6th IP & E Palau Challenge
Triathlon OWS Cycle Race !!
2012年12月1日(土)に第6回IP & Eパラオチャレンジ(トライアスロン&OWS)を開催しました。
そして翌日2日(日)に 開催予定の島一周100kmサイクルレースは大型台風襲来のためキャンセルになりました。
昨年(2011年)、3月に日本中を震撼させた超衝撃的な出来事“3・11東日本大震災”を理由に、その年のパラオ大会は中止にしました。 しかし、 その3週間前(2010年11月12日)にはロタブルートライアスロン大会を例年通りに開催しました。
では、なぜパラオ大会は中止にしたか と云いますと、日本人との慣習の違いを、どうしても埋まらない溝を、以前からパラオに感じていたからです。 それに苦しい台所事情も改善の兆しは見えないし・・。
今年(2012年)も、昨年に続き、早くから中止を決めていました。理由は何か良からぬことが起こるような気がしたからです。 大西のいつもの勘です。
しかし、パラオトライアスロン協会会長ティノから“今年はやって欲しい”と云う懇願メールが頻繁に送られてきました。 ティノのメールからは、いつになく熱意が感じられ、これまでの長い付き合いもあるし、可哀想かなあとも思い、それじゃあと云うことで、 今年の開催を決めました。
しかし、結果的には、やはり自分の勘に従っておけば良かったと思う出来事が起こりました。
パラオは日本人には到底理解できない風習や法律が多くあります。
表面的な観光旅行では気が付きませんが、大会運営を通して、 長く、深く、付き合うと、その溝の深さがよく分かってきます。日本人との価値観や常識が大きく違うのです。
例えば、囚人は夜間さえ監獄に戻ってくれば、昼間は島内の何処へ行くにも自由とか、シートベルトは危険だからしてはいけないとか、 スポーツイベントでは参加費を徴収する習慣がないとか、法による大統領制と慣習による酋長制が混在する権力の2重構造があり、ややこしいとか、 日本など周辺国からODA(政府開発援助)を受けていることによる価値観の相違、すなわち、ヒトからモノをもらうことを善とする文化とか、 等々です。
因みに、USテリトリーであるマリアナ諸島は日本人と価値観や法律もほとんど同じです。マリアナ諸島とは、 他のアイランドシリーズを開催しているロタ、テニアン、サイパン、グアムのことです。
過去、南の島で幾度となくスポーツイベントを開催してきましたが、開催日に台風がドンピシャにやってきたのは初めてのことです。 パラオは台風がないと聞いていましたし、パラオ人もないと思っていたようです。
因みに、パラオでは20年振りの台風襲来で、大型台風は25年振りだそうです。
大会日の2日前、29日(木)の午前中に現地パラオのコミッティ(大会実行委員会)の面々とパラオ・パシフィック・リゾート(PPR)のロビーで 打ち合わせを行いました。 その時点発表の台風データは週末の大会開催には影響はないことを示していました。
因みに、PPRは目の前に素晴らしいプライベートビーチを持ち、背後はミステリアスな樹木に囲まれた、 これぞ本物のビーチ・リゾート・ホテルと云った感じです。雑多なパラオにあって、異次元の空間を創り出しています。
グアムやサイパンには、これだけの本格的リゾートはありません。南の島を知り尽くした我々KFCもイチオシのリゾートです。
大会も然ることながら、PPRに泊まることを楽しみにされているリピート選手も 多くいらっしゃいます。世界中のダイバーに人気でいつも予約がタイトなのが珠に傷です。
しかし、その夜7:30頃に現地コミッティから電話が入り、今から会いたいということでした。 過去、夜にMTG (ミーティング)を 持ったことなどありません。何か不吉な予感が脳裏を横切りました。
やはりコミッティの面々が深刻な顔でやって来ました。先ほど、政府から台風に関するパブリック・ノーティス(政府通達)が発令され、 週末(日)にパラオへ上陸する公算が高くなったと言います。それを受け、前日(土)には外出禁止令が発令されると言う。
日本と違って、政府通達は強い強制力を伴う法律のようで、発動されると、警察や病院の協力も得られず、 外出禁止令に反した者は逮捕されると言う。 それで、皆パニックに陥っています。前日の外出で逮捕とは、我々日本人には、にわかに信じがたい法律です。
また、島民たちが家屋を補強するための時間が前もって必要なので、 ボランティアも集まらないと言う。とにかく、ビビって、 アタフタとなっています。
ここパラオの常識は、同じ南の島でも、他のアイランドシリーズを開催している島々とは違うことが多く、 未だに戸惑うことが多々あります。
パラオの家屋はマリアナ諸島と違って台風対策は全く考慮されておらず、木造トタン屋根が多くあります。海の上にせり出して 建っている家屋もあります。そのため25年前の台風ではほとんどすべての家屋が破壊されたということです。
さらに、彼らの脳裏には大きな被害をもたらした米国のハリケーン” カトリーナ“や日本の3・11のイメージでいっぱい、 かなりパニックに陥っています。スポーツイベントどころではありません。
彼らの間には「台風なんだから、できない、しょうがない」ムードが充満しています。
今夜は何を話しても実がないと思い、 翌日(金)朝に発表される最新台風データで開催の有無を判断しようと諭し、その夜のMTGは終えることにしました。
普段は”郷に入っては郷に従え“を実践していますが、 ここはすんなりと従う訳にはいきません。やはり自分の勘に従っておけば 良かったと思いましたが、この場に至って、そんなことを思っても仕方ありません。何もしないで、帰るという選択肢だけは、避けたい。
ビビっている現地コミッティたちを納得させ、且つ、日本からの選手も納得できる方策を、翌朝までに考えねばなりません。
前夜(木曜日夜)にはすでに50名ほどの選手が日本からやってきており、天気は良く、風もなく、雨も降っていません。 海の状況も穏やかで波も全然ありません。台風の前兆など 全くありません。
日本人の感覚では、 こんな状況で大会の中止を発表できません。台風慣れした日本人とは温度差があり過ぎます。
どこの島の大会でも感じることですが、 日本人が他国でその国の人間を思うように動かすことは本当に難しい事です。時にはムチを、 時にはアメを使い分けますが、このケースには過去の経験の引き出しにはありません。
パラオやサイパンやグアムでは現地にトライアスロン協会やスイム協会があります。それ故、それのないロタやテニアンのように、 一から十までKFCが前面に立ってやることはしません。それどころか、現地の面子を立てなければ、円滑な運営ができません。概して、 小さな島の人間ほどプライドが高いものです。
国内の大会にも言えることですが、通常、第1回大会は一から十まで我々KFCでやりますが、第2回大会以降は、運営の肝の部分は 押さえておいて、力技の部分は現地の組織に任せる方法を採っています。そのためパラオでは、2週間前のロタ大会と違って、 少しはゆっくりできると思っていたました。しかし、そうは問屋が卸してはくれません。
大会前日(金)午前11時にPPRロビーで開催か、中止かの決断をするMTGを持ちました。
この時点でも台風の影響は全くありません。快晴で、波も、風もありません。日本からの参加者は目の前の極上のビーチで泳いだり、 バイクでコースを試走したりして、明日の大会に備えています。
また、LUMINA主催のパラオ・チャレンジに参加の皆さんもビーチで 楽しそうに動き始めています。この状況で中止など、とてもとても言い出せません。
片やロビーでは、現地コミッティの深刻顔の面々が集まっています。彼らを前に、昨夜考えた妥協案を切り出しました。 「早朝5時頃から午前10時まで、関係各所のボランティアたちは大会運営のために動いて欲しい。そして、 10時以降は全スタッフ& ボランティアをリリース(解放)する。その後、帰って家屋の補強や買出しなど台風襲来に備えて欲しい。スケジュールとしては、 トライアスロンとOWSを06:00に同時スタートで行い、 翌日のサイクルレースはキャンセルする。アワードパーティも前倒しで 土曜日の夕方に行う。この条件ならどうか?」と。
そして、これなら遙々日本からやってきた選手も納得ができるギリギリの条件だと伝えました。 彼らも、この条件ならボランティを 動かせるし、政府や警察や病院も納得し、協力してくれるだろうと返答しました。何とか、交渉成立、やれやれです。 この手の神経戦は疲れるものです。
直ちに、その場で皆それぞれに携帯で関係各所へ連絡を始め、大会開催に向けての調整に動き出しました。警察、病院、 エイドステーション関係者、 カヤックチームなどへ連絡を取り始めました。携帯片手に親指を立て、OKサインを送ってきます。 協力が得られたという合図です。
その日の夕方、コロール市街にあるパラオ国際サンゴセンターでブリーフィング(競技説明会)が行われました。
パラオ時間で たらたら進行し、台風の影響か、今年は段取りが良くありません。交通渋滞のため料理が時間通りに届かない、 スタッフの集まりも悪い等々。
他の大会では30分ほどで済むブリーフィングが約2時間も要しました。口出ししたいですが、彼らのプライドを考え、 ここはグッと我慢しました。しかし、来年からはKFCがこの場を仕切ることになるでしょう。
この頃から台風の状況がより明確に分かってきました。明後日(日)の夜から暴風圏に入ると云うことです。すなわち、 明日の午前中、外出禁止令の発動はないということです。
翌日、大会当日の早朝5時にはPPR敷地内にバイクラックの設置は完了しており、6時スタートに向けてナンバリングの準備や スイムコースのブイ設置作業が行われていました。いつも通りのペースです。
波も風もなく、海のコンディションは良好。しかし、今年もオンタイムの06:00スタートはできず、15分ほど遅れて、 PPR桟橋からスイムをスタートしていきました。お国柄か、パラオはオンタイムにスタートしたことは一度もありません。
今年は、例年と比べてバイクコースの一部(コロール市街)に車が多かったのにはびっくりです。例年、 交通量は疎らでレースに 影響するようなことはありませんでした。聞くところでは、台風に備えた島民の買い出しが原因で、普段の週末は車が少ないそうです。
レースの方は予定通り10時頃に終えることができました。レース中、スコールはありましたが、天気が崩れることもなく、 心配していた脱水症に陥る選手もなく、まずまず無事に終えることができました。
レースの様子は巻末のレポートフォトをご覧ください。
その後、大会スタッフやボランティたちは我が家を補強するために、いそいそと蜂の子を散らすように帰って行きました。
その頃、コロールの繁華街は台風に備えた買出しの車で大渋滞が発生していました。 島中の家屋の窓にベニヤ板を打ち付ける作業も始まっていました。
また、24歳のホテルスタッフは「自分は台風の記憶はないですが、お父さんから先の台風で家が飛んでしまったと聞いています。 恐ろしいです。」と話してくれた。
その日の夕方からPPRのロビーでビッフェスタイルのアワードパーティが行われました。例年ならプールサイドで行うのですが、 今年は仕方がありません。
翌日(日)の正午から外出禁止令が発動されました。そして、夜中の間に台風は通過していました。
翌朝(月)、 倒木をカットするチェーンソーの音で目が覚めました。島中が停電と断水、それに道路は木の枝や倒木で機能停止状態でした。 怪我人は皆無ということでしたが、ローカルホテルや民家の屋根は吹っ飛んでいるものが多々ありました。
しかし、さすが最高級リゾートPPRです。冷房もOK、電気水道もOK、トイレも使用でき、テレビを除き、普段と変わらず快適に 過ごせました。 パラオ空港閉鎖で延泊を余儀なくされた方への、せめてもの償い?でした。
台風に始まり、台風で終わった今年のパラオ大会でした。それでも何とか開催でき、やれやれと思う安堵感と、 海外での大会運営の危うさを痛感したパラオ大会でした。
IP & E / パラオ・パシフィック・リゾート / ロック・アイランド・ツアー・カンパニー
カメラマン:小野口健太