イベント報告
How to operate it?
(第21回ロタブルートライアスロン運営秘話)

現在、海外でスポーツイベント(トライアスロン、OWS、ロードレース)を運営しているのは我々KFCの他にはないと思う。

それ故、運営に関して、どのようにして現地の人を動かしているの?資金繰りは?等々の質問を受けることが多々あります。

今ここに、2014年11月15日(土)開催の「第21回ロタブルー・トライアスロン」運営で、表から見えない裏の部分をざっくり公開する ことにしました。 以下は現地での2週間の動きです。

1.【2014年11月5日水】サイパン島到着

午前10時25分発のデルタ航空でサイパンへ出発。現地時間午後3時頃にサイパン空港へ到着。レンタカーを借りて、先ず、 サイパンにあるマリアナ政府観光局本局(MVA)へ行く。

そこで、ロタ大会に対するマネタリー・サポート(資金援助)やマンパワー・サポートに関して、話し合う。当然、日本を発つ前から 幾度となくメールでやり取りをしており、この場はその詰めをするだけだ。特にマネタリーサポート(資金援助)の獲得は重要だ。 大会運営を左右すると言っても過言ではない。神経を使う部分だ。満足な大会運営をするためには、MVAからお金を引き出さなければ ならない。

何故なら、通常、スタッフ(招待選手、カメラマンを含む)の航空券と現地滞在費で100万円+アルファが必要となる。それに参加賞や 賞品の購入費で5〜6000ドルを要する。これだけで参加費はパーとなるからだ。因みに、マンパワー・サポートはMVAスタッフの エドと ライアンを大会前日と当日の2日間借りることだ。

MVAでの話合いは短時間で終わった。すでにチェック(小切手)も用意されていた。それも要求した金額より多い。今のロタ島の惨状を 思ってのことだろう。

この件では、局内でNO.2の地位にあるマーチンが骨を折ってくれたと聞く。これほどスムーズに事が運ぶのは、 20年間の付き合いが成せる業だ。MVAスタッフの中に親KFC派がいるのは助かる。

近年、MVAのKFCに対する信頼度は非常に高い。 思えば、昔はよくファイトをしたものだ。だから今でも大西はキレやすいと思われている。でも、根は至って温和だ。

帰り際、MVAスタッフのエドからロタ島の現メイヤー(市長)のメルチオとテニアン島の 現メイヤーのレーモンが揃って2日前の選挙で 敗れたことを聞かされた。思わず「えっ、2人とも!」。

これで心配の種が一つ増えた。なぜなら、敗れたメイヤーの言うことは 誰も聞かないのが、島では一般的だからだ。島でのトライアスロンはメイヤーの指揮命令系統を使って運営している。事情が分かっている エドは心配そうな顔をしていた。

現在、ロタ島とテニアン島の観光プロモーションを日本向けにやっているのは我々KFCだけだ。近年、これら両島へのアクセスが極度に悪く、 JTBを始め、どこの旅行社も両島へのツアーの販売を止めてしまっている。儲からない、面倒が起る等々の理由で手を引いてしまったのだ。 企業としては当然の判断だ。

しかし、これら両島に多くの友人を持ち、かつ、反骨精神旺盛な大西は、それならば、という気持ちが一層強く なっている。両島の友人たちが苦しむ今、幾らアクセスが悪くとも、大会を中止にする訳にはいかない。MVAもそんなKFCを思ってのことか、 近ごろ頓に協力的だ。

MVAでの仕事が済めば、この日の“やるべきこと“は完了だ。その後、ホテルへチェック・インした。到着日はいつも眠い。

2.【11月6日木】サイパン島2日目

朝一で、アイランド・アパレル(Tシャツ工場)へ行く。この会社はサイパンにある唯一のTシャツ工場だ。

前もって、日本から オーダーしていたので、その仕上がり具合をチェックするためだ。今年はTシャツに加え、ナップサックとCapもオーダーしていた。 Tシャツはイメージ通りに仕上がっていたが、ナップサックのプリントの位置が良くなかった。少しでも悪いと、どの部分が悪いのか を指摘し、叱るようにしている。叱るときは、いつも関西弁になってしまう。

担当者ジュンが全て悪い訳ではないが、叱る対象はいつもジュンだ。長年の親しい友人なのだが、グッズの仕上がりをチェックする時、 OKサインを出すまでは、いつも正面で固まっている。でも、OKならば、その場で全額支払いをして、ジュンの点数を上げてやることにしている。

この島では、叱らないで、なぁなぁにしておくと、 いつまで経っても改善されないからだ。島では飴とムチは必要不可欠だ。Capは翌日の仕上がりだ。

その後、タガマン大会を運営しているタガ・インクのボス、JM・ゲレロの家を訪ねた。目的は来年のタカマン大会についての話だ。 ところが、来年は開催しないと言う。

近年、タガ・インクのスタッフがサイパンからいなくなったことや成田空港からしかサイパンへ 行けないこと、それに、自転車搬送費が異常に高いこと等々、タガマンを取り巻く環境は厳しい状態にあった。だから、この際、 仕切り直すのも良いと思う。時代が確実に変化したのだ。

【その後、グアムにある友人のイベント会社とMVAからタガマンを継続させたいので、手伝って欲しいと言ってきている。 MVAが絡むのなら、手伝っても良いと思っている。】

その夜は親友のジェームス・サントスの家で、久しぶりにアイランド・スタイルの 手の込んだ本物のBBQを御馳走になった。

3.【11月7日金】サイパン島3日目

午前中にアイランド・アパレルへ行き、Capの仕上がりを確認した。そして、代金を支払い、すべてのグッズをロタ大会の オフィシャル・ホテルであるロタ・リゾートへカーゴ(荷物)便で送るように依頼した。

Tシャツの枚数が約500枚と多いので、 手荷物では運べないのだ。因みに、この内、約350枚がロタ島民のボランティア用となる。

島の人たちにとってTシャツは日々の必需品だ。だから、Tシャツには相当に拘る。そして、ロタブルー・トライアスロンのTシャツは 別格で、皆が非常に欲しがる。だから、たくさん作って、関係者全員に行き渡るようにしている。これ一枚で気持ちよく働いてくれれば、 安いものである。

その後、サイパンの銀行へ行き、MVAからもらった小切手を現金化した。このお金と旅行社からのマネタリー・サポートが現地での 運営資金になる。楽しく、安全に運営をするためには、想像以上に大きなお金を必要とする。特に、海外の場合は、目に見えないお金が 多く要る。大会の成否を決めるのは、運営資金の確保にあると言っても過言ではない。

ホテルへ帰ると、新調した大会横断幕(バナー)が届いていた。日本からサイパンの印刷会社にオーダーしていたものだ。

4.【11月8日土】ロタ島到着

午後2時過ぎのユナイテッド航空(機材はケープ・エアー)でサイパンからロタへ飛んだ。

サイパン空港でのチェック・インの際、 ユナイテッドのスタッフが、スーツケースの重量が50ポンドをオーバーしているので、200ドルの追加料金がかかると言う。200ドルと 云えば、サイパンからロタへの片道航空券の代金に匹敵する額だ。

「えっ、200ドルも!」と驚いていると、別のスタッフがさっと段ボール箱を持って来て「5ポンドほどダンボール箱に移せば、 40ドルの追加料金で済むよ」と勧めてくれた。もちろん、このアドバイスに従った。例え、会社の規則でも、自分たちも心の中では ひどい料金体系だ、と思っているのだ。ここがローカル(チャモロ人)の優しいところだ。

因みに、荷物の追加料金が異常にバカ高いのは米国系航空会社(ユナイテッド航空とデルタ航空)だけだ。自転車に関しても ユナイテッドとデルタは、日本からグアムまで往復400ドル徴収するが、JALやアジア系、欧州系航空会社などはその半額で済む。 自転車がある時は、できるだけ米国系航空会社は利用しない方がよい。

30分ほどでロタ空港に到着した。ロタ・リゾートのマネージャー渋谷さんとスタッフのヘンリーが出迎えに来てくれていた。 ヘンリーはKFCロタ支部のメンバーだ。心を許せる一人だ。ヘンリーに荷物を運んでもらうことにして、 レンタカーを借りてロタリゾートへ向かった。

道すがら、対向車に出会わない。昨年と 比べて、人の気配がない。話には聞いていたが、島民の多くは島から離れてしまっているようだ。運営に必要なマンパワーが 確保できるのか、不安がよぎった。

その日はホテルのレストランで夕食を食べた。新メニューの“男めし“を注文した。ご飯の上にたっぷりのアンガス・ビーフがあり、 それにデミグラソースが掛けてある。美味かった。因みに、アンガス・ビーフとは、欧米のブランド牛で赤味が美味い。脂身はない。 日本の霜降り肉より美味いと思う。

5.【11月9日日】ロタ島2日目

今年のロタ島での活動の第一歩は、ダイビングショップ・セレナの林さんの墓参りから始めることに決めていた。

林さんには21年前の 立ち上げ時からスイムの部分を手伝ってもらっていた。ところが、今年5月のゴールデン・ウィークに 不慮の死を遂げられた。

朝一で林さんの家へ行った。仏壇にお参りして、奥さんのクミさんに林さんの墓に連れて行ってもらった。ロタの墓地はカラフルだ。 キリスト教のため土葬が一般的だ。

林さんが亡くなった遠因はロタの 経済不況だ。ずっと以前から、何とかロタ復活の力になりたいと思っていた。そんな素地があって、 林さんの死をきっかけに、それまで温めていた“作戦ABE” を、葬儀の直後5月16日に実行に移した。

午後からレンタカーでランとバイクのコースをチェックをした。バイクコースは大きく変わったところはなかった。しかし、 道路脇のグリーンベルトに空き缶やゴミが点々と落ちていた。草も伸びたままだった。過去にこんなことはなかったので、おそらく 島民が少なくなっているからだろう。

それに反して、ランコースはすでに重機を入れて道幅を広げてあった。ジャングルは緑が濃く なっており、過去、最も神秘的なジャングル・ランになるだろうと感じた。世界中探しても、こんな濃いジャングルを走るトライアスロンは 他にない。

その後、ソンソン村にあるいつもの散髪屋へ行った。近年、ロタでは大会の前に情報収集を兼ね、散髪をすることに決めている。 約10分間で終わる。料金は8ドルだ。でも、チップを含めて毎年20ドルを支払うことにしている。現地情報収集代としては安いものだ。

島でのチップに関しては、荷物を運んでもらったり、レンタカーを借りたりする時など、どんな場面でも必ず支払うようにしている。

それもケチらず、感謝の意を込めて、通常の2〜5倍は支払う。金銭的には安いものだ。それを続けていくと、皆が気を利かせて チップ以上の働きをしてくれるようになり、自ずと現地にKFC協力隊ができあがるのだ。これが南の島で大会を成功させるコツの一つだ。

ロタ以外でも、トライアスロン・アイランド・シリーズの島々ではチップは気前よく支払うようにしている。 もちろん、感謝の意を込めて。

夕方、マーク・マイケル宅に保管してもらっている荷物を取りに行った。 マーク宅訪問は、ロタの到着した翌日のルーティン・ワークに なっている。荷物とは、大会運営に必要な文房具等々で、それがなければ、準備に取り掛かれないからだ。

また、今年は三角ブイの購入をマークに頼んでおいたので、その確認もした。この手のグッズはアメリカからのネット購入が一番だ。 ついでに、テニアン大会用のブイも含めて6個購入した。

夕食はロタ・リゾートのマネージャー渋谷さんにソンソン村にある東京苑で日本食をご馳走になった。

6.【11月10日月】ロタ島3日目

9時にメイヤーズ・オフィス(市役所)へ市長のメルチオに会いに行った。前もって、日本からアポを取っていた。

例年、 メイヤー出席の下、警察、消防、病院、観光局ロタ支部、商務省、土木省等々のトップが勢ぞろいし、キック・オフ・ミーティングを 行い、一斉に週末の大会に向けて準備に入るのだ。

ところが、今年は様子が違っていた。メイヤーの部屋には誰もいない。ガラ〜ンとしている。予想的中だ。1週間前の市長選挙で敗れた ためだ。敗れたメイヤーには、もはや求心力はない。メルチオにはいつもの元気がない。しかし、来年の1月15日までは彼がメイヤーだ。 そして、元気のない彼からも、トライアスロンは大切な島のイベントだから成功させなくてはならない、と言う。

結局、日を改め、水曜日朝9:00に皆を集めてキック・オフ・ミーティングをすることになった。何故なら、明日の11日(火)は ベテランズ・ディ(退役軍人の日)という祭日だからだ。

帰り際、メイヤーに大会運営費(アワードパーティ費用も含む)の 足しにして欲しいと、お金を手渡した。いつもより多く支払った。もちろん、十分ではないが、いつも可能な限り多くを 支払うことにしている。お金の支払いは、少しでも早く渡す方が効果的だ。島で、人を動かすには、後払いよりも、先払いの方が、 効果は数段に高い。ケチケチは駄目だ。

次に観光局ロタ支部へ行った。支部長のサンドラと打ち合わせを行った。ここでもスタッフが減って困っていると言う。皆、出稼ぎで、 島から出て行ってしまったと云う。

それでも、トライアスロンは島の大切なイベントだからメーヤーズ・オフィスと協力して成功させる と言ってくれた。20年前と比べ、サンドラも立派になった。そして、その場で、サイパンで新調し、持参した横断幕を手渡した。 大会会場に設置してもらうためだ。また、今年の大会に必要な備品の購入費や 修理費等々の必要経費を支払った。

その後、ベイブリーズ(イーストハーバーに隣接したレストラン)でランチを食べた。そして、今年も、選手受付と試泳時の会場として、 レストランの施設を使わせて欲しい、とお願いした。

ついでに、イースト・ハーバーをチェックに行くと、マークがウォーター・ブラシを 使って、炎天下で一人黙々とスロープの苔取りをしていた。選手が入水の時、滑って怪我でもしたら大変だから、と云う。まさに、 縁の下の力持ちだ。感謝!

因みに、毎年、島のダイバーたちは、大会前にイースト・ハーバーに沈んでいる缶やゴミなどを自発的に掃除してくれているのだ。

7.【11月11日火】ロタ島4日目

この日はベテランズ・ディの祭日なので、役所との共同作業はできない。

予定外に時間が空いたので、来年に向けてのローカル航空便 情報を収集しようと思い立った。コストの高いチャーター便を利用しない方法で、グアムからロタへのアクセスの有無を調べにロタ空港へ 行った。このまま旅行社に任せておいたのでは、改革は不可能と感じていたからだ。

ローカル航空会社のケープ・エアーや スター・マリアナスの現地マネージャーと会い、参加者の厳しい現状を話した。彼らは、同情してくれ、協力的だった。

参加人数を100人以下に抑えれば、チャーター便を使わなくても、人もバイクも何とかなりそうな手応えを得た。後日、この情報を 近ツリとJTBに伝えて、来年のツアーを作る時の参考にしてもらうことにした。

かつてのように、適正なツアー料金で来島してもらい、 滞在時間も長く取って、レースだけでなく島内観光やダイビングを楽しんでもらいたいと強く願っている。

夜7時からソンソン村のレストラン“ピッツァリア”で、スイムに関するレスキューチームのミーティングを予定していた。 昼間に連絡しておいたので、皆、予定時刻に集まってくれた。

メンバーは、カヤック部隊6艇をまとめてくれているマーク、 ダイビングショップのルビンの山本さんと ブルーパームスの高久さん、ロタ警察のゾリアック(高速艇)とジェットスキーの 責任者ライだ。しかし、ライはグアムから帰島できなかったとかで欠席した。でも、ライはKFCロタ支部のメンバーで、21年前から 運営に関わっているから、大西の意向はよく理解している。問題はなしである。

この場で、そんなに重い話がある訳ではない。夕食を食べながら、元ダイブ・ロタのオーナーであるマークがリーダーになって 各人の持ち場や役割を確認する程度だ。毎年、上手くやってもらっているので、これと言って話すことはない。皆一同に顔を合わせて、 意志統一するだけで十分と考えていた。2時間ほど楽しい時間を過ごした。

スイム部門のレスキュー体制に関しては、メイヤーの 指揮命令系統ではなく、第1回大会からKFCとダイビングショップとの間で話し合って決めてきた。

その夜、ホテルに帰ってから、先発隊のメンバーで、手分けして、選手に渡すトラバックを作った。2時間ほどでゼッケン、 スイムキャップ、Tシャツ、ナップサック、アームカバーの5点を入れ終わった。

8.【11月12日水】ロタ島5日目

09:00にキックオフ・ミーティングのため、メイヤーズ・オフスへ行った。

例年通り、役所の各部署からトップの面々が集まっていた。 安心した。話し合いはいつも通りスムーズに進んだ。メイヤーが各エイド、ランコースの整備、バイクコース脇の草刈り、 イーストハーバーのテントや電源、バイク・ラック等々の担当部署を決めていく。

ミーティング後、雑談の中で、今年のロタへの アクセスの悪さを話すと、すかさず、誰かが、それなら尚更、島を挙げてwelcomeしなくては、とロタ・ホスピタリティを発揮。 ミーティングは2時間ほどで終わった。

毎年、ミーティングの後にガバメント(役所)のピックアップ・トラックを1台借りたることにしている。セダンのレンタカー1台 だけでは荷物やスタッフ全員が乗らず、動きが取れないからだ。

ところが、今年はトラックがなく、四輪駆動のワゴン車になった。 パトカーのお古だ。ドアに「FOR OFFICIAL USE ONLY」(警察官専用)と書いてある。でも、運転するのは日本人の大西、誰も文句は 言わない。これがロタなのだ。

古い車両だが、エンジン快調、ブレーキも効く、ライトも点く、上等だ。 エアコンの効かないのはいつものことだ。但し、1日に一度はラジエターに水を補充する必要があるとのことだ。

今年は、島民が少ない上、キック・オフ・ミーティングが2日も遅れたので、4日後の大会に準備が間に合うのか、不安だった。 過去の経験では、何があっても最後には辻褄を合してくれるのが、 「やる時はやる」チャモロ人(島民)だ。しかし、分かっていても、 メイヤー落選のこともあり、不安だった。

それで、少しでも手伝おうと、我々KFCメンバーだけで、午後からバイク・コース脇の グリーン・ベルトのゴミ拾いをすることにした。この手の作業は市川さんの独断場だ。

そうこうしている内に、観光局が草刈り車両を2台出し、道路脇のグリーン・ベルトの草を刈り始めた。彼らの草刈り車両の運転技術は 素晴らしく、曲芸的で、楽しそうに嬉々としてやっている。作業のスピードはめちゃくちゃ早い。やはり、やる時はやるもんだと安堵。

この日の午後に西田さん(KFCメンバー)やタイム計測会社ネオシステムの 清本さんたちも到着した。その夜は、スタッフ9名で ロタ・リゾートのレストランで夕食を取った。現時点の進捗状況を話し、情報を共有した。この時、清本さんが「持参する予定の ドローンが墜落して、壊れてしまった。」と話した。ロタ島初の空撮は来年に持ち越しとなった。

9.【11月13日木】ロタ島6日目

この日は朝からバイク・コースとラン・コースの道路上にスプレーで矢印とセンターラインを引く予定していた。

大会当日の 早朝4時から観光局スタッフが、この矢印に従って、各地点にサインボードを設置して回るのだ。また、島の裏側の道路に 一部センターラインのない区間があり、バイクの正面衝突を避けるために、ブラインド・コーナー部分だけにセンターラインを書くことに している。これらは毎年のルーティン・ワークだ。

ところが、この日は朝から生憎の雨、路面が濡れていてはスプレーが効かない。雲の動きを見ながら待つしかない。 到着以来ずっと晴天続きだったのに・・。人生とは、いつもこんなもんだ。

しかし、願いが通じたのか、昼前には雨雲が去り、陽が射してきた。南の島では30分もすれば路面は完全に乾いてしまう。 すぐに作業に取り掛かった。ここでも、市川さんの独断場だ。

今では、我々が道路にスプレーしている様子を見て“今年もトライアスロンが始まるんだ”と島民たちが理解してくれる。 そして、手を上げたり、クラクションを鳴らし、"welcome"の合図を送って来る。しかし、当初の頃は、島の道路に落書きをしている 怪しい日本人と映ったそうだ。当然だ。

夜にグアムからチャーター便が到着し、全選手と共に上村(KFCメンバー)と専属カメラマンの小野口くん、 それに招待選手の宮塚さんと白戸さんが到着した。スタッフ13名全員が揃ったことになる。頼もしい最強のメンバーだ。 これで何が起こっても対応できる。

10.【11月14日金】レース前日

皆、朝から臨戦モードにスイッチ・オンしている。この日は現地登録(11:00〜)と試泳(13:00〜)、そして、夕方から競技説明会を 予定しているからだ。いよいよ本番だ。

宮塚さんと白戸さんは、適当な時間に各々のトライアスロン・キャンプとバイク・ツーリングを始めている。我々は受付で 手渡すトラバックを持って、午前10時に受付会場であるベイブリーズへ向かった。

今年も、サイパン観光局本局からマーチン、 エド、ライアンの親KFC派の3人が手伝いにやってきてくれた。

聞くと、この日、サイパンから受付時間に間に合う定期便がなかったので、小型機をチャーターして飛んできたと言う。 本当にロタはアクセスが良くない。それにしても、費用の掛かるチャーター機を手配してまでも、駆けつけてくれたのには感謝だ。 観光局長のペリーがチャーター便を手配してでも“大西さんの手伝いに行け”と言ってくれたそうだ。 彼らの気持ちが嬉しい。

そうそうしている内に、11時頃から参加者が三々五々やって来た。順次、登録をして、トラバックを手渡した。予定よりも早く、 12時頃に終わってしまった。しかし、試泳は午後1時を予定していた。

ロタのダイナミックな海を知らない初参加の選手だろうと思うが、数名の選手が、 時間があるので予定より早く個人で試泳を始めたいと言う。暑いので、その気持ちは分かる。

ロタの海は深い外洋を使うので、レスキューボートのカバーなしに泳ぐのは危険過ぎる。大海原での人間の泳力など高が知れている。 単独試泳の場合、沖で、何かパニックを起こせは一巻の終わりだ。だから、手配しているレスキュー用のボートやジェットスキーが 到着するまで待ってもらうことにした。

午後1時前には、ロタ警察の高速艇とジェットスキー、ダイビングショップのボート2艇、 それにカヤック数艇がそれぞれイーストハーバーに到着した。頼もしい仲間たちだ。また、港には救急車もスタンバイしている。

因みに、のんびり屋のロタ島民がオンタイムに現れると云うのは、トライアスロンの以外の場面では、有り得ないことだ。

今年も、泳力に応じて、上級者、中級者、初級者の3グループに分け、それぞれを白戸選手、清本さん、宮塚選手がリーダーとなって、 泳力に応じて試泳をおこなった。試泳の目的は、深く透明度の高い海(ロタブルー)に慣れてもらうこと、また、陽射しの強い昼間に 水中写真を撮ることの2点だ。

試泳は翌日に疲労を残さないため、例年、1時間以内で終えることにしている。しかし、この日は波が高く、流れがあったので、 ほとんどの選手が右手に大きくながされた。そのため、1時間を軽くオーバーしてしまった。

試泳は、選手のためだけでなく、レスキュー・チームにとっても、今年の選手の泳力レベルや要注意ポイントを把握することができる 一石二鳥のイベントだ。ロタだけでなく、南の島の医療施設は日本と比べれば貧弱だ。だから、いつも安全には臆病なほど神経を使う。

試泳と並行して、イースト・ハーバーでは、ロタ観光局のスタッフがバイク・ラックやシャワーの設置で忙しく動き回っている。 また、メイヤーズ・オフィスのスタッフはテントや簡易トイレの設置をおこなっている。皆、活気に満ちている。

夕方6時からロタ・リゾートのレストラン・テラスで恒例の競技説明会を行った。大西の競技説明会はいつも短い。30分ほどで終わった。 その後、その場でカーボ・ディナーに移行した。

11.【11月15日土】レース本番

いよいよ今日はレースの日だ。島中がトライアスロン一色に染まる日だ。

スタッフは皆、04:00に起床。雨は降っていない。風もない。 絶好のトライアスロン日和だ。晴れなら、半分は成功したようなものだ。

まだ暗い04:30にレストランから朝食を持って、スタッフ全員が 2台の車に分乗し、大会会場であるイースト・ハーバーへ向かう。

05:00過ぎから会場へ選手がやって来る。到着した順番にナンバリングをし、タイム計測用のアンクル・バンドを手渡していく。今年、 ネオシステムによる計測システムを導入した。ロタでは初の自動計測だ。

04:00からロタ観光局のスタッフがバイク・コースとラン・コースの各折返し地点にサイン・ボードを設置して回っている。 06:00にはスイムのレスキュー・チームが沖のスイムコース上でスタンバイしている。

そして、07:00にはバイクの各エイドとランの 各エイドに計13か所に島民たちが配置につく。選手だけでなく、島民たちも、早朝から活動を開始しているのだ。

06:30ジャスト、メイヤーの号砲で21回目のロタブルー・トライアスロンがスタートした。無事にスタートさえ、させてしまえば、大西の役割は ほとんど終わったようなものだ。この時点までが競技運営のしんどい肝の部分であって、あとは、選手たちがレースを作っていってくれる。

ただ、アクシデントがあたった時、すぐに対応できるように気持ちはいつもスタンバイ状態にしておく。コース上を救急車が走っているのを 見るだけでも、スタッフ皆に緊張が走るものだ。

午前中に51.5部門の選手は全てフィニシュしてしまう。準備に要する膨大な時間に比べ、レースはあっという間に終わってしまう。

そして、アクシデントの発生がなければ、昼過ぎ、70.3部門のラン・コースに冷たいゲータレード(スポーツドリンク)をどっさり持って、 巡回に入る。これをするようになってから、脱水症で病院へ運ぶ選手が激減した。

2時半頃、最終ランナーがフィニシュした。脱水症も怪我人も出さずに、レースは成功裏に終えることができた。ひと先ずは、 やれやれだ。皆の肩の荷が下りる瞬間だ。

この後、ホテルへ戻り、部屋に籠って、ネオシステムが出した結果表に基づいて、完走証を作り、急いで夕方からの表彰式の準備に入る。 エンドが決まっているので、この時間帯はいつも超の付く忙しさだ。誰にも邪魔されないようにドアには鍵を掛け、電話にもでない。 表彰式が無事に終わるまで、 大会が完全に終わったとは言えない。

表彰式は夕方6時からソンソン村にあるラウンド・ハウスで催された。

我々の心配をよそに、パーティの料理は例年と変わらず 子豚の丸焼きを始め、スベアリブ、チキンBBQ、エビ、パパイヤ・ピクルス、フルーツ等々の美味しいBBG料理が並んでいた。 いつもと違ったのは、島のダンサーによるダンスはなかっただけだ。

続いて、我々が壇上に上がって、表彰式を行った。皆疲れているので、 巻いた。KFCで表彰式と言えば、MC男、鍛鉄工芸家西田さん の独壇場だ。そして、今年のロタブルー・トライアスロンは滞りなく無事に終了した。 全身から力が抜ける瞬間だ。

直後に、空腹を覚えた大西は、大好きなスペアリブとチキンBBQ、それにパパイヤ・ピクルの3点に的を絞って貪った。この日は、 早朝4時からこの時まで何も食べていない。これはいつもことだ。

ホテルへ帰った途端、終わったという安堵感、続いて、達成感が湧いてくる。その後、何もしたくなくなる。大会(をやること)の醍醐味は、 終わった後の達成感と充実感にあると思う。もちろん、事故や怪我人を出さないで、という条件付きだが。

12.【11月16日日】レース翌日

翌日の朝、選手の皆さんが帰られるので、ロタ空港まで見送りに行った。この部分は旅行社がしっかりケアしてくれるので、 我々のすることは何もない。

そして、その日の午後、時間が空いたので、スタッフ全員でテテト・ビーチに行った。

例年なら、翌日(月)にはサイパンへ飛ぶので、この日の午後はメイヤーの家にお礼に行ったりして忙しい。ビーチに行く暇などない。 大会後にビーチで遊ぶのは久しぶりだ。おそらく約10年ぶりだと思う。なぜなら、今年は月曜日帰りの飛行機がないので、幸か不幸か、 この日の午後と明日丸一日の時間が空いたのだ。

13.【11月17日月】ロタ10日目

この日は15年振りにコーラル・ガーデンに行った。というのは、ブルー・パームスの高久さんに「もし、時間が空けば、 ダイビングでもどうですか?」と声を掛けられていたからだ。高久さんも昨年の第20回大会を最後に大会は終わると思っていたと言う。 それが、今年も継続と知って、たいへん喜んでくれた。

居残り組スタッフ7人のうち、2人はタンクを背負ってダイビング、4人はシュノーケリング、そして、大西はゴーグルだけで泳ぎを 楽しむことにした。試泳の時、選手が気持ちよさそうに泳ぐのを見て、大西の体内にもロタブルーで泳ぎたいと言うストレスが 充満していたからだ。久しぶりに行ったコーラルガーデンは奇麗だった。まるで透明なブルーのガラスの中にいるような感覚だ。 やはりロタの海は別格だ。

因みに、コーラル・ガーデンというのはラン5kmの折り返し地点のすぐ沖合にあるダイビングポイントだ。

皆、思い思いに1時間ほどコーラルガーデンを楽しんだ。大西も一観光客として、存分にロタブルーを楽しんだ。ボートに上がった時、 冷たく冷やしたココナッツ・ジュース(実にストローを刺したもの)をもらった。最高に美味かった。これは、前もって、高久さんが用意して くれていたものだ。

そして、このボート・ピクニックは高久さんからのプレゼントだ。感謝!

ホテルへ帰って、午後4時から皆で洗濯物を持って、シナパル村にあるコイン・ランドリーへ行った。1週間分の洗濯物だ。ロタでは 各家庭に洗濯機はない。皆、コインランドリーを利用している。だから夕方6時頃から島民たちが洗濯物を持って、三々五々 コイン・ランドリーに集まってくる。女(オカマもいる)たちによる井戸端会議ならず、コインランドリー会議が始まる。そして、 島の情報交換の場となるのだ。

その夜はソンソン村に夕食を食べに行った。その帰り、フロント・ガラスを透して見える星がやけに明るい。そこで、明かりのない場所へ 星を見に行った。

明かりのない場所で見るロタの星空は素晴らしい。心臓がドキッとするくらいだ。その一つひとつの輝きが大きすぎて 星座がよく分からない。星雲もはっきりと判る。大きな流れ星を見た。流れ星と云うよりも隕石と呼んだ方がいい。滞空時間が3秒ほどもある オレンジ色の大きい尾を持つもので、皆、大興奮だった。カメラがなかったのが、残念だ。

14.【11月18日火】サイパン島到着

午後2時過ぎ、サイパン島へ。空港を出ると、レンタカー屋のスタッフが待っていてくれた。これもチップの効果だ。1時間は時間を 節約できる。

レンタカーを受け取り、すぐにサイパン観光局へ行って、お礼を言った。ついでに、来年2月のテニアン大会の話を チョコとした。

次に、アイランド・アパレル(Tシャツ工場)へ行って、テニアン大会用の参加賞Tシャツをオーダーした。その後、 PDI(近ツリ現地支店)にもお礼に立ち寄った。夜に友人のJMゲレロとジェームスにロタ大会のTシャツを持って行った。巻き巻きで動いた。

これでサイパンで“やるべきこと”は全部済んだ。そして、今年のロタ大会が全部終わったのだ。後は、ホテルへ帰って寝るだけ。明日は、 午前中ゆっくりして、空港へ行って飛行機に乗るだけだ。

2週間、緊張の連続で、慌ただしいが、終わってみれば、あっという間の出来事のように感じる。そして、 ずっと以前の出来事の様にも感じる。

2014/12/12 KFC記