イベント報告

第18回インターナショナル・ココス・クロッシング
18th International Cocos Crossings!!
2008.5.25(Sunday)



■参戦レポート(オーシャンアスリート/ライフガード鈴木一也)
2位のケン・バルシナス選手と優勝の鈴木一也選手●5月23日/出国
仕事を終え、帰宅後成田空港へ。
GUAMの魅力は何と言っても近い事。
そして、金曜日の仕事が終わってからでも行ける事。
期待を胸に飛行機へ。

●5月24日/現地
夜中に到着し、ホテルへ。
先ずはゆっくりベットで休み、リフレッシュ!

朝、起きると共に窓を開ければ
熱い太陽と、青い海、そして白い砂浜!
仕事を終え、わずか一晩で南国の地へ来た事を実感。
 
「あー、今日は仕事無いんだ〜」と2度寝♯

そして起きたのは10時。
大きなソファー、大きなベットでゆっくり疲れを取り
睡眠時間120%状態になったら、さっそくトロリーに揺られ
彼女とショッピングモールへ!

あれやこれやと買い物をしながらロコモコをパクパク。
バーガーキングをモグモグ。フルーツを山盛りでたいらげると
気分はすっかり現地人。そして体重も外国人。。。

いかん、いかんと思いながらも昼食後はビーチでゆったりと昼寝。
ゆったりと流れるアイランドタイムに身をまかせれば
もう昨日までのストレスは無くなり、今は旅を楽しむ自由人。

15時頃になり、すこし日差しも落ち着いたところで
水着に着替え、海でのウォーミングアップ。
レースは翌日なので、タラタラとゆっくり、時間をかけながら
とまらずに泳ぐ。泳ぐ。
いや、正確に言えば浸ると言った方が正解だろうか。
きっと、GUAMの空気をいっぱい吸い込み、食べ物で癒され
雰囲気に溶け込むことが大切だ。


自分自身のレースに向けての調整は仕事人からアスリートへの
スイッチが一番重要なんだと思う。
仕事人を抜く為の材料は「南国の空気、リラックスした時間、青い海」
アスリートへのスイッチは「左脳の思考停止と本能のフル回転、うまい飯、
照りつける太陽」
さー準備は整った!


●レース準備
17時になり、KFCトライアスロンクラブのMTG。
丁寧なコース説明や注意事項、アドバイスを大西代表にもらい
気分は少しずつレースモードへ。
ベテランの出場者から「クラゲは最近出ないよ」とか「地元の選手で
速い人がいるよ」とかアドバイスをもらい、コースマップと照らし合わせ
イメージトレーニング。
少しずつ、レース展開が見えてきた。


●レース当日
上陸してくる選手を待つフィニッシュ会場の風景皆でバスに揺られ、まだ真っ暗な中、会場へ移動。
眠気と緊張感が交じり合ったバスがどこか懐かしい。
昔、小学校の頃、皆でバスに乗り、大会に向かっていた頃の事を思い出した。
そういえば「知らない場所」「知り合いのいないレース」は10年以上である事を思い出した。
どこか忘れていた、ドキドキする感覚。
その想いを胸に、まだ真っ暗な窓の外の景色を眺める。


会場に到着。
まだ真っ暗な海。ドキドキする気持ちが高まってきた。
すれ違う外人が皆、速そうに見える。
狙いは勿論『優勝』。
作戦は後半の追い上げ、ラストスパートでの逃げ切り。
でも「果たしてこいつらに通用するのか?」
気持ちでのまれたら負ける。いかんいかんとリラックス。
「楽しんで挑もう」と空を見た。


●レース前
船に乗ってココス島のスタート地点に向かう選手たちレース1時間前。
フェリーに乗り、移動。
ごった返す船の中で、色々な選手と眼があう。
速そうな選手がいっぱいいる。
そんな時、一人の選手と眼が合った。
顔は気合が入っている。歳は高校生から大学生ぐらいだろうか?
自分の経験が「あいつは速い。要注意」というアラームが鳴らす。
すぐに眼をそらし、意識しない様にした。
今日はオープンウオーター。
レース展開が勝負。出来る限り、自分がマークされ、集団にもまれ
体力と精神力を使うのは避けたい。
嫌な予感は気持ちから押し出し、外に見えるコースを眺め、海況の分析をする事にした。


レース10分前。
最終の確認を行う。サプリメント、水分から水着、ゴーグル。
これからは40分前後の長旅。
長距離レースにおいて一番、まずいのは肉体の疲労より精神の疲労。
特に「気持ちの乱れ」「集中力の切れ」が一番致命的。
だから、準備は万端にしつつも、どんな悪いケースが起きても動揺せぬよう
考えられる全てのベストレース、ワーストレースをシュミレーションする。


「船で眼が合った彼はどこに行ったのだろうか?」ふと頭をよぎる。


レース1分前。
準備は全て終わり、あとはスタートするのみ。
今日このスタートラインに立てた事、泳がせてもらう海、ゴールで
待っている彼女。
全てに感謝をし、最後のリラックスをする。

●レーススタート
ひたすらメリッソ桟橋を目指すスイマー。背後はココス島作戦は変わらず、トップ。もしくは2位前後につけて
うまくトップ選手の引き波に乗りながら、体力を温存。
相手の特性を分析し、勝負どころを見極め、最後に一気に爆発させる。
これだけ。
 
勢いよく、水底をけり、飛び出し、軽いテンポで飛び出すと
一気に上位グループに追いついた。

そして泳ぎながら、目標値の再確認とトップ集団の分析を始める。

ブイまでの最短距離、潮の流れ、風の向き。
そこから、自分だけの泳ぐラインを導き出す。

上位グループにいる選手のフォーム、呼吸数、キックをうっているリズム。
そこから、一番脅威になりそうな選手を探す。

スタートして300m付近。
今日の対戦相手、レース展開が決まった。
ひとりだけ、明らかにセンスがありそうで、持久力系の選手がいる。
その選手とのマッチレース。
避けたかったが、今から、ゴールまでのガチンコレース。
体力と精神力がかなり使われることが想像される。
 
横にならび、フォームの観察と、呼吸数、キック数を分析する。
その時に気付いた。
「あっ、船で眼が合ったあの選手だ。。。。」
 
バネのあるフォーム。
メンタルの強そうな面構え。
恐らく現地の選手だろうか?
まだ、若い。
こういった選手にはじわりじわり差を付けるより、一気に差を付け
気持ちを折る事が重要だ。
自分自身も呼吸を整え、キックを温存し、勝負のタイミングを待つ。

●ライバルとの競り合い
鈴木選手とケン選手のガチンコレーススタートして半分ぐらい経っただろうか。
以前、見ているのは彼の顔。
レース中に不謹慎かもしれないが「せっかくグアムに来て、綺麗な海で
泳ぐのに、景色も見れず、ライバルの顔を見続けている。
うーん、もったいない。」ちょっと、無念な気持ちを噛み締める。


さらに距離を泳ぎ、全体の2/3付近。
少しずつではあるが、相手の選手のリズムが悪くなってきた。
そして、自分もそのペースに飽きてきたので、勝負に出る事にした。

彼がこちらを見ない、呼吸のタイミングをはかり一気にペースをあげる。
競泳と違い、スパートと言っても最低でも2〜3分は継続しないと、効果が
無いので、テンポ良く、パワフルに。但し、呼吸はしっかりとしながら
気をつける。
 
すると彼も一気に上げてきた。
しかもその速度はこちらの想像以上。
 
「しまった。彼もスプリント力があった。。。」

そこからは地獄だった。
ディスタンスレースでは、色々な会話を自分とする。
でも経験上言える事は
「今は先に行かせて、あとから追い上げよう」
これは得策の様に見えて、大きな間違い。
一度、緩んだ体は戻るが、気持ちは戻らない。
一歩引いたらそこで負ける。
1mでも50cm気を許したら、もう戻れなくなる。
背中も痛く、呼吸も苦しいが、耐えるしかない。

「自分は負ける為にグアムへ着たんじゃない」

のこり500mぐらいだろうか?
今度は相手の選手がスパートをかけた。
「やばいか?」「いかれるか?」と頭によぎるが
全ての思考をストップさせ、自分の内にある本能を呼び起こす。

『俺は勝つんだ!』

こういった時に論理的になればなるだけ、頭を使えば使うだけ、負けが近付く。
きっとそれは、いつのまにか自分への言い訳を探し出すスタート。

何でもそうだが、考えたら負け。
本能で泳いだら自分に勝てる。

鈴木選手の上陸の瞬間のこり50m。
激しい争い。
もう余裕など無い。あと10m耐えたら次が見える。
あと5ストロークでいいから我慢すれば、次の道は開ける。
ずっとその繰り返し。

残り10m。
最後のポイント。
ここで、残る力を爆発させた。
1mぐらいだろうか?
自分の体が先に出た事を確信する。
 
あとはゴールテープまで!!
 
「振り返ったら負ける!」
最後は残す力全てで走りこむ。

その瞬間、長いレースが幕を閉じた。
 
「やった」
  
振り返ると、水からあがり、走りこむライバルがそこにいた。
 
ずっと競い合い、長い戦い。
言葉を交わす以上に充分すぎるほどの会話は海の中でした。
だから、もう彼とは昔からの友の様な感覚さえ感じるほど
そこには友情があった。

がっちりと握手をし、お互いをたたえあう。
 
苦しかったレースを振り返り、自然と笑顔がこぼれた。
お互いの全力に耐えあった、お互いを認め合った。



●振り返って
翌日の新聞にデカデカと掲載される!!僕はこれがスポーツのよいところだと考える。
言語を超越した、コミュニケーション。
その会話(レース)では、それまでお互いがどんな時間を過ごしたか?
どれだけ練習をしてきたかが、共通言語となる。

国や海況は違えど、オープンウオーターは自分ひとりで
自然と向き合うスポーツ。

その選手がどれだけ海で泳いだか、海を通じて自分自身と向かい合ったか。
その純度が濃ければ濃いだけ、時間が長ければ長いだけ、
その選手は特別な言葉を持つようになる。

国を超えて、年齢を超えて、同じ海の中で、その選手と会話できた事は
優勝という成績以上に、自分の財産となった。

一緒にお酒を飲むより、一緒に歌を歌うより、同じオープンウオーターを
やっているもの同士だから深められた、友情。
 
いまはe-mailでお互い連絡をとり、次はどのレースで勝負するか
慣れない英語で会話をしている。

海外レースの醍醐味。
いつのまにか日常に溢れている『慣れ』を脱出し
『挑戦を楽しむ』事で新しい自分を発見できる事だと思う。

たぶんその一歩は、踏み出すまで時間かかるかもしれない。
けど一歩踏み出す必要はない。
まずは半歩でいいと思う。そしたらまた半歩が見えてくる。

子供の頃に感じていたあの感覚。
大人になり忘れていたあの感覚。

僕はまた新しい挑戦を繰り返す事で、もっと違う自分に出会えるよう
これからも泳いでいきたい。



■今年のココスは・・・ショッピング三昧!!!
げんごろう長岡京 谷澤 政枝
谷澤さん、上陸!いつものガッツポーズ!今年は、仕事が休めなかったので、
会社帰りにそのままグアムへ・・・
チョットだけ寝て朝ご飯。
説明会の17時までには時間があるぞーってことで早速ショッピングへ行きました。

‥試泳はやっぱりやっとかないとって事で、少しだけ理性が働いてダンズカップの会場で1時間ほど泳ぎました!ダンズカップの時には水族館の中を泳いでる気分でしたが、今回もたくさんの魚たちに囲まれて泳ぎました!



その後、説明会に出席しました。
説明会を予定していた建物がクローズされていたので、芝生のこの辺でってな訳で説明会が始まりました。のんびりモードの大会の始まり!始まり!です。
説明をうけて、キャップとTシャツをもらって解散しました。

翌朝の3時起きに備えて、ラーメン屋で夕食を済ませ就寝しました。
レースの朝、メリッソ桟橋行きのバスに乗る為に、PICのロビーへ行かなければとタクシーに乗ろとしたら・・・あるってきいてたはずのタクシーがありません。

これまた・・・のんびりモード???。
フロントのお兄さんが送ってくれて無事間に合いました。
桟橋まで一時間‥バスに揺られて一眠りしました!

桟橋でレース準備をし、ココス島行きの船に乗り、入島!
アップを済ませレーススタンバイOK!
しかし‥開始時間になっても中々レースは始まらず、15分程遅れてのスタートでした。


現地の子どもたちや大人に紛れて泳ぎだしました。
日本人はほんの少しで殆どが現地の人たちでした。
今年はかなり波に流されて、一度もブイを左手に見ることなく、きづいた時にはいつもブイから50m位離れた左側を泳いでました。
人はもちろん誰もいなくて、ずっとカヌーのかわいい女性がついていてくれました。

途中で『マンタ』がヒラヒラと私の下に現れ一瞬『ドキッ』としましたが、暫くボーッと見とれてしまいました。
‥水中カメラを持ってたらなぁ〜・・・と残念に思いました。
その後、蛇行を繰り返しながら暫く泳ぐと、ようやくゴールの桟橋が見えました。

しかし近くに見えてるのに右になったり左になったりどんなけ〜???流されてたのか?中々ゴールに辿り着かず、ゴールでカードをもらった時には18番でした。


ゴールのメリッソ桟橋‥レース後、またひたすらお買い物、脚腰がもうダメ〜っていう位まで歩き、走り続けレースより疲れました。
帰国直前に露天風呂とマッサージに行きました。
露天風呂は混浴で、渡された水着は『ビ・ギ・ニ・』でした。
生まれてこの方、ビキニなんて着たことがなかったので、
一緒にレースに参加した、中村真奈さんと二人、お互いの格好を見て、大爆笑でした。

ホテルに戻り一眠りし、空港へむかいました。
楽しい旅のレースもソロソロ終わりか…と沈みがちな私たちでしたが‥座席を見てびっくり!!!
ラッキーな事に広いシートの席でした。
快調に眠ることができ、昼からの仕事に備えることができました。
昼からは、何もなかったかのように仕事に復帰しました。
40歳にしてはかなりハードな週末をすごしましたが、とても楽しかったです。

最後になりましたが
関係者の方々、今回もありがとうございました。
また、よろしくお願いします。



■KFC徒然
メリッソ桟橋の大会会場の明るい雰囲気2008年5月25日(日)に南の島グアムでインターナショナル・ココス・クロッシング大会が開催された。今年で18年目、息の長い大会である。

5月23日(金)グアムに到着すると、時折小雨がパラつくこともあるものの、南の島らしい強烈な太陽が出迎えてくれた。空港施設や島内各所のアメリカ国旗やグアム国旗はイラク開戦以来ずっと半旗のままだったが、通常の位置、すなわちポールの一番上になっていた。日々殺戮が続いていたイラク国内が多少なりとも終息に向かっていることが感じ取れる。


【頑張れ、JAL】
数年振りにJAL便に乗ったが、機内食やサービスも随分改善され、快適だった。ビールやワインも無料、食事も美味しい、コーヒーやお茶のサービスも2度3度と回ってくる。熱いコンソメスープまでサービスで回って来る。さらに、キャビンアテンダントの一人ひとりからも信頼を取り戻そうとしる気持ちが伝わってくる。地に落ちた信頼を取り戻し、再建を図ろうとしているJALスタッフの心意気を細々としたサービスから感じ取ることができた。これらを見ると、応援したくなる。

これまでは目に余る機材の整備不良や機内サービスの悪さや不味い機内食が嫌で、数年間JAL便は避けていた。かつては機材整備不良で出発後、飛行途中で成田空港に引き返したこともあった最低の航空会社だった。これまでの“親方日の丸”の悪しき体質が改善されつつあるように思う。

話は逸れるが、今、JAL株を買っておけば、儲かること間違い無しだ。カネがあれば、ドーンと買っておくのだが・・・。


【毎度のハプニング】
この度はホテルを韓国系資本のロイヤル・オーキッドにした。初めてのホテルだ。チェックイン後、部屋に向かうとカードキーが使えず、フロントに舞い戻り、キーの設定をやり直してもらった。韓国系資本のホテルのほとんどは部屋が広い。この部屋もなかなか快適そうだった。部屋に入り、早速電話を使おうとしたが、壊れているのか…使えない。何度かのやり取りの後、結局、電話機を取り替えてもらって、電話も使えるようになった。これで効率よく動ける。毎度のことで、大なり小なり予期せぬハプニングは多々起こる。海外では、何事も一発でスムーズに行くことはない。

早速レンタカーの手配を済まし、7月6日に開催するグアム・トライアスロン大会の打ち合わせも兼ねて、友人のグアム・トライアスロン連盟会長エリック・タイティンゴと夕食を共にした。ホテル内にあるレストラン“カプリチョーザ”へ行った。日本にもチェーン店が数多くあるが、チャモロ料理派のKFCは滅多に行かないというか、初めて行くレストランだ。


【前日の競技説明会でのハプニング】
グアム政府観光局のあるイパオ公園のビーチ。グアムでの最高の観光スポットである。夕方にはグアム政府観光局の会議室でココスクロッシング大会説明会が行われる予定だ。そのつもりで観光局に行って見ると、なぜか、今年は会議室に入ることができず、観光局裏手の木陰の芝生での簡単な説明会となった。コースもスケージュールなども変更なく、例年どおりだ。ココス島からメリッソ村の桟橋まで泳ぐ島から島への2.2マイル(3.5km)のコースだ。

この海域は一年を通して常に流れはあるものの、弱く、比較的泳ぎやすい。説明会までに大会会場を下見をしたところ、すでにブイは設置してあり、しかもだいたい真っ直ぐだった。いつも何だか曲がっていたが、“やればできるじゃん”と言ったところだ。心配なのは毎度のことだが、“クラゲ”と当日の“天気”だけだった。天気がよく、クラゲが流入して来なければ、これほど泳ぎ易いコースはない。

説明会までの間、グアム島内をあちこちチェックして回った。グアムで一番きれいなパブリックビーチであるイパオ・ビーチも泳いだ。以前見られたエイは今年は見ることができなかった。やや潮がひく時だった為、水深があまりなく、水温は温かい。まるでぬる〜い“温泉”のようだった。


【ココスの時季はマンゴーシーズン】民家の軒先で売られているローカル・マンゴ−
常夏の島、グアムといえども微妙に季節の変化がある。グアム到着時はやや小雨がパラついていたものの、気温は高い。5〜8月が一番暑い。フルーツや花も律儀なほど、その季節の変化を表している。常夏だけあって、大体のトロピカルフルーツは年間を通していつでも食べることができる。

しかし、ローカル・マンゴー(カラバオ・マンゴー)は5月と6月にしか食べることができない。立派なマンゴーの巨木が島中のあちらこちらにある。熟した甘くおいしいマンゴーはこの期間だけしか実らない。甘くおいしいマンゴーだが、この時季は次から次へと食べきれない程実るので、ローカルたちは食べ飽きてしまう。

あまりに採れるので、“この時だけの期間限定のフルーツ売店”が民家の庭先に出現する。おばあちゃんが売っていたり、学校から帰った子供達が売っていたりして、$1で3個程買える。店によりバラつきはあるが、$10もだせば、食べるのが追いつかない程、文字どおり山ほど買えるのである。今年も選手の皆さんが泳いでいる間に会場近くの民家から買って来て、ゴール後に食べてもらった。

不思議な事に、このローカル・マンゴーはマリアナ諸島より南に位置するグアム島、そして、グアム島内でも南の村へ行く程、甘くておいしくなる。なので、ココス・クロッシングの会場となるメリッソ村やその隣のウマタック村などはおいしいマンゴーがたくさん実る。ココス・クロッシングはいつもこの“マンゴーシーズン”に開催される。それゆえ、我々はこのレースを「マンゴー・スイム」という愛称で呼んでいる。

ところが、今年は一週間程、収穫時季が遅れていた。アプラ・ハーバー米海軍基地の隣のアガット村では島で一番マンゴーの木が多い。そのせいか、昨年は“第1回アガット・マンゴー・フェスティバル”まで開催されていた。マンゴーの品評会、マンゴーを使った料理やお菓子が売られていたり、マンゴージュースの試飲やカヤックレース等が行われていた。ホットドッグやハンバーガー、ローカルバーベキュー、マンゴープリントのT−シャツなども売られていて、正に“マンゴー一色”だった。今年もあることをとても楽しみにしていたが、これもカレンダーを見ると、収穫時季に合わせたのか一週間後になっていた。


【KFCの昼飯処「チャモロ・ビレッジ」】
チャモロビレッジでのランチ、これで5ドルという安さところで、チャモロのソウルフードであるローカル・バーベキューは本当においしい。このローカル・バーベキューはレストラン等では決して食べることができない味である。ホテルのメニューにもバーベキューはあるが、ちょっと違う。これらはローカルのパーティやフィエスタ等で食べることができる。

運良く、こういった場に遭遇すれば良いが、そうでない場合、アガニャにある“チャモロ・ビレッジ”が一番のおススメだ。安く、ボリュームもあり、ローカルにも大人気で“間違いなく美味しい”本物のローカルバーベキューが食べられる。ここはKFCの昼飯処になっている。


【大会当日】
ダン・オキーフの可愛い教え子たち5月25日(日)レース当日、会場のメリッソへ向かう途中、場所により、小雨がパラついていたが、メリッソでは雨は降っていなかった。スタート時間が近づくにつれてカラッと晴れてきた。今年は総勢130名程、日本からは50名程の参加だった。この大会も年々参加者が減少している。

最年少は元オリンピックスイマー“ダン・オキーフ”の教え子の9歳の地元の少年、最年長は70歳の日本人選手だった。3名のリタイアがあったが、その他は3.5kmを完泳した。

メリッソ桟橋公園の大会会場にあったはず公衆トイレが無くなっていた。建物ごと取り壊されていた。あまり、きれいではないが、やはりトイレはとっても大切だ。いくら“ゆる〜い南の島”といっても、来年は絶対仮説トイレくらいは置いてもらわねば。


大会前日のメリッソ桟橋とココス島の風景今年も前日にメリッソへ行ってクラゲ情報を収集した。そこにいた釣り人のおっちゃんにいないとは聞いてはいたが、一抹の不安はあった。毎年釣り人など、そこにいる人達に聞くと「いないよ。」と教えてくれる。それでも、毎年刺される人が数人はいる。しかし、今年は本当にクラゲに刺された選手がいなかった。よかった、よかった。

このクラゲ“カツオノエボシ”は、何故か白人は刺されても痛みやダメージがほとんどないのである。体質によるものだろう。日本人やチャモロ人にとっては堪らなく痛いのに・・・不思議だ。


【稀に見るエキサイティングなレース展開】
ダンと優勝した鈴木選手の2ショットレースに関しては、日本から初参加の鈴木一也選手が総合優勝した。彼は湘南のライフセーバーの選手で7月にドイツで開催されるライフセービングの世界選手権にも、日本代表で参加するというエリート選手だ。鈴木選手のタイムは44分20秒。そしてわずか4秒遅れでローカルスイマーのケン・バルシナス選手が2位に入った。

両選手は最後の最後までサイド・バイ・サイドの激しいバトルを繰り広げた。ラスト200メートルを全く互角でスパート、最後の20メートルでようやく鈴木選手が抜け出して逃げ切るというスリリングな展開に観客からも大歓声が上がった。因みに、2位のケン・バルシナス選手は日本人の母を持つ地元グアムの少年だ。

また、この両選手は次の日の地元新聞の裏一面にカラー写真入り大きくで取り上げられていた。今年は少し細かい波があったものの、まあまあ泳ぎやすかったと選手の多くから聞こえた。


【レース後】
イパオ・ビーチでのダンズ・カップ大会のシーン5月26日(月)夕食はダン・オキーフと共にした。23日のエリックの時と同様にKFCでは滅多にいかないレストラン“トニーローマ”に行った。11月29日(土)に開催する「第4回ダンズ・カップ」の打合せをするためである。

それ以外にも、今後のダンの様々なプランや夢を友人として聞かせてもらった。オーストラリア代表のシドニー・オリンピックとグアム代表のアテネ・オリンピックとの両方に出場したエリート・スイマーの彼だが、今年8月の北京には出場しない(正確にはできない)ので、少し腹が出てきた。今後は“コーチ業兼レースディレクター業”に専念するそうだ。

この度のココス大会では、9歳の教え子と一緒に泳いだそうだ。9歳の彼はココスでも、普段の練習同様にスピードのコントロールができず、やっぱりダッシュをしてしまい10m程でバテててしまい、完泳させるが一苦労だったようだ。それでも、9歳で3.5kmを泳ぐのだから、たいしたものだ。ダンは彼が可愛くてしょうがないといった感じだった。

ゴール後、大会会場で鈴木選手をダンに紹介した。ライフセーバーでもあるダンは優勝した鈴木選手とライフセービングに関しても情報交換をしていけそうなので、ライフセービングの方面でも日本とグアムとのよい関係を構築できることを期待しているようだ。


【レスキューボートと機関銃】
ボートにセットされているむき出しの機関銃最後に、やっぱり「ここグアムはアメリカだ。」と感じた瞬間があった。それは、レース会場にレスキューチームの一艇として待機していたUSコーストガード(米国沿岸警備隊、日本の海上保安庁に当たる)のゾリアックにむき出しの機関銃がセットされていたことだ。いつでも弾丸を発射できる状態だ。こんな場にテロリストが来る訳はないのに・・・。でも、9・11の例もあるし、世の中、一寸先は闇、何が起こるか分からない。

これらのバックアップ体制を見ていると、警察官が弾丸を一発発射しただけでも大騒ぎする“平和ボケ”日本とは大違いだ。

ゾリアックとは、ゴムボートに強烈なエンジンを装備した高速艇。最新のものはひっくり返っても自動で起き上がるシステムが装備されている。

5月27日(火)午前中にお気に入りのイパオビーチでひと泳ぎし、午後帰国の途に着いた。


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