島情報


北マリアナ諸島(ロタ&テニアン&サイパン
ローカル情報満載ファイル(1〜50)

50、マリアナ諸島の竹の子(タケノコ)
マリアナの竹の子、日本のモノとは形も違う日本に生息しているのと同様な竹はマリアナ諸島にも生育しており、竹林も存在する。不思議なことにサイパン、ロタ、グァムでは見た記憶があるのだか、何故か、テニアンでは見た記憶はない。でも、テニアンにあっても決して不思議ではない。竹が生育しているということは、当然、竹の子もある。

ところが、日本と大きく違うのは、これら南洋の竹の子は煮ても焼いても硬くて、とても食べれる代物ではないということである。それは若い竹の子状態の時から、すでに竹のように硬く繊維がしっかりしているためである。姿形も日本のモノとは違う。流石に、マリアナの竹の子のことを書いてある観光ガイドブックは見たことがない。


49、北マリアナ諸島の健康保険事情
サイパンで一番大きな病院、ビラゴメス病院北マリアナ諸島は米国に自治領であるため、健康保険システムは米国と同じである。米国には、64歳以下の人に対して、日本のように政府主導の健康保険システムはなく、個人が民間保険会社と随意に契約して医療を受けることになっている。

北マリアナ諸島で健康保険を取り扱ってる民間保険会社はパシフィックケア社やステイウエル健康保険会社などがあり、これらの保険会社が認定している病院や医師に掛かれば、その治療費の80%(本人負担20%)が保険会社から支払われる。しかし、それ以外の病院に掛かると70%(本人負担30%)しか出ない。よって、大部分の患者は認定されている病院に行く。

保険会社から認定を取り消されれば、患者はいなくなり、その病院は経営難に陥る結果になる。保険会社が認定を取り消すのは、彼等の利益に反すること、すなわち、高い治療費、長すぎる治療期間等々である。そのため、病院は民間保険会社から認定を取り消されないため、適正な料金で、良質の医療をしようと、医療技術の向上に日々努力している。面白いことに、この健康保険システムのお陰で、民間保険会社が病院や医師の質を高め、医療技術を進歩させる結果になっているのである。

日本の場合は、不当な治療費を請求したり、効率の良くない治療を続けていても、目に見えた不正さえ行わなければ、何ら問題にならないのが現状である。病院経営者の利益保護ためのシステムそのものである。1922年の大昔に制定された日本の健康保険法を廃止し、ボチボチ健康保険を民間に移行する時期に来ているように思える。


48、厄介なトロピカル・ストーム 
ストームを連れてくるササンハヤ湾のイルカ熱帯地方特有の小さな低気圧で、強風に雨が伴う場合と強風だけの場合がある。一般的に2〜3日という短時間で終息する。トロピカル・ストームは台風のように「目」を持っていないので、気象衛星でも察知することができず、いつ発生するのかを予知することが難しいので厄介である。しかし、台風のように家や植物に被害を与えると言うことはなく、日常の生活には何の支障もない。

但し、トライアスロン大会やスイム大会などのように海を使って行うイベントには影響が大きい。2000年の第1回テニアン・トライアスロン大会の時は、大会前日の午後から突然トロピカル・ストームがやって来て、波やうねりが大きくなり、海が荒れてスタート直前にスイムの距離を半分に短縮した。大会前日まで、ずっとよい天気が続いていたのに・・・である。

そして、翌日にはストームは終息して、何事も無かったかのような静かな海に戻ったのである。また、2001年の第8回ロタブルー・トライアスロン大会の時も、前日夕方から突然に強風が発生して、翌朝もその強風の影響で波が荒く、スイムを中止したことがある。この時もその日の夕方にはストームは終息し、海は穏やかになった。トライアスロンやオーシャンスイムのように海を使った水泳競技には、この予測不可能なトロピカル・ストームは大敵である。

ロタではイルカがササンハヤ湾(東港がある湾)に現れたら、ストームが来て、海が荒れると云われている。何故か、この予想は100%的中するのである。イルカは偉い。


47、マリアナ一楽しいイベント!
由緒あるサン・フランシスコ・デ・ボーハ教会マリアナ諸島最大のフィエスタ(お祭り)はロタ島のサン・フランシスコ・デ・ボーハ教会で行われるフィエスタである。時期は毎年10月の第2週(第1周の時もある)土曜日と日曜日。土曜のミサとパレードで始まり、夕方のパーティへと続く。そして、翌日曜日の午前中のミサとランチ・パーティで、このフィエスタの一連の催しは終了する。

このフィエスタはキリスト・カトリック教会のお祭りである。しかし、このフィエスタの目玉は、何と云っても、土曜日夕方と日曜日の昼のパーティ料理の豪華さにある。このパーテイの主催は、ロタ政庁で、カトリック教徒以外でも、誰でもこのパーティに気軽に参加することができる。日本人観光客でOKである。

その料理とは、子豚の丸焼き数頭、ローストされた巨大な牛肉の塊、2m大のカジキマグロ数本、鹿肉、カニ、ロブスター、ソーセージ、焼きそば、ビーフン、スパゲティ、島中の野菜とパパイヤなどのフルーツ、ケーキ、ゼリー、ビール、ソフトドリンク、椰子の実ジュース等々のあらゆる物が大量に出される。これぞ「Rota is Delicios!」の真骨頂である。

この為、グアム、サイパンのみならず、太平洋諸島一帯から大勢の人々がやってくる。そして、この時期は島中のホテルは満室、飛行機は満席、レンタカーは「売り切れ」状態である。しかし、日本の観光ガイドブックには何故かこのフィエスタは掲載されていない。知る人ぞ知る、マリアナで一番楽しい隠れたスーパーイベントなのである。


46、熱帯の不思議な植物、ビローナッツ
半分に割ったビンロージュと葉っぱとサンゴ粉の入れ物ミクロネシアを始めとして太平洋諸島ではビロ−ナッツ(ビンロー、ビンロージュとも呼ぶ)を嗜好品として噛む習慣がある。もちろん、マリアナ諸島もこの習慣はある。ビローナッツとは、椰子の樹によく似た樹に生るドングリを一回り多くしたような実で、その色は緑色をしている。マリアナ諸島では現地語(チャモロ語)で「プグァ」と云う。ちなみに、一番上等なものはヤップ島産のものとされているが、我々には、その違いは分からない。

通常は、スーパーマーケットのレジ横に置いてあり、ビローナッツの袋入り(約10個)と白い粉と緑色の葉っぱとが3点セットで、1ドル50セントくらいで売られている。白い粉はサンゴの粉である。これら3点を一緒に口に入れてバリバリ噛んでいると唾液が真っ赤に染まってくる。この実は結構硬いものである。この真っ赤な唾液は飲み込まず吐き出すのである。この吐き出し方がスマートに水鉄砲のように「ピッュー」できるようになれば一人前である。

マリアナの道路上やスーパーマーケット入口に赤いシミがよく見られるのは、この吐き出された唾液の痕である。この染色力は強烈で、舗装ですら真っ赤に染めてしまうくらいである。そして、そのシミはなかなか消えないときているから厄介である。だから、テニアンーサイパン間のフェリーの中では床にそのシミが付くのを恐れて「ビローナッツ禁止」と張り紙がしてある。これ以外にも、空港内部や一部ホテルの部屋では「ビローナッツ禁止」になっている。ローカルホテルの床ジュ−タンによく見られる赤黒いシミはこれである。この習慣を熟知しているホテルオーナーは、建設の際に、床をジュータンではなく、シミが付かないようにタイル貼りにしている。これは賢明な(というよりマリアナ諸島では当然の)措置である。

日本などの外資系のホテルは、これらの事情を知らず、建設の際、床を豪華に見えるジュータン貼りにしてしまって、後でこのビローナッツの恐ろしさを知ることになるのである。この点を考慮して、ロタ・ホテルの床はビローナッツ対策で最初からタイル貼りにしてある。これは、建設当時にマリアナを熟知した人が係わっていたからである。

また、中にはビローナッツとタバコ(普通の紙巻タバコをほぐしたもの)を一緒に口に放り込み噛む猛者もいる。これは身体に悪いと思うのだが・・・。ビローナッツにはタバコと似た習慣性があり、一度噛みだすとなかなか止められない。常習者は歯や歯茎が常に赤みを帯び、見た目にも不潔に見える。だから、チャモロ人でも教養のあるものはほとんどビローナッツはやらない。その味は苦く決して美味いものではないので、試す必要はない。現在では、チャモロ人社会でも、子供達にはビローナッツはやらせない方向で教育がされている。


45、 タロ芋とヤム芋
人気のロタ産タロ芋、このような袋で売られているタロ芋もヤム芋もマリアナ諸島やミクロネシア諸島でよく栽培されており、日常よく食べられている。昔はこれらの芋が主食であったが、今は米の方がよく食べられている。タロ芋はその形状が日本の里芋とよく似ており、葉もよく似ている。ただ大きさは日本の里芋の2〜3倍はある。皮を剥くと、タロ芋自体は紫色をしており、茹でて食べたり、ココナッツミルクで炊いて食べたりする。その味は日本の里芋とは全く違う。日常の食事やパーティの時にも欠かせないチャモロ人の大切な食材である。

中でも、ロタのタロ芋はマリアナ諸島では一番美味いと評判で、グァム、サイパン、テニアンからもわざわざロタにタロ芋を買いに来るくらいである。ロタではよく道端で袋に入れたものを売っている。約10kgで2j50kである。以前、九州の芋焼酎会社「雲海酒造」がロタでロタのタロイモを材料に芋焼酎を造る工場を建てようとしたことがあったくらいである。

ヤム芋はその形状が日本の大和芋とソックリである。しかし、摩り下ろしてみても、日本の大和芋のような粘り気はでない。その食べ方も味も全く違う。ヤム芋もタロ芋同様茹でたり、ココナッツミルクで炊いたりして食べる。このヤム芋もチャモロ人の食文化には欠かせないもので、タロイモと同様昔からよく食べられている。これらの芋はパーティ会場などでは必ず出されるので、一度味見をされては如何だろうか。最近では、これらの芋を薄くスライスして、ポテトチップとして売っている店もある。


44、珊瑚礁沖に浮かぶ不思議な貨物船
サイパン島沖に浮ぶ米軍の貨物船サイパンのビーチロードから見えるフィリピン海側の珊瑚礁沖合いに、常に停泊している貨物船がある。その数2〜3隻。その船には、北マリアナ諸島における有事や災害等々に対応するための、武器弾薬や島民の食料などの物資が貯蔵されているのである。さながら、海に浮かぶ巨大な倉庫と云ったところか。





43、マリアナ諸島の公務員!
マリアナ諸島の行政のトップである知事公邸の質素な正面玄関マリアナ諸島では皆がなりたい職業のトップは公務員である。さもなくば、観光業に就くことである。公務員の給与水準は高く、安定しており、仕事も比較的楽である。さらに、通算の勤続年数が20年に達していれば、勤務時の給与の70%を死ぬまで貰うことができる。これが皆が公務員なりたがる第一の理由である。また、本人が死亡しても、その子供が成人になるまで受給することが出来る。

但し、マリアナの公務員は労働組合がないので、政権が変わったり、上司が変わったりすれば、それだけで首になることが多い。しかし、それに対して誰も文句は言わない。何故なら、ここではそれが昔から繰り返されている公務員の宿命だからである。日本のように何十年も継続して公務員をやっている人は殆どいない。


42、北マリアナ諸島に海洋温度差発電計画が!
今(2003年8月)、サイパンに海洋温度差発電所建設計画がある。それは深海の冷たい海水と海面付近の暖かい海水との温度差で電力をつくるという南の島サイパンにとって理想的なシステムである。火力発電のように石油を必要としないので、コストの面でも、また、大気汚染という観点からでも理想的なシステムである。

さらに、その電力をつくる工程の中で、暖められた海水は水蒸気を発生するという利点がある。だから、それを集めて真水をつくることが容易にできる。これぞ、一石二鳥のプロジェクトである。北マリアナ諸島にとっては、この副産物の真水は有り難い。現在のこの発電所計画では、1日に約10メガワットの電力と79万リットルの真水を作ることができると云う。しかし、このプロジェクトの完成までには未だ相当の時間が掛かるであろう。


41、ロタ市長の楽しいスピーチ!
愛嬌のあるベンジャミン・ロタ市長のスピーチロタ・メイヤー(市長)、ベンジャミン・マングローブ氏はスピーチ大好き人間である。その内容は至ってシンプルで、トライアスロンのパーティ会場では「ロタ島は良い所、また、来てね。次は友達を連れて来てね。」という内容のスピーチばかりで、皆もう憶えてしまって「あ〜あ、また始まった。」という感じである。

そのスピーチの中で使うお得意のフレーズは昔から「ロタ イズ ビューティフル!」であった。演説の後半には必ずこのフレーズを叫ぶのである。すると、皆が間髪いれず「ワー!」と大声と拍手で応えるのである。これで一気にパーティ会場の場が盛り上がり、メイヤーはテンションが益々上がって、次に、「ロタ イズ フレンドリー!」と叫ぶ、また、皆が間髪いれず「ワー!」と大声と拍手で応えるのである。

メイヤーのおもしろい所は、このフレーズに時の話題を巧みに取り入れることにある。ロタ島テテト・ビーチ沖に沈んでいる中世スペイン船「サンタ・マルガリータ号」から宝物が発見?(噂)された時は、「ネイチャー・トレジャー・アイランド・ロタ」が加わり、2001年のNYテロ直後は「ロタ イズ ピースフル!」が加わった。そして、皆がロタのBBQ(バーベキュー)が美味いと言えば、何と「ロタ イズ デリシャス!」が加わった。何と言っても、これが今までで一番うけた。

今年(2003年)は「ロタ イズ ロマンチック!」が新たに加わったらしいが、まだ、生では聞いていない。ロタの何がロマンチックなんだろう??きっとメイヤー自身が再婚したのがその理由だろう。可愛いメイヤーである。それにしても、ロタ島民がつくるBBQは掛け値なしに美味い。この味はレストランでは味わえない。


40、北マリアナ諸島住民の名前!
左は「アズズ(やしがに)」という名のロタ警察官北マリアナ諸島の人達の名前は米国と同様に姓(ファミリー・ネーム)と名(ファース・トネーム)、それに、ミドル・ネームという日本人には全く馴染みのない部分から成っている。ファミリー・ネームの種類は大きなものだけでも約100種ほどある。すなわち、日本で言う「鈴木」、「田中」等々に当たるものである。

例えば、カマチョ、アタリ、ボーハ、テノリオ、ホコ、カルボ、マングロニャ、ババウタ、カストロ、ムンド、メンディオラ、アズズ、アタリ、ベネベンテ、バルシナス、カブレラ、ゲレロ、セペタ、ディアス、サブラン、サントス、マラチタ、サンニコラス、アパタン等々がこれに当たる。カマチョ、カルボ、カストロ、サントス等のスペイン系の姓はこの島々がスペインに統治されていた時代の名残である。アズズやマングロニャはマリアナ独特の名前で、アズズとは「ヤシガニ」という意味、マングロニャは「風にたなびく」という意味を持っている。そして、ここマリアナではファミリーが大きいほど、すなわち、一族の人数が多ければ、多いほど「力」を持っている。具体的には、選挙の際に、より多くの票が集められる等々である。

ミドルネームとはどういう意味を持っているかというと、母方のファミリーネームのイニシャルを示すのである。例えば、Joseph M. Santosの場合はジョセフのお母さんの実家がMundo家であるためである。また、ファースト・ネームについても面白いルールがある。例えば、ジョセフ(Joseph)はジョー(Joe)と省略した愛称で呼ぶ。同様にエドワードはエド、ロバートはボブ、トーマスはトムとかトミー、イグナシオはアイク、フィリップはフィル、スチュアートはスチュ−、ナネットはノノ、ビクトリアはビッキー、キャサリンはキャス、ジェラルドはジェリー等々の暗黙の愛称ルールがある。これはマリアナだけでなく、米国も同じである。日本人の我々からすれば、本名と愛称が全く結び付かないものもあり、理解しがたい。


39、マリアナ諸島の巨石文化ラッテ・ストーン
テニアンにあるマリアナ諸島最大のタガストーンラッテ・ストーンはマリアナ諸島ではタガ族の王タガに因んでタガ・ストーンと呼ばれることもある。これは直立した石の角柱の上に茶碗型の石が載っているものである。今でもマリアナ諸島に行けば、いろんな所でそのレプリカやイラストを見ることができる。考古学的には紀元前800年頃にマリアナ諸島に現れ、その後、17世紀後半まで作られていた巨石遺構である。

テニアン島のハウス・オブ・タガ遺跡のものは高さ5.5mもあり、現存するものの中では最大のものである。また、ロタ島のアス・ニエベス遺跡ものは掘出す途中で中止されたままになっているが、もし、建てられていたら、6.5mの高さになっていたと考えられている。なぜ、途中で中止されたのか未だに謎である。このラッテ・ストーンが何のために作られたのか長い間謎であったが、近年、グアム大学の倉品教授グループにより完全に解明された。それは家屋の土台石であった。このラッテ・ストーンはシロアリ被害を避けるためや柔構造による地震の揺れを吸収するためのものであった、と考えられている。


38、北マリアナ諸島における開放記念日(リべレーション・デー)
7月4日は米国の「独立記念日/インディペンデンス・デイ」であり、国を挙げて盛大に祝う。そして、この米国独立記念日が北マリアナ諸島では「解放記念日/リべレーション・デー」となっており、米国同様に盛大に祝う。この「解放記念日」は「米国が北マリアナ諸島を日本の統治から解放してくれた日」であると誤解している人が現地人の中にも多いが、実はそうではない。


1944年6月11日に米軍はサイパン島攻略の総攻撃を敢行し、7月7日にサイパン島を守っていた日本軍を壊滅させた。そして、サイパンに住んでいた日本人や現地人のチャモロ人やカロリニアンたちを鉄条網で囲んだ収容所に入れた。なぜ、現地人まで収容所に入れたかと言うと、サイパンは1914年から日本の統治下にあり、日本人とチャモロ人との関係が深かったことがその主な理由である。そして、約1年後の1945年7月1日に米軍は収容所から現地人を解放し、それぞれの住み慣れた場所に戻ることを許した。

この解放を記念するのが「解放記念日」であって、たまたま、それが米国独立記念日と近いことから、北マリアナ諸島では7月4日を「解放記念日」としているのである。最近の若いチャモロ人たちはこれらの歴史的経緯を殆ど知らない。

37、サイパンにFBI?
意外に思われるでしょうが、あの平和なサイパン島に米国連邦警察(FBI)の北マリアナ諸島支局があります。その理由は、北マリアナ諸島の警察機構は知事及び市長の管轄下にあるため、警察機関が政治(家)絡みの巨悪を取り締まったり、逮捕したりすることは困難なのです。

すなわち、日本と違って、警察署長の人事権は知事や市長が持っているため、警察官が彼らを取り締まったり、逮捕したりすることはできないのです。そこで、米国が政治の腐敗を牽制する目的で、10年ほど前から北マリアナ諸島政府とは独立した立場のFBI支局を設置したのです。ちなみに、CIA支局はありません。


36、マリアナ諸島の子供の躾け
可愛いチャモロの子供マリアナ諸島では、年上(年長者)の人を敬うという習慣が根付いている。だから、年長者の言うことは素直に聞くし、素直に従う。自分の親兄弟だけでなく、他人の場合でも、それは同様である。子供達は、両親が彼らの父母、兄、姉だけでなく、例え他人でも、年長者の言うことには耳を貸し、敬って接しているのを傍で見ている。だから、子供たちは自然と年長者を敬うようになるのである。一族(ファミリー)の中では一番の年長者が最も偉いのである。そして、年長者を中心にファミリー(一般的なファミリーは100名前後)の絆は非常に強い。

このようにチャモロ人(マリアナ諸島の島民)社会は年功序列の上下関係がしっかりと出来上がっている。だから、日本であったような少年による「親父狩り」のような事件は起こりえない。もし、子供達が社会の規則を破ったら、親を始め、兄弟たちは非常に厳しく叱る。もちろん、体罰も加える。

現在の日本はいつの間にか躾のための体罰を暴力と履き違えてしまっている。子供達は尊敬する大人たちから叱られることが堪らなく嫌なのでる。だから、マリアナ諸島の子供達は大人たちから認められる良い子になろうと努力している。


35、サイパン国際空港の歴史

サイパン国際空港から飛び立つジャンボ機サイパン国際空港の敷地は元々(戦前は)鞄洋開発のサトウキビ畑で、そこに日本海軍が1934年に粗末な飛行場を造った。これが、サイパン国際空港の元である。その当時、この飛行場はアスリート飛行場と呼ばれていた。それはここの地名がアスリートという地域だったからである。そして、太平洋戦争末期の1944年アメリカ軍がサイパンに上陸して、日本軍を制圧し、ここを日本本土爆撃の前線基地にしたのである。その際、米軍が大型爆撃機B−29用に滑走路を拡張した。

そして、戦後この拡張された滑走路は使われなくなり、一時期ジャングル化していたが、ジャンボ旅客機時代が到来し、1975年にサイパン国際空港として復活して現在に至っているのである。その名残として、空港前の芝生広場では戦時中の古い建物や防空壕等々を未だに見ることができる。


34、神の親
日本では親といえば自分を産んでくれた血の繋がった父母のことである。しかし、マリアナ地域にでは、これとは別に名前を付けてくれた名付けの親とがいる。この名付けの親のことを「神の親」と呼んで、非常に敬っている。ポジション的には、産みの親と同等か、もしくはそれ以上かもしれない。幾つになっても、自分の「神の親」に出会うと膝まづいて、「神の親」の手の甲に軽くキスをするという習慣がある。パーティ会場などの地元の人が大勢の人の集まる所では、この光景はよく見られる。この風習は彼らが信仰するカトリック教の教えからから来ているものらしい。ちなみに、マリアナ諸島の殆どの人たちはカトリック教徒である。

33、北マリアナ諸島という名称の由来
北マリアナ諸島のオフィシャル・シール北マリアナ諸島(Northern Mariana Islands)に対して南マリアナ諸島という名称はない。マリアナ諸島というのはグァム島から北へロタ島、山羊島、テニアン島、サイパン島、ファラリョン・デ・メディニア島から最北端ウラカス島までの一連島々のことであり、全部で14島ある。そして、その中でもサイパン島より北にある10島を北部諸島(Northern Islands)と呼ぶ。

このマリアナ諸島の中でグァム島だけが米領で、他の13島は米国の主権下における自治領(コモンウェルス)であり、米領ではない。そこで、米領グァムとそれ以外の島々を区別して、グァム島より北にある島々を北マリアナ諸島と呼ぶようになったのである。地理的ではなく政治的な観点から付けられた名称なのである。


32、北マリアナ諸島の預金通帳
きたない癖字で書かれた手書き通帳、読めない!サイパンには銀行がハワイアン銀行、サイパン銀行、グアム銀行、ハワイアン・ファースト銀行の4行がある。昨年まであった香港上海銀行(HSBC)は今年初め撤退した。日本経済が一向によくならないので、その経済圏にあるサイパンに見切りをつけたのでろう。

ロタとテニアンにはグアム銀行が各々1行づつある。これら北マリアナの銀行と日本の銀行との大きく違う点は預金通帳への記帳が機械印字ではなく手書きある、という点である。

窓口で入出金をすれば、窓口の担当者がボールペンでその金額と現残高を目の前で手書きしてくれる。もちろん、利息も手書きある。これには驚く。日本では、どこの銀行でも預金通帳の金額は見やすいゴシック体で機械印字されており、個性的な手書きなどは考えられないことである。しかし、日本では常識のことであってもマリアナでは・・、いや、世界共通ではないのである。

もっと驚くのは、ATMでキャシュ・カードを用いて出金した場合は、自分でその金額と差し引き残高を自分の通帳にボールペン、または、鉛筆で書き込むのである。我々日本人の感覚では「勝手に、こんなことしてもいいの?」と思ってしまう。しかし、ここではそれでよいのである。

また、利息が良いからと言って、一般の観光客が北マリアナ諸島の銀行で口座を開設して通帳を持つことはできない。何故なら、口座を開設するためには、銀行の窓口で米国政府発行のソーシャル・セキュリティ番号(社会保障番号カード)を提示しなくてはならない。こんな物を持っている日本人は先ずいない。

さらに、ハワイ系の銀行では現地労働ビザ or 現地運転免許証の提示も必要となってくる。日本で発行された国際免許証では現地運転免許証の代用はできない。ちなみに、現地で運転免許証を取得するためには米国ソーシャル・セキュリティ番号と現地労働ビザの提示は必要である。


31、北マリアナ諸島へのエアライン!
サイパン空港に到着したJAL機2003年5月現在、日本からはJAL(JO)便、ノースウエスト(NW)便、コンチネンタル(CO)便の3社が毎日直行便という形でサイパン国際空港に運行している。時間的には、成田発のコンチ便は夜の8時頃に出発するので、サイパンには夜中0時過ぎに到着する。しかし、それ以外の便は午前出発の午後到着である。所要時間は約3時間と短い。エコノミー症候群の心配はない。時差は1時間現地の方が進んでいる。成田発の場合、JALとCOは第二ターミナル、NWは第一ターミナルである。

JAL便に関しては、機内食は冷蔵庫から取り出したようなパンの硬くなった冷たいサンドイッチ系のもので、美味くない。あの不味いマック恋しくなる。しかし、日本の新聞等のサービスは充実している。また、機長が日本語で航行状況を丁寧に説明してくれるのもよい。機内乗務員のサービスもきめ細かくよい。(後記:JALは2007年現在は運行していない)

ノース便は、機内食は温かい食事がでるので、JALより遥かに美味い。米国籍のエアラインということで、機内には英語が氾濫しているが、居心地が悪い訳ではない。

コンチの成田発サイパン直行便は2ヶ月ほど前から運行が始まったので、未だ、乗ったことはない。機内でのビールは有料(2j?)だそうだ。コンチネンタル空港は、グアム国際空港がハブ空港に当たるため、以前はグアム経由でサイパンに行かねばならなかった。しかし、昨年12月のスーパー台風やイラク戦争の影響でグアムへの観光客が激減しため、対応策として成田ーサイパン直行便を運行させたのである。(後記:コンチは2007年現在運行していない)

現地のローカル航空会社としては「PIA」と「フリーダム・エアー」という2社がある。これらはサイパン、テニアン、ロタ、グアム間を運行している。PIAはノースを提携しており、チケットは日本から予約して購入することができる。だから、観光客は自ずとPIAを利用することになる。機材は中型機を2機保有、30人ほど乗れる。(後記:PIAは2007年現在は運行していない)

フリーダム・エアーは日本から予約が出来ないので、直接現地チケットカウンターに出向いて、チケットを購入しなくてはならない。先着の客が多い場合は次の便を待たねばならない。運が悪いと翌日ということもある。乗合バスのようなものでる。但し、昨年の12月の台風で中型の機材が格納庫ごと吹っ飛ばされてしまい、現在は、セスナ機しかなく、テニアン〜サイパン間しか運行していない。台風前はコンチと提携して、日本からでもチケットが購入できるようなシステムが出来上がりつつあったのだが・・・・。

30、北マリアナ諸島のアルファベット略語の意味!

マリアナ政府観光局の玄関には「MVA」の文字が北マリアナ諸島に行くと飛行場、ホテル、街中の標識やポスター、看板などにアルファベット略語が書いてある。一般の観光客がよく目にするものを解説すると、まず、入国時の税関申告書にある「CNMI」はコモンウゥエルス・オブ・ザ・ノーザン・マリアナ・アイランズの略で北マリアナ連邦自治領の意味である。Cのない「NMI」は地理的な北マリアナ諸島の意味である。

「DFS」は観光客がブランド物を買いにいくデューティ・フリー・ショッパーズでガラパンと空港内にある免税店のこと。「DPS」はデパートメント・オブ・パブリック・セイフティすなわち警察署のことである。「CHS」はコモンウェルス・ヘルス・センターすなわち公立の病院で入院施設のあるもの。入院施設のない病院は「PMC」という。

「CUC」はコモンウェルス・ユーティリティ・コーポレーションで電気と水道を供給する島では重要な公社である。「NMC」はノーザン・マリアナ・カレッジで公立の北マリアナ短期大学のことである。サイパン、ロタ、テニアンに夫々キャンパスがある。

KFCが作るT−シャツに必ずプリントしてある「MVA」はマリアナ・ビジターズ・オーソリティすなわちマリアナ政府観光局のことである。また、KFCの文章に多々登場する「PIA」と言うのはパシフィック・アイランド・エビエーション・インクでテニアン、ロタ、グアム、サイパンの4島間に中型機を運行している現地航空会社、ノースウエスト航空の系列会社。(後記:2007年現在は運行していない)

よく似ている「PIC」はパシフィック・アイランド・クラブというホテルの略である。ついでに、「JAL」は日本航空、「CO」はコンチネンタル航空、「NW」はノースウエスト航空の略。航空コード(世界中の空港を3文字のアルファベット略語で表示)に関しては、サイパン国際空港は「SPN」、グアムは「GUM」、テニアンは「TIQ」、ロタは「ROP」。パラオ「ROR」とロタとがよく似ているため、ロタへ行くべき観光客の荷物がパラオに行ってしまうことが時々ある。

KFCの荷物もパラオに誤送されてしまったことがある。大体3日くらい待てば、ロタに戻ってくるが、その間着替えがない!ちなみに、「NRT」は成田空港はである。他にもたくさんあるが、観光客が知っておいて便利なのはこのくらいかな。


29、ロタ島の山火事!

北マリアナ諸島の中でも最も豊かな自然が残るロタ島では、大きな台風に襲われた数ヵ月後にジャングルの至る所で山火事か起こる。その理由は、暴風で倒されたり、揉まれたりした樹木が枯れて数ヵ月後にはカラカラに乾燥した状態になる。それらが熱帯の強烈な太陽熱で自然発火し、火災が発生するのである。

だから、その時期には島の至る所で山火事が発生する。島民はこの山火事を消そうともしない。この現象は昔からずっと繰り返されてきたことだからである。2〜3日間もすれば、自然に消火するということも、また、その火災が自然復帰のために必要であることも知っているのである。この山火事が枯れた樹木や潅木を焼き払ってくれるため、その焼けた跡地に太陽の光が届き
新しい芽が出てくる、という寸法である。自然は本当に巧くできている。

熱帯の島ならどこにもある椰子の木は暴風に非常に弱い樹木である。というのは、この木は枝分かれすることなく、真上にしか成長しない。すなわち、成長するための新芽は真上に一つあるだけである。この新芽は柔らかく、暴風で左右上下に揉まれると容易に傷つき枯れる。これが枯れると成長は止まり、やがて樹全体が枯れてしまう。

28、北マリアナ諸島の安全指数!
戦地イラクから無事帰還したテニアン・チャモロ一昨年(2001年)の9・11NYテロ事件以来、世界は大きく変わった。米国によるアルカイダ&タリバン掃討作戦、そして、この度のイラク戦争である。このようなきな臭い出来事がある毎に「サイパン、ロタ、テニアンは安全か?」と尋ねられる。これはテロ事件が勃発する可能性があるか、ということである。

結論としては日本より安全と考えられる。そもそも中東や欧州の人達はマリアナ諸島の存在すら知らない。また。ここで命を張ってテロをやっても米国は痛くも痒くもない。テロリストにとっては費用対効果が悪すぎる。なぜなら、ここは米国の自治領(植民地)ではあるが、少数民族チャモロ人の国(島)であり、米国ではない。

また今、中国、香港を中心として世界中に猛威を振るっている謎の肺炎SARSに対しても、マリアナ諸島は日本より遥かに安全である。何故なら周りを海に囲まれた孤島であり、人口密度も低い。そして、常に風が海から吹いており、いつも新鮮な空気で包まれている。(後記:2007年には上海、広州、北京などからもチャーター便が就航している。)

また、SARS発生地域からサイパンへのフライトは一切ないので、菌が飛行機で運ばれてくる可能性は日本などと比べるてずっと少ない。現に、SARSを恐れてシンガポールや東南アジアに決まっていた旅行が続々とサイパンにシフトしてきている。例えば、シンガポールに決まっていたIT関連の専門学校の修学旅行約3000名のツアーがサイパンに決まった。100名ずつ20班に分かれてくるという。

星条旗が翻っているが、米国ではない、という特異なポジションにあり、且つ、太平洋上の数多ある小さな島の一つ、北マリマナ諸島はいつの世も安全な場所である。


27、貧乏人はタバコが吸えない?
マルボロ一箱の安売り価格一年ほど前から、北マリアナ諸島ではタバコ1箱が4〜5jに値上げされた。円換算で500円〜600円である。マリアナの人達は日本の物価は高いというが、こと、タバコに関しては異常に高い!これも喫煙者を減らそうとする政策の一環であろう。タバコを止めて良かった。






26、常夏の島サイパンの不思議なパワー
サイパン島で3年間もホテル暮らしをされている日本人がいる。彼は日本で心筋梗塞で倒れ、一人では歩くことも、動くこともできなくなり、主治医に見離されてしまった状態にあった。

そんな時、日本の冬の寒さが辛く、どうしても暖かい場所に行きたい、と思い立った。そして、日本に一番近い常夏の島サイパンに来た(連れて来てもらった)。不思議なことに、着いた瞬間「ここにいると元気になる」と感じた、そして、一気に呼吸が楽になった、と言う。

彼曰く、病気であるが故、「ここは空気が濃い、すなわち、空気に含まれる酸素量が多い」のが判るという。確かに、健康な人でも南の島にいると呼吸が楽に感じる。おそらく、澄んだ空気と適度な湿度、そして、南国の暖かさからくる筋肉や細胞の弛緩(リラックス)によるものかもしれない。

今では日本の主治医が驚くほど元気なり、毎朝数kmのウォーキングをしたり、買い物や車の運転までされています。この驚異の回復振りに、日本医学界も「常夏の島と身体の関係」を注目を始めたとのこと、さて、どんな結果がでるのか。75歳の今、ご夫婦で常夏の島サイパンでの生活をエンジョイされています。


25、北マリアナ諸島の弁護士事情

ロタのシナパル村にある裁判所北マリアナ諸島に住んでいるアメリカ人(白人)は医者、学校の先生、弁護士はという職業の人が多い。日本ではどれも一応に尊敬される職業なのだが、何故か弁護士だけは地元チャモロ人から嫌われている。この傾向は米国内でも同じらしい。米国の弁護士資格は日本ほど難しくないので、誰でもやろうと思えばできる職業なのだ。会計士などと比べると地位は低く、報酬も少ない。

北マリアナでは「弁護士=嘘つき」という構図が出来上がっているように思える。どんな些細なことでも訴訟沙汰にできそうな出来事を探し回り、法廷では得意の法律知識と話術で一般市民である陪審員を丸め込み、そして、首尾よく勝訴した暁には賠償金の約40%を報酬として持って行く。この商売のやり方が世間から嫌われる原因のようだ。

ついこの間も、米国でマクドナルドのハンバーガーを食べ過ぎてデブになったのは、マクドナルドが高カロリーなハンバーガーを売った所為だ、としてマクドナルドに対して訳の分からん言いがかりを付け、損害賠償金を取ろうとした集団訴訟があった。結局は敗訴したが、これを仕掛けた弁護士も、もし勝てば「億という大金」が転がり込むと皮算用していたのである。

この弁護士に常識があれば「デブになるまで食った奴にに非がる」と考えるものだが・・・。


24、HUSH RUN(ハッシュ・ラン)!
こんなジャングルも走ります、ハッシュは毎週土曜日にグアム、サイパンで各々行われているランニングゲーム。タイムを競ったり、きちんと走るランニングというよりゲーム性が強い。誰でも参加できるランニングゲーム。

サイパンの場合はガラパン地区のDFS向にあるグアム銀行サイパン支店駐車場に夕方4〜5時に集まり、参加費一人5j支払う。その時々によって記念のキャップやタンクトップが買える場合もある。主にサイパン在住のアメリカ人グループが開催しており、その参加費でゲーム終了後のキャンプファイヤーを囲んだパーティ??のおやつやビール、ジュース等を買う。

ゲームの内容は、毎回「ラビット」と言われる「鬼」になる人が決まっていて、その人が予めコースを決めておき、秘密の集合場所(ゴール地点)まで、小麦粉でマーキングしながら皆を誘導する。但し、この「ラビット」は正当な道を通らずジャングルや道なき道を皆が冒険しながら、間違えながら、進むように、うそのマーキングをしたりして混乱させながら進む。当然、この「ラビット」に当たる人は皆よりも先にスタートする。

このようなランニング?なので、皆のいでたちも軍手にトレッキングシューズ、一番ボロい短パンにシャツという汚い?格好で参加する。無事にゴールできた人は「ON HOME!」(ただいま!)と叫びながらゴールする。途中で道に迷ったり、疲れてしまった人たちは世話役の人がピックアップトラックで回収してゴールに連れて行く。

全員がゴール地点に集合したら、焚き火をして宴会芸のような遊びをしながら、ビールを飲んだり。お菓子を食べながらドンチャン騒ぎをする。最後は男の人たちが皆で小便をして焚き火の炎を消して終了・・・・という下品な、シリアスではないランニングゲーム。日本ではポピュラーなスポーツにはならないだろう。誰でも参加できますから、日程が合えば、5jを持ってグアム銀行サイパン支店駐車場に行ってみては?


23、北マリアナ諸島の郵便事情!
サイパンにある道路名標識北マリアナには郵便配達という制度がない。何故なら、各住宅に日本で言う住所(番地)にあたるものがないらである。現在、政府によって住宅番号制度が実施されようとしているのだが、遅々として進んでいない。その理由は予算がないからである。

では、これがどのような方法で行われているかというと、先ず、島中の全道路に名前を付け、そして、道路に面している両側の建物に端から順に番号(片方が偶数列で反対側が奇数列)を振分けるていくという米国方式である。

サイパン島だけでも約1100本の道路があり、誰もが分かるためには、その道路に「道路名標識」を設置しなくてはならない。その際、道路のネーミングにも定義があり、よく耳にする「ストリート」は東西に走る道路を示し、「アベニュー」は南北に走る道路の意味、他にも「ドライブ」や「パス」など10種類以上ある。

そんな事情で、住宅番号制度が確立(いつのことやら?)されるまでは、今まで通り、郵便局の私書箱まで自分の郵便物を取りに行かなくてはならないのである。ちなみに、私書箱レンタル料は年1jとタダ同然。


22、超楽しいピックアップ・トラック!
南の島にピックアップは良く似合う日本では「道交法」で禁止されているが、マリアナ諸島ではピックアップ・トラックの荷台に人間が乗ってもよいのである。それも、定員何名という堅苦しい決まりは無く、乗れるだけである。但し、転落防止のため、後ろの開閉ハッチに寄り掛かってはいけない。

マリアナ諸島ではピックアップを非常によく見かける。というのは、大きな荷物もたくさん運ぶことができ、且つ、人間も一度にたくさん運ぶことができるからであ。これ1台あれば、大家族でも大丈夫、たいへん便利のよい乗り物である。さらに、この荷台は100%オープンエアーで、暖かい南国の風を切ってドライブするのは非常に爽快である。レンタカーにはピックアップがないのが残念だが、地元の人と知り合いになれば、是非試してみては・・。


21、北マリアナ諸島の不動産
ビーチ沿いに立つホテル、55年間のリース契約だ世界中のほとんど全ての小さな島嶼国は、外国人が不動産(土地)を購入することを法律で禁じている。国土が僅かしかないので、全て、または、大部分を外国人に買収されてしまうと自国民の土地(国土)がなくなり、その結果、国が消滅するという事態を招くからである。北マリアナ諸島も例外ではない。外国人が土地を所有することを禁じている。この場合の外国人にはアメリカ人も含まれている。

では、サイパン島などに建っている日本資本などの外資系ホテルの敷地はどうなっているのかというと、現地の土地所有者との間で長期のリース契約がされているのである。ほとんどの場合は最長である55年間のリース契約である。金銭については、このリース契約を結ぶ時に金額や支払い方法を決めるのである。そして、期日が来ると再契約を結ぶのである。

個人の場合も同じである。例えば、家を建てるときは敷地に関して、期間55年のリース契約を結ばなくてならない。また、コンドミニアムなどもを購入する場合も、55年リース契約を結ぶのである。ちなみに、グァム島の場合は、確か99年リースだったと記憶している。


20、ロタ・イーストハーバーの船着場
2000年頃の懐かしい風景台風26号「pongsona」(2002年12月8襲来)で破壊された東港の船着場はロタ政庁が造ったものではなく、元気だった時代の「パウパウホテル」(1999年3月閉鎖)が自社のボートの発着場として造ったものだ。

このことは意外と知られておらず、ロタの人たちも若い人は知っていません。当時はそこからグラスボートやダイビングボート以外にも、観光用潜水艦まで発着していました。二十数年前の話です。(後記:2006年10月頃には修復され、パウパウホテルが造った桟橋の面影はない。)



19、北マリアナ大学
ロタ・トライアスロン大会のエイドをする北マリアナ大学の学生サイパン、ロタ、テニアンにキャンパスを持つ北マリアナ・カレッジは、アメリカの大学同様に、土曜日や夜間を利用して社会人対象の講座を持っている。

例えば、初心者対象のパソコン講座(受講料約100j)、インターネットによる株取引講座(受講料約50j)、中級チャモロ語講座(受講料約100j)、英語の集中講座(受講料600〜2000j)等々である。これらはの受講料は、時間、日数、内容によって違いがある。少し時間的に余裕があれば、日本から留学して、ネイティブな英語の集中講座を受講することも可能である。当然、トロピカル・バケーションも兼ねて。

学生のほとんどは北マリアナの学生たちで占められているが、裕福な家の子供たちはこの大学には入学せずアメリカの大学に行くことが一般的である。


18、北マリアナのハイスクール軍事教育カリキュラム
可愛い高校生の米軍兵士の卵日本では高校生が学校のカリキュラムの一環として射撃訓練をすることなど絶対にないが、サイパン・ロタ・テニアンの公立ハイスクールではそれがごく当り前のように存在する。それも実弾を撃つのである!

北マリアナには高校生を対象とした「予備士官初級養成プログラム」という軍事教育・訓練がある。これは強制ではなく、受講を希望するものが受けるのである。その割合は全高校生徒数の約20〜30%で、女子学生の割合も非常に高い。

KFCロタ・メンバーのジョーやエドもこのプログラムを当時経験している。その内容は、米国軍事史、米国市民権、米国憲法上の権利と義務、地図の見方、射撃訓練、演習訓練、救急活動訓練、統率力、コミュニケーション技術など広い範囲について知識や技術が教え込まれる。その時間は年間180時間もある。

日本の高校の部活動スポーツと違って軍事訓練はその目的やその先にあるものが全く違う。結果として、彼らのサバイバル能力は非常に高いものがる。


17、サイパン・ビーチロード沿いの遊歩道の秘密
サイパンのビーチ沿いの遊歩道、侵食防止も兼ねるビーチロードに沿って、ガラパンから南に約5kmの地点にあるキリリ・ビーチ公園まで立派な遊歩道が造られている。朝夕の涼しい時間帯にはローカル達がジョキングや散歩を楽しんでいる。また、タガマン・トライスロン大会のランコースとしても使われている。

実は、このビーチ沿いの遊歩道には別の重要な役割を持っている。それは地球温暖化を因とする海水面上昇による海岸浸食を防ぐ役割である。そのために、一般の遊歩道とは違って、特別強固な構造に仕上げられている。分厚い舗装の下には、土中2mくらい掘り下げられワイヤーに包まれた珊瑚岩がぎっしり敷き詰められている。将来、水位が上昇して、また、激しい波で海岸が削られても、この遊歩道で侵食が止まるように考えられているのである。

サイパン島の東側海岸は大部分がサンゴの崖でできているため、水位が上昇しても侵食されることはあまりない。最も侵食されやすい地形をしているのがこの遊歩道で保護された部分なのである。


16、マリアナの舗装道路
白っぽい路面、濡れると非常に滑りやすいマリアナ諸島の道路舗装には、砂利の代りにサンゴを砕いたものが混ぜてあるため、日本と比べてたいへん滑りやすい。それがスコールなどで濡れている場合は尚更である。時には、アイスバーンと同じくらいよく滑る場合がある。路面が色も白っぽいのは、サンゴを多量に混ぜてあるためである。。

これらの島は全てサンゴ礁の隆起でできているため、日本のように石や土が全くないのである。だから、鉄筋コンクリートの建物を建設する場合でも、セメントに混ぜるのは砂でなくサンゴを砕いたものをその代用品として混ぜる。また、ビーチが白いのは全てサンゴの砂からできているからである。


15、北マリアナ諸島の運転免許制度
ロタ警察署運転免許発行課の壁に飾ってある様々なナンバープレート北マリアナでは15歳になると運転免許証を取ることができる。その方法はいたって簡単、警察の行って申請書を書いて、簡単なペーパーテストをやって、自分で持って行った車(友人に運転して行ってもらう)に警察官を助手席に乗せて近所を一回りしてくればOKである。

この場合、レンタカーを使うことはできない。そして、この時の費用総額は僅か数jである。日本のように不合格になる人はとは先ずいない。1週間くらい後に免許証を発行してもらえる。

しかし、ツーリストが北マリアナでレンターを借りる時、自国の免許証を持っていても21歳以上でないと借りることができない、という法律がある。このことはあまり知られていないので要注意である。


14、マリアナ諸島とヘビ
北マリアナ諸島へのヘビ流入阻止運動のステッカー元来マリアナ諸島にはヘビは生息していなかったが、1950年頃にアメリカ軍の軍事物資と共に貨物船でグアムに移入されてしまった。このヘビの種類は「ブラウン・ツリー・スネーク」といい、夜行性で、主に樹木の上を生息場にしている。弱い毒があり、噛まれると幼児や子供は死ぬ場合がある。しかし、昼間は物陰に隠れているので、めったに出くわすことはない。

グアムでは在来の鳥が食べられて絶滅した種類もあるくらいで、非常に繁殖している。送電線などには停電対策として「ヘビ返し」が取り付けてあるものが多い。サイパンにも貨物船などに紛れ込んで移入されているが、過去30回ほど目撃されているだけで、グアムほど繁殖していない。ロタでは未だ目撃例がないため生息していないと考えられている。このような外来動物は、たまたま1匹が貨物と一緒に紛れ込んでも、ツガイで移入されなければ、繁殖することはなく、死に絶えてしまう。テニアンでも過去4回目撃されているが、繁殖はせず死に絶えてしまったのでは、と考えられている。

北マリアナ政府としては、港に捕獲用の罠を設置したりしてその移入に神経を使ったり、また、ポスターなどを作り、島民に呼びかけ、見付け次第捕獲するなどの対策を行っている。50年前、グアム政府はヘビ移入に対して全く無防備であったが、北マリアナ政府はグアムの失敗を教訓にして、入念なヘビ対策を取っているため、これ以上のヘビ移入はないであろう。


■13、Mr.マリックもビックリ、チャモロ人の超視力

マリアナ観光局のエド、彼の視力も超能力クラスマリアナに住むチャモロ人(カロリニアンも含むローカル)達の視力には驚かされる。どうして測定したのか知らないが、4.0や5.0の視力を持った人たちがゴロゴロいる。海を眺めていると、遥か彼方を指さしながらイルカが5匹いるとか、グアム島が見えるとか言うのである。我々文明人??には全く見えない。子供頃から遠く海を眺めて育って来たからなのだろうか、それとも、そのように遺伝子が進化したのだろうか。これはまさしく一種の超能力である。

我々は彼らのこの超能力にはいつも助けられている。例えば、トライアスロンの競技中、タイム計測の為に遠くから走ってくる選手の胸に付いているゼッケン番号を読み取らなくてはならない。この時、彼らの超視力が非常に役立つのである。我々には全く判別不可能な距離にいる選手のゼッケンをいち早く読み上げてくれる。最初の頃は、選手が近づいて来るまで、半信半疑だったが、それが100%当っているのである。これには驚かされたものだ。

また、スイムの場合も、遥か沖合いの海上を泳いでいる選手の状態を岸からチェックしたり、頭数をカウントしたり、スイムキャップや腕の番号を読み取ったりすることをいとも簡単にやってのけるのである。今では、スイマーの安全確保のためには、彼らの超視力は必要不可欠である。我々は双眼鏡を使うため、視野か狭くなり、裸眼の彼らのようにスイムコース全域を同時に見渡すのは困難である。

ロタ島のジョー・サントスが「青梅丘陵高水山岳マラソン大会」に参加するため、初めて青梅に来た時のことである。大会当日早朝、受付会場に行く途中の出来事である。赤信号で停車していると、3つ向こうの信号で対面に止まっている車がライトをパッシングしているのである。「何だろう」と思って近づいてから見たら、何とジョーがニコニコしながら手を振っていたのである。彼は昨夜泊った横田基地から会場に来る途中だったのである。何と、4〜500mも離れた場所から車中の人の顔を判別できたのでる。

テニアンでもこういう出来事があった。レース前日から設置しておいたスイムブイが夜の間に流されてしまっていた時のことである。夜明け前の未だ暗い海に向って仁王立ちしていたローカルが、遥か向こうの暗い海上を指差しながら「向こうに黄色のブイ、こっちにオレンジのブイが漂っている」と叫んでいる。我々にそのブイがようやく見えたのは、彼らが見つけた1時間も後のことである。
チャモロ、恐るべし!!


12、マリアナの野犬
サイパンの大人しい野良?飼い犬?どっち?海外に行って注意しなくてはならいことの一つは野犬に噛まれないことだ。もし、これが狂犬病であれば噛まれれば、100%死ぬ。但し、予防接種していれば別だが、マリアナに行くのに狂犬病の予防接種して行く人はいない。狂犬病でなくても野犬は群をなして人を襲うことがあるから、非常に危険でる。グアムでは、アメリカ人達が島に住んでいる間ペットとして飼っていた犬を本国に帰る時、そのまま放して行く。それが野生化して群をなしている。それもドーベルマンなどの高価な危険な犬が多い。だから、グアムの人たちは隣りの家に行く時でも車で行く。昔、グアムの友人宅に長期滞在していた時は、散歩に行くなら「棒をもって行け」とよく云われたものだ。

ロタ、テニアンには危険な野犬はいない。なぜなら、これらの島にはフィリピン人が住んでおり、犬はフィリピン人に取ってはご馳走であり、誰かの飼い犬以外は皆食べてしまう。強暴で危険な犬を食ってくれるのには何の文句もない。その調理方法は、魚醤油ベースで煮た「ドッグアドボ」というフィリピン料理にすることが多い。なかないける味だ。但し、ローカルのチャモロは流石に犬は食べない。

サイパンでは、海辺の観光地には野犬はいないが、山の方に行けば泥棒除けの番犬が放し飼いにしてあり、これがまた人を見ると襲いかかっって来るので、車で行く方が安全である。こういう犬は目を睨み付けて、背を向けぬことが大事。

余談だが、野犬のいる島では、水着のままバイクに乗ったり、走ったりするトライアスロンは危険で開催できない。


11、マリアナ・イグアナ
道路を横切るイグアナ、体長40cmほどロタではジャングル道に入ると時々イグアナ(マングローブオオトカゲ)を見ることがある。よく目にするのは30cmくらの小さなものが多い。人を見ると直ぐにジャングルの中に逃げてしまう。

これはロタだけでなく、テニアン、サイパン、グアムにも生息しており、スペイン統治時代に食用として移入されたものが生き残っているのである。大きいきいものでは体長1mくらいになるが、この大きさになると、人目に付くような所にはほとんど出て来ない。

毒も無く、非常に臆病で人に危害を加えることは決してないので、恐れることはない。また、ローカルの人たちは捕まえてBBQにして食べてしまうので、大きいものはほとんどいない。美味いらしい。
が、食べたくはない。

10、20年前のサイパン島風景
KFCのサイパン原風景はこの場所だ。どこかわかりますか?この頃(1980年頃)のサイパンは、ホテル数は確か4〜5軒くらいしかなかった。それも粗末な建物。第一ホテルも今と違い安っぽいアパートのようで、プールもセメント剥き出しの色あせた粗末な代物であった。

道路も舗装路は少なく、ビーチロードや空港〜ガラパン間の道も地道で、車が走ると白い土ぼこりが濛々と舞っていた。飲食店も今ほどなく、ガラパン地区も緑が多かった。就航していた航空会社も「ノースウエスト・オリエント」とか「コンチネンタル・ミクロネシア」とかいう名称で今とは少し名称が違う。空港施設は粗末な建物が一つ建っているだけで、到着すると飛行機からタラップで滑走路に直に降りて入管まで歩いて行った。

マイクロビーチをはじめ、海は非常に綺麗で、ホテル裏の砂浜の幅はもっと広かった。やはり海水面が上昇しているのであろう。第1ホテル南側を流れている小川も澄んだ水が流れており、川底が見えないほどたくさんの魚がパチャパチャと海から溯上して来るのが見えた。マニャガハ島は質素な感じで植物も多く、周りの水も澄んで魚もたくさん見ることができた。多くのヨットが係留してあるスマイリングドッグ内の海水も澄んでおり、岸辺に熱帯魚がウジャウジャいた。この頃のサイパンは昔ながらの自然が一杯残っており、丁度今のロタ島のような感じであった。

観光客に関しては、大部分が日本人で、現在のような韓国からの観光客は皆無であった。韓国人といえば、出稼ぎ労働者しかいなかった。というのは、その当時の韓国では資金の海外流出を防ぐため、国策として国民の海外旅行は禁止していたからである。すなわち、観光用のパスポートは発給していなかったのでる。

ホテルを除いて一般住宅やレストランなどの水道は頻繁に断水していた。だから、その対策として屋根に降った雨水を貯めるためのドラム缶が各家庭に備え付けてあった。これは当時の島生活の基本である。当然、停電も毎日のように頻繁にあった。シャワーは冷水が一般的であり、お湯など出ない。また、何故か、マリファナが至るところで栽培されていた。例えば、鉢植えで住宅の屋上などに隠して。

今も昔も変わっていないのがローカル・チャモロ達のフレンドリーな気質と皆一様にデ―ンと太った体型である


9、サイパン島の憂鬱
テニアンのゴミ焼却場南の島にとって、特に観光で生計をたてているマリアナ諸島にとっては、あのサンゴ礁内の紺碧の海は最も重要な「売り」である。ところが、最近、サイパン島のマイクロビーチ界隈の海は非常に汚れが目立って来て、遊泳禁止地区に指定されているほどである。その汚れは2km沖合いに浮ぶマニャガハ島にも達しており、10年前は水の透明度にも素晴らしいものがあったが、今ではマイクロビーチ側の渡し舟桟橋付近では透明度も悪く悪臭がする。但し、外洋から新鮮な海水が流入して来る島北側では今も昔のままの透明度を誇っている。

原因はマイクロビーチに隣接した海沿いにあるゴミ捨て場と云われている。長年の間に山と積まれたゴミ山から染み出る汚水がこの付近のビーチを汚染しているのである。観光局や観光業者は、「売り」である海の汚染はイメージダウンに繋がり、触れられたくない問題ではあろうが、早く抜本的な手を打たないと、近い将来観光産業にとって取り返しのつかないダメージを受けることになる。

美しい海を期待して訪れた観光客にとってはガッカリであり、徐々に「サイパンの海は美しい」というイメージは幻になりつつある。それを一掃するためにも、観光局、観光業者、政府が一丸となって、一刻も早く、もっと真剣にゴミ処理問題に取り組む必要がある。

元来、ポリネシアにしろ、メラネシアにしろ、ミクロネシアにしろ、南の島々では、ゴミは島の片隅に山積みしてあるのが昔からの一般的な風習であった。一昔前はゴミの量も少なく、自然に土に返るものがほとんどであった。しかし、現在では、ゴミの量・質ともに以前とは違って、どこの島々もゴミ捨て場から染み出る汚水による海洋汚染が「温暖化による海面上昇」に次ぐ重大な問題になってきている。また、中にはPCB問題なども取り沙汰されているケースもある。

テニアンでは野焼きという少し進んだ方法で以前からゴミを処理している。
ロタでは昔から島の中腹に空いている巨大な穴をゴミ捨て場として使っていたが、最近はそれが一杯になり、一部野焼きを始めた。高価な焼却施設の必要なダイオキシン対策などは未だまだ行われていない。



8、北マリアナ諸島の北部諸島ノーザン・アイランズ)
上空から見たアナタハン島北マリアナ諸島(連邦)というのは、サイパン、ロタ、テニアン、そして、ほとんど知られていないがノーザン・アイランズの4つの行政区から成っており、当然其々の行政区にメイヤー(市長)も4人存在する。この北部諸島というのは、サイパン島と日本の小笠原諸島との間にある10の島々のことである。その位置関係は、サイパン島の北約84kmにあるファラリョン・デ・メディニラ島から約600km北にあるウラカス島まで、ほぼ南北に縦一列に並んでいる。これらの島々については、開発の手がほとんど入っていないため、観光ガイドブックにも載っておらず、現在の日本人には、その存在すらほとんど知られていない。中には、1981年に大噴火を起こしたパガン島のように活火山の島もある。

現在、北部諸島全体でも、住民は僅かしか住んでおらず(1990年に36名というのが確認されているが、その後住民調査は実施されていない)、そのほとんどが無人島である。当然、定期的な交通の手段などはなく、また、飲料水や電気などのインフラは整備されていない。

第2次大戦前から戦中にかけては、アナタハン島やアスシオン島では日本人がヤシ園を経営していた。パガン島では、その近海がカツオの好漁場であったため、鰹節工場があり、小学校まで造られていたほど賑った時期があった。また、アナタハン島では、終戦末期、この島に住んでいた日本人同士で、この島の唯一の女性を巡って31人の男達が殺し合う、という悲惨な事件が起こったことでも有名である。現在、これらの島々に行く方法としてはヘリコプターのチャーターというのが一般的である。


7、ロタ、サイパン、テニアンのローカル・ホテル事情紹介
アパートのような2階建てのローカルホテル観光客向けに紹介されていない宿泊料金の安いホテルを総称して「ローカル・ホテル」、と現地では呼ぶ。その価格は、ツイン1泊約40j〜60jと安いが、生活設備が島の人たちの日常生活と同じ条件となっている。例えば、停電は頻繁に起こる。。そうするとエアコンが使えず、非常に蒸暑くなる。さらに、断水も起こる。特に乾季には頻繁に起こる。

これで何が困るかといったら、トイレが全く使えない。どこかのレストランで借りようとしても、そのレストランも当然トイレは使えない。困ったものだが、これが島の日常の生活というものである。

また、水道水にしても、蛇口から出てくる水は真水ではなく塩分を少なからず含んでいるので、シャワーを浴びてもイマイチさっぱりせず、身体がベトーっとしている感じがする。但し、ロタだけは上質のミネラルウォーターが蛇口から出てくる。観光客向けホテルは宿泊費は高いが、自家発電設備や予備の水タンクを備えており、宿泊客が快適に過ごせるように配慮されている。どちらを選ぶかは泊る人の自由です。


6、北マリアナ諸島の美味しい食べ物と珍味
【ヤシガニ】
ココナッツミルクで茹でられたヤシガニこのカニはヤドカリの1種で、太平洋やインド洋の熱帯の島々ならどこでも見られる。その繁殖は海中で行われ、約1ヶ月間の幼生時代は海中で過ごし、その後、陸上で2〜3年間巻貝の殻に入って生活する。その間に、身体が一般的にヤシガニと云われている形になり、殻を捨てる。その名が示す通り、強力な2本のハサミを駆使して堅い殻を持つココヤシを割り、中身のコプラ(白い部分)を好んで食べる、と言われている。

しかし、元来雑食性で、実際には芋や肉など何でも食べる。ヤシガニは夜行性であるためか、実際にそのハサミで堅い椰子実を割るところを見た人はいない。人の指なら簡単に切断してしまうくらい強力なハサミ。現在は保護動物に指定されており、産卵時期などに禁猟期間が設けられており、いつでも捕獲することが許されていない。

レストランで食べられるものは、ロタ、テニアン、北方諸島で、捕獲が許された期間に捕獲されたものだけ。その肉が美味しいため乱獲されて、最近ではサイパンにはほとんどいない。料理方法はココナッツミルクを加えて茹でるのが一般的。その味はココナッツミルクの匂いが強く、肉はカニそのもである。


【フルーツ・バット】
フルーツを餌さとしている大型のコウモリ島に生えている木の甘い実を餌にしている大型のコウモリで、ミクロネシア諸島に広く棲息している。昔からミクロネシアの人達にとっては非常に貴重な食材で、現在では、特別なパーティの席以外には、なかなか口にすることはできない。

料理方法としては、主にスープの出汁としてブツ切りにして、そのまま煮込む。味は美味いが、あの真っ黒なコウモリ傘のような手の部分やネズミのような目鼻口がはっきりした頭部を見てしまうと、我々日本人には、なかなかそれを口にする勇気は起こらない。
これはレストランなどでは決して食することはできない。数が少ないため、希少保護動物に指定されており、捕獲は禁止されています。特別なパーティなどで供されているが、厳密には違法。

【ロブスター】

茹でたロブスター、ミソと一緒に食べると美味い!これは掛値なしに美味い。南の島で獲れる食材としては一番美味いのではなかろうか。オマールエビではなく、日本の伊勢えびである。
一般的にはBBQにして、そのまま甲羅を割って「フィナデニ」(後述)につけて食べる。または、縦に2つにカットして半生状態に焼いても美味い。

このロブスターは、主に珊瑚礁外洋側の海底岩場部分、水深5〜10mの穴を住処に棲息している。その漁法は、これが夜行性であるため、夜にライトを持って潜ってヤスで突くという古典的な方法で行われる。その際、ロブスターから出る血に反応して、サメ(サメは夜行性)が漁師の周りにたくさん集まってくる、というスリル一杯の漁である。こういう場面では近づいてきたサメの鼻先を「コツン」と叩けば逃げていくらしい。また、この漁のタイミングは、満月で大潮の夜の限られている。

【フィナデニ】
料理の右手にある黒い液体がフィナデニ日本の醤油に、これらの島々特産のホットペッパー・ペースト(ドンニと呼ばれる小さな激辛い唐辛子を磨り潰して、塩、生姜、ニンニクを少量混ぜ合わせて、ペースト状にしたもので、北マリアナ諸島のローカルの家庭なら、どこでも自家製のものが常備してある)とローカル・レモン(よく知られているラグビーボール型のレモンではなく「カラマンシー」といわれているピンポン玉のような形をした熱帯の柑橘系のフルーツ)と生のタマネギの微塵切りを入れて混ぜて作ったソース。

その味は絶品で、醤油ベースで、ピリッと辛く、柑橘系の酸味があって、日本人の口によく合う。一般家庭の食卓には必ず料理と一緒に出される日常的なソース、日本の醤油見たいな存在。BBQにも、刺身にも非常によく合う。

【若いパパイヤの漬物】
右がパパイヤの漬物、左はヤング・マンゴーの漬物未だ熟していない青くて硬いパパイヤの漬物、これは美味い、絶対にオススメ!地元のスーパーマーケットのレジ横に、ビニールの袋に小分けして売られている。オレンジ色のものと黄色いものとがあるが、味は同じである。

一般的には「ピクルス」と呼ばれているが、年配の人は「パパイヤのツケモノ」と呼ぶ。作り方は若いパパイヤの皮を剥いて、白い硬い実を薄くスライスして、塩水に漬けて灰汁を抜く。その後、塩揉みをして水洗いし、酢とローカル・レモンの絞り汁(5:5)に漬けて、激辛のホットペッパー・ペーストと最近ではあまり日本では見られない黄色やアレンジ色の粉末ジュースを加え、最後に「味の素」も加えて、2〜3日込むと出来上り。

パリパリとしたやや硬めの歯ざわりが特徴。甘味に粉末ジュースを使うのがミソ。日本統治時代に沢庵の代用品として考え出されたのが始まり。

【ビンロウの実】

レジ横に置かれたビンロー。一袋1ドルの値札通常、地元スーパーマーケットのレジ横において売られている。ウズラの卵くらいの大きさで椰子の実に似た形をした緑色の実。これを2つの割って白い石灰の粉を付け、柔らかい葉っぱに包んで、口の中に入れて噛む。

しかし、これは食べ物ではなく、嗜好品でガムのように噛むだけである。しばらくすると唾液が真っ赤に変色してくる。そして口中に溜まった真っ赤になった唾は吐き出す。決して美味しいものではなく、タバコのように常習性があり、癖になる。

これを噛む習慣は、東南アジアやミクロネシア諸島など、この熱帯植物のビンロウ樹が生息する地域全域にわたっている。近年では、高等教育を受けた人たちはビンロウはやらない人が多い、なぜなら、真っ赤な口をして、真っ赤な唾を吐くのは非常に汚く見えるからだ。


【豚肉串のBBQ】
牛、鳥、豚の3種があるが、豚が一番美味い一口大の豚肉を30cmくらいの長さの竹串に刺して、甘辛く味付けをして直火で焼いたもの。一本約1jと安いが、韓国風(インド風?)の味付けで非常に美味い。

テニアンに行ったら試してみる価値はある。何故かというと、これはテニアン島以外の島では見かけることは少ない。地元スーパーマーケットのレジ横にタッパに入れて売られている。作っている所が2箇所あるため、その味付けはそれぞれに微妙に違う。午後には売り切れてしまっていることが多い。
(しかし、2002年11月に訪れた時、全てのスーパーからこれが消えていた。尋ねてみると、最近は売りに来ないとのこと。作っていた人が島からいなくったか、廃業・休業したか、良く分らないとのこと)

2007年から串焼きBBQ専門の店として復活しているので、食べることができるようになった。また、サイパンのストリートマーケット(毎週木曜日夕方、ガラパン地区で開催)でも食べることができる。

【タマレスギス】
上の白い部分は淡白な味、下の黄色い部分はピリ辛で激美味い昔からチャモロ民族に伝わる伝統の食べ物。元来は家庭料理(日本のおにぎり)であり、レストランに出す料理ではない。

トウモロコシの粉に味を付けて、ベーコンと一緒にアルミ箔で包んで蒸上げたもの。一つに2種類の味付けがなされている。半分(黄色の部分)は唐辛子とごま油味が効いており、フィナデニのような味付け、もう半分(白い部分)はコショウとごま油で味付けされている。

1個1jと安いが、美味い。特に黄色の部分は絶妙である。2個食べれば腹一杯になる。これを売っている店には地元の人達がひっきりなしに来て買って行くので、午後には売り切れていることが多い。現在では、これを売っている店はサイパンの「エスコス・ベーカリー」にしかない。


【地元スーパマーケットにあるオススメ品】
3種類あるが、カシュナッツでなければダメだ@ドライフルーツの「7D」マンゴ−/マンゴーの香りと甘味と酸味のバランスが絶妙、しかし、このメーカーのフィリピン産ものでないと美味くない。マイケル・ツリーズの大好物!スーパー周りをして、50袋ほど買い占めて日本に持ち帰ることもシしばしば。

A
「growers」のソルテッド・カシューナッツ/柔らかいカシュナッツをローストしてあるため、ピーナッツのような食感で、香ばしくて美味い。スーパー周りをして、50袋ほど買い占めて日本に持ち帰ることもシしばしば。

B
ひまわりの種とカボチャの種/両方とも殻付きのため、皮を外しながらチマチマ食べる。塩味が絶妙。宮塚英也選手のお気に入り

C
マンゴー・ジュースとカラマンシー・ジュース/これらは両方とも缶ジュース。マンゴーはネクタータイプ。カラマンシー(沖縄ではシークァーサー)は熱帯地方に生息する柑橘系の果物で、香がよく美味い。

【ヤング・マンゴー】
ヤングマンゴー、右にあるのが専用の塩が入った袋完熟する前の青い若いマンゴーのこと。北マリアナ諸島では、マンゴーは4〜5月になると熟して黄色く色づき食べ頃になる。しかし、地元の人たちは、2〜4月にかけて、熟する前の、小さな甘くない実を好んで食べる。

これに、ホットペッパーと塩と粉末オレンジジュースを混ぜたものを付けながらかじる。表皮は緑色で中身は白く、カリカリとした食感である。味は松脂のような、揮発油系の味がする。

地元のスーパーマーケットのレジ横に数個づつ袋に入れて売られている。

5、マリアナ諸島の言語事情!
語学の天才ベン。マリアナ界隈では彼の右に出るものはいないアメリカの管理下にあるため、政府機関や新聞や学校など公には英語が用いられている。しかし、マリアナ諸島―(注:北マリアナ諸島はサイパン、ロタ、テニアンの3島、これにグアムが加わるとマリアナ諸島という)―に昔から住んでいる民族のチャモロ人たちは「チャモロ語」という独特の共通言語を持っており、今も家庭内やチャモロ人同士の会話には広く用いられている。

学校の受講科目にもチャモロ語の授業がある。そして、他国に侵略された影響で、この言語にはスペイン語や日本語も混じっている。例えば、日本語の「菜っ葉」は「ナッパ」、「デブ」は「デブ」など。また、さらにパラオ語やヤップ語も同時に話せる人が多い。これらの複数の言葉をいとも簡単に操る彼らを見ていると、チャモロ民族は語学の天才ではないか、と思うことがよくある。

日本時代に日本語教育を受けた年配の人は、現在の日本人が忘れてしまったような丁寧な品のある日本語も話すことができる。こういう人から丁寧な日本語で話しかけられると、過去侵略した側として、何とも言えない申訳ない気分になり、ついつい頭が下がってしまうものである。

また、若いチャモロ人でも、必要に迫られれば、これといった教材もないのに日常会話程度の日本語なら2〜3ヶ月でマスターしてしまう。おそらく彼らは語学に関する能力(センス)は非常に優れたものをもっていると思う。その方法は、文法や文字や単語などには全くとらわれず、聞いてしゃべるという「真似」をすることから始める。一般に子供が幼児期に言葉を話し始める時のようなやり方である。当然、読み書きはできないが、そんなものは日常生活には必要ないのである。要は、日本人とコミュニケーションが取れればよいのである。

また、時として、チャモロ語は暗号のように使われる時もある。例えば、我々日本人やアメリカ人とミーティングをする時は、当然英語で行われる。しかし、その席上、我々に聞かれたら不味いことや、不利なことが起こった場合は、ヒソヒソと話すのではなく、堂々と彼らの言葉で対応策を話し合う。目の前の我々にはチンプンカンプンである。

4、チャモロ語講座
「Hafa a Dai」ハファ アダイ/こんにちは
「Si Yu'us Ma'ase」シ ズース マァッセ/ありがとう
「Dispensa Yo'」ディスペンサ ズ/ごめんなさい
「Adios」アディオス/さようなら
「Esta Otrobai」エスタ オットロベイ/じゃ、またあとで
「Buenas Dias」ブエナス ディアス/おはよう
「Taya Salape'」タァザ サラペ/貧乏です・お金がない
「Esta Agupa'」エスタ アクッパ/では、明日
「Unai」ウナイ/砂
「Tasi」タシ/海
「Esta」エスタ/OK
「Matai」マッタイ/死ぬ・死ぬほどキツイ
「Hafa Tatamanu Hao?」ハファ タタマヌ ハオ/ご機嫌いかがですか?
「Hafa Este?」ハファ エスティ/これは何ですか?
「Malago' Yo' Setbesa」マラゴ ゾ セベッサ/ビールを下さい。


3、チャモロ人の一般家庭の食生活とバーベキュー(BBQ)
ショートリブ(ビーフ)のQQB、これが一番美味い!チャモロ人の普段の食生活は非常に質素である。主食は米とタロ芋が一般的である。米と言っても日本米のような粘り気のあるものではなく、パサパサしたカリフォル二ア産の類である。タロ芋は日本の里芋を数倍大きくしたような芋で、粘り気があり、その味も似ている。熱帯地方ならどこでも獲れる。

副食は海で取れた魚を焼いたり、煮たり、また、油でフライしたものガ多い。また、「スパム」もよく食卓にのぼる代表的なオカズである。「スパム」とはコンビーフのようなソーセージの缶詰で、値段(1j以下)が安く、どこのスーパーにでも置いてあるチャモロに人気のあるオカズである。魚とごはん、また、「スパム」とごはんというように主食にオカズが一品つくのが普通である。それに、若いパパイヤの漬物などが付く。「フィナデニ」とホットペッパー・ペーストはチャモロの食卓には常備されている。中には、ごはんにワサビ醤油をブッかけただけで、美味そうに食べる者もいる。

チャモロにとってBBQは特別な時に作る料理である。大事なお客さんが来た時、冠婚葬祭の時、親戚が集まった時などである。日曜日にビーチで親戚一同が集まって簡単なBBQをしているのをよく見かける。普段の食事にBBQを作ることはない。彼らが作るBBQは本当に美味い!これはどこのレストランでも食べることはできない、チャモロ民族の歴史が凝縮された民族の味である。東南アジア風な、スぺイン風な、韓国的な、日本風な味付けが混ざり合って絶妙な味を出している。

その準備は前日から行われる。肉をカットして下味を付け、一日寝かせたり、野菜やフルーツを準備したり、また、その作る量は半端ではない、約20〜50人分を一度に作る。だからさらに美味いのかもしれない。北マリアナ諸島でもBBQを一番頻繁に作るのはロタであり、ロタBBQが一番美味い。トライアスロン大会やオーシャンスイム大会の後のアワード・パーティは必ずBBQ料理である。

代表的な料理の種類は、シュート・リブ(牛の骨付きカルビ)や豚肉のスペア・リブやソーセージやチキンをBBQにしたもの、レッド・ライス(サフランで赤く色付けした米)、タロイモ、ビーフン、若いパパイヤの漬物、バナナやパパイヤやスイカなどのフルーツ。甘〜いバター・ケーキ、マヒマヒなどの大型魚の刺身、野菜サラダなど。時として、子豚の丸焼き、鹿肉、ヤシガニなどがでることもある。


2、北マリアナ諸島(北マリアナ連邦でもよい)の外国人労働者
出稼ぎのフィリピン人(左)と中国人(右)サイパン、ロタ、テニアンの人口は2002年現在約7万人で、その内、約60%の4万2千人が外国人すなわち外国人労働者である。その内訳はフィリピン人、中国人、バングラデシュ人が大部分である。フィリピン人はホテルやレストランでの接待業や事務職や道路等の工事現場、それとチャモロ人家庭のメイド等が主な仕事である。中国人は主に衣料品産業の働き手として、バングラデシュ人はチャモロ人の農場(ファーム)で草刈をしたり、フルーツを収穫したりする肉体労働者として働く。

北マリアナはアメリカ合衆国の自治領という形態を取っている為、出入国管理権(入国ビザの発給等)と労働法に関してのみアメリカの法律に縛られていないので、外国人出稼ぎ労働者の受入条件(すなわち入国ビザの発給条件)や労働条件(賃金など)を北マリアナ政府独自で自由に決めることができる。因みに、現在の最低労働賃金は1時間当り3j5kであるので、大部分の外国人労働者はこの賃金で働いている。

また、何故北マリアナにこれほど多くの外国人労働者が必要であるのかというと、観光産業や衣料品産業の必要労働力に対して島固有のチャモロ人の人口が絶対的に少ないということである。だから、現在の経済活動を営んでいこうとすれば、多くの外国人労働者は絶対に必要なのである。逆に言えば、外国人出稼ぎ労働者でもっているような島である。

一般観光客の目にはチャモロ人、フィリピン人、バングラデシュ人の見分けはつかないが、何度も訪れていると、不思議なことに自然と見分けられるようになってくる。

この北マリアナに対して、グアム島はアメリカ合衆国の准洲にあたるため、アメリカ合衆国と同じ厳しい出入国管理法がそのまま適用されている。だから、特殊技能のある人や投資能力のある人以外はビザの発給は難しい。北マリアナのように単純肉体労働者にはビザは発給されることはない。だから、サイパンに住んでいる外国人労働者はロタやテニアンには行くことができるが、グアムには行くことはできない。なぜなら、米国入国ビザが発給されないから。

出稼ぎ労働者側からすれば、北マリアナが世界の機軸通貨(ハード・カレンシー)である米ドル圏である、ということが出稼ぎにくる一番重要な要素である。そして唯一単純労働者にも労働ビザを発給してくれる米ドル圏が北マリアナなのである。世界にも類を見ない特殊なポジションにある島である。


1、北マリアナ諸島の政治スタイル(政治権力の仕組み)
いつも星条旗と北マリアナ旗は一緒に掲げられている政治システムについては「北マリアナ諸島の今と昔」のページで触れているので省略する。ここでは政治権力の仕組みについて述べる。北マリアナ諸島にはサイパン島、ロタ島、テニアン島の3島にほとんどの人が住んでおり、この3島で政治は行われていると言ってよい。数ある北方諸島には住民が約40名しか住んでいないので、政治権力とは無縁である。

サイパン島には、北マリアナ諸島を代表するガバナー(Governor/知事)とサイパン島を代表するメイヤー(Mayor/市長)が、ロタ島にはメイヤー(市長)が、テニアン島にもメイヤー(市長)がいる。これらは米国大統領と同様に4年毎に選挙で選ばれる。ガバナーは北マリアナ諸島のトップであり、最高の権力が法律によって与えられている。あたかも、小さな米大統領と言ったところである。

選挙でガバナーが変わる毎に、周りの取り巻き連中が政権の中枢に就く。例えば、サイパン行政府の管理職クラス、サイパン警察署のトップ、マリアナ政府観光局長、出入国管理局トップなど主だった重要ポストは、前政権の前任者を追い出して、現ガバナーのスタッフで固められる。当然各役所のトップが入れ替われば、その部下もそのトップの意向によって入れ替わることになる。これら重要ポストの人事権は全てガバナーにあるので、ガバナーの権力は米国における米大統領と同じく北マリアナでは絶大なものがる。

また、ロタやテニアンのメイヤーも、それらの島々の中ではガバナーと同様に絶大な力を持っている。メイヤーが選挙で変わるたびに、その島の役所の職員や警察トップなどが現メイヤーの取り巻きよって占められる。但し、サイパン島のメイヤーは、その上にガバナーがいるため、また、自由にできるバジェット(予算)を持っていないため、他の2島のメイヤーと違い名誉職の意味合いが強い。

ガバナーが北マリアナ諸島の最高権力者であるにも係わらず、事実上、ロタ島やテニアン島ではガバナーよりも各島のメイヤーの方が力を持っている。すなわち、島民達にとっては自分達のメイヤーの命令が一番なのである。

そして、4年に1度のガバナーやメイヤーを選ぶ選挙ともなれば、これはもう島民達の一大イベントである。すなわち、自分が指示応援する候補者が当選すれば、自分の利益に直接繋がるからである。例えば、自分、もしくは自分の家族親戚が役所の職員に採用されるなどの、何かしらの利益が直接ついて回る。役所関係に就職するというのは、現金収入源の数少ない北マリアナでは最高の現金収入獲得手段なのである。因みに、選挙の投票率は毎回何と約90%に達する。この数字を見ても、選挙に対する島民達の力の入れようが想像できるというものである。