勝を飾っただけに、表彰台に日本人選手がいないのは、実に寂しい。カーボパーティに始まり、レース中、 アワード・パーティーとパワフルすぎる韓国パワーに押されっぱなし。「テーハミンゴ」「チャ・チャンチャ・チャンチャン」「ファイティン」 などの大声援、ワールドカップのアウェーさながらの・・今年のタガマンだった。来年はカムバック、「ニッポン・チャチャチャ」と いきたいものだ。