イベント報告
トライアスロン・アイランド・シリーズ誕生秘話
The Story of Traithlon Islands Series

近年、アイランド・シリーズ参加者の一部の間に「アイランド・シリーズの島々には日本人が住んでいた痕跡や墓が、必ずあるのは 何故だろう?」ということが話題になっていると耳にしました。鋭い指摘です。その通りです。これを受けて、シリーズの誕生秘話を 書くことにしました。

現在、我々KFCが「トライアスロン・アイランド・シリーズ」を開催している南洋5島(ロタ、テニアン、サイパン、グアム、パラオ)と 日本とは 特別な関係にあります。それは、第1次世界大戦終結(1918年)か ら第2次世界大戦敗戦(1945年)までの約30年間、 多くの日本人が移り住み生活していました。

すなわち、日本が統治したり、占領していたと云う重い過去のある島々です。だから、 日本人の痕跡や墓が残存しているのです。皆さんのご指摘の通りです。

それらの中でも、特にパラオには、その当時、 日本の南洋群島(パラオ、サイパン、ロタ、テニアン、ヤップ、ポナペ、トラック等々) 全体を管轄する南洋庁本庁が設置されていたほど 特別な関係にありました。そして、米国に対し日本人と共に太平洋戦争(第2次世界大戦) を戦ったという悲惨な過去があります。それにも拘らず、これらの島々の人たちは、今以ってほとんどが親日派です。

【驚愕の生の歴史】

1983年、大西はグアム島でパラオから終戦後にグアムに移住してきた2人の年配のパラオ人と知り合いました。そして、 彼らから戦前の日本統治時代は楽しかったと云う意外な言葉を聞かされました。これには驚きました。

日本人は、その当時、原始的な生活をしていたパラオ人に農業を教えたり、学校を建てて基礎教育を施したり、道路や電気や病院などの インフラ整備をしたり等々、多くのことをしてくれたと言います。その結果、パラオ人の生活レベルは飛躍駅に向上したそうです。 だからパラオ人は今でも日本人にたいへん感謝していると話してくれました。

彼らの話を聞いて、驚きと同時に、世代は違うが、日本人の一人として、申し訳ない気持ちがありつつ、嬉しく感じ、強く心を 打たれました。教科書では絶対に教わることのない生の歴史を垣間見た気がしました。

片や、同じ時期に日本時代を経験した中国と韓国とは、 その国民感情が大きく違うことにも驚きました。

彼らは2人ともパラオのペリリュー島から移住してきたと云う。当時の日本式の小学校を卒業しているので、流暢な日本語を 話しました。その一人はヨイチという名前で、弓の名人である那須与一に因んで日本人が付けてくれたものと話してくれました。そして、 「日本は山椒のような国です。何故なら、小粒でもピリリと辛い。」と日本を評価してくれ、超の付く親日派でした。

因みに、 ペリリュウ―島は、太平洋戦争の激戦地で、昨年4月に天皇が慰霊に訪問された島です。

【グアム観光業の父はパラオ人!】

そして、もう一人のラティ・アタミ(女性:たぶんアタミは熱海)さんはタムニン地区にあった 伝説のアタミズ・アパートメントの オーナーで、彼女の亡くなったご主人(パラオ人)と共に何もなかったグアム島で、初となる観光業を興した人です。

当時の苦労話をたくさん聞かせてくれました。今では一大観光地となっているグアムですが、その当時は、タモン地区に日本資本の「グアム第一ホテル」 があっただけで、他は民宿のような粗末なものが2〜3軒くらいで、道路も未舗装だったと云う。因みに、現在、「グアム第一ホテル」は経営者が変わり、「フィエスタ・リゾート・グアム」となっています。

当時(1970年代)のグアムでは観光業が仕事になるとは、彼ら以外に誰も考えてはいなかったという。そして、海外旅行が自由化された日本から観光客が 来島するようになり、よく儲かったそうです。と云うことは、何と、グアムの観光業を興したのは、グアム(チャモロ)人ではなく、 商才に長けたパラオ人だったのです。

【交流の2年間】

その後2年間ほど、アタミさんのアパートを1室キープし、グアム島を訪れることが多くなりました。お決まりの観光ではなく、 グアムにあるパラオ人コミュニティに参加させてもらい、その付き合いの中から、グアム島の歴史や習慣、パラオ人やチャモロ人の 島民気質、それに統治国米国と云う国に関しても多くのことを学びました。

また、そのアパートに住む韓国人やフィリピン人とも、自ずと親しくなりました。そして、彼らからも多くを吸収しました。決して、 日本にいては学べないことばかりです。

短い期間でしたが、彼らとの付き合いにおいて、日本人の端くれとして、申し訳ない気持ちや、今もなお親日でいてくれることへの 感謝の気持ちが一層強くなりました。

【その10年後、日本人の端くれとして】

1993年4月に観光目的で初めてロタ島を訪れました。初めて訪れた島で大規模なフィールドを使うトライアスロン大会ができると 直感できたのも、グアムでの経験や知識があったからに他なりません。

そして、その翌年1994年4月に第1回ロタブルー・トライアスロン大会を立ち上げました。大会終了後、ロタ島民は、 何もないロタでトライアスロンが出来たことにたいへん感動し、喜んでくれました。

そして、これを機に、日本人の端くれとして、かつて日本時代を経験された島々で、何か貢献したいという思いが強くなりました。 その気持ちが、微力ながら現在の「トライアスロン・アイランド・シリーズ」と云う形で具現化していったという次第です。

【シリーズ化への動き】

初期の頃のロタ大会に参加したサイパンやグアムのローカル選手たちが中心となって、帰島後、さっそくサイパンでは スチュアートたちが 北マリアナ・トライアスロン連盟を、グアムではマーク達がグアム・トライアスロン連盟を設立しました。それだけロタ大会が彼らに インパクトを与えたのです。

その後、サイパンやグアムからトライアスロン大会を立ち上げたいので、手伝って欲しいと云う依頼が来るようになりました。当然、 快く引き受けました。グアム島ではトライアスロンやOWSを合わせると、過去に40本ほどやっていると思います。ただ、グアムは 現地組織の派閥争いが多々あり、5〜6本ずつ何度も相手組織が変わりました。グアム島での大会は長続きしないようです。

現在はレオパレスリゾートの依頼でマーク達の組織(グアムトライアスロン連盟)とやっています。サイパンでもタガマン以外の トライアスロンやOWSを何度かやりましたが、現在はタガマンを手伝うことで落ち着いています。

テニアンは、島に大会を運営できるような組織がなかったので、ロタ方式で、すなわち、我々KFCが全てを運営するという形で、 行政と共に15年間(東日本大震災の年は中止)開催しています。因みに、テニアンは広島と長崎に向け、原爆を搭載したB29撃機が発進した島として世界的に有名な 島です。

でも、今年は、島唯一のホテル「ダイナスティ&カジノ」がクローズしたため、急きょ、中止にしました。15年間もやってきたので、 残念です。

個人的に大好きな島で、ロタに次いで、こちらから積極的に大会をやりたいと思った島です。一時も早く、何とか 復活させたいと思っています。

パラオは、シリーズ中、最も付き合いが短い島です。と云っても、今年で10年になります。キッカケは、ダイビング客以外のマーケットが 欲しいと云うことで、JTB経由で新宿にある駐日パラオ大使館からトライアスロン大会をやって欲しいと連絡があったことです。もちろん、 快諾しました。”ついに来たか!”と云う気持ちでした。

パラオは他の4島と違って、独立国です。それで、最初はパラオ・オリンピック委員会を現地窓口として開催していました。現在は、 パラオ・トライアスロン連盟が、それに代わっています。そして、オリンピック委員会は政府とのアレンジを担っています。

パラオ人はプライドの高い民族で、最初の5〜6年はなかなかスムーズに 行きませんでした。余りにも気持ちがないので、腹を立て、叱ることも多々ありました。観光産業に対し、大使館と平の島民とでは、 温度差があり過ぎたのです。

それで、4年前に見込みなしと判断し、中止しました。すなわち、見切りをつけて、行かなかったのです。すると、その翌年から 熱烈なラブコースがあり、それに応じる形で再度開催しました。

それ以降は、人が変わったようにやり易くなりました。その後、 年々関係は良好になり、今では他の4島同様に非常に良い関係にあります。それに応じて、競技の質も高まってきました。今後に乞うご期待です。

また、2020年のオリンピック開催の候補地として東京が名乗りを上げた時、オリンピック委員会理事長に東京の応援を頼むと快諾してくれ、 東京開催の応援団に加わってくれました。パラオ共和国には1票の投票権はありませんが、意思表示はできます。

【シリーズ独自のルール】

アイランド・シリーズの運営方法に関して、国力の違いから独自のルールを設けています。

■現地の島にトライアスロン連盟のような組織がある場合は、立ち上げ時の第1回大会は、例外として、我々KFCが前面に出て 運営しますが、第2回大会からは彼らを立てて、我々は表に出ないように心掛けています。

■現地参加費と日本人参加費は同一額ではありません。日本の参加費に対して、現地選手の参加費は半分以下です。何故なら、 経済大国日本とは個々の収入に大きな格差があるからです。

例えば、パラオの最低賃金は時給1.5ドル、北マリアナ諸島は久しく 時給3ドルでしたが、最近の米国併合でようやく4ドル〜5ドルくらいになりました。よって、参加賞やアワードパーティ等々の 財源は日本人の参加費が主に充当されています。これらの格差について、過去に不満を漏らした日本人選手は皆無です。

【ス−パ−インパクト、安倍総理をロタ島へ】

昨今、中国と韓国は反日政策を掲げ、日本と両国とは何かにつけ軋轢を生んでいます。その原因は、中国や韓国に対する日本統治時代にあります。 これは南洋群島の日本統治時代と同時期です。

この時代の日本は、北は中国や韓国、南はミクロネシア諸島まで広大な地域を統治していました。そして、時の政府は、沖縄を2等国民、 ミクロネシアを3等国民、中国や韓国を4等国民と差別化をして、統治していました。この政策がそもそもの大間違いで、現在の中韓両国の反日感情の遠因と なっています。

その結果、現在、超反日の中韓、超親日のミクロネシアという大きなギャップが生じています。安倍政権は、中韓両国のプレッシャーからか、 反日国家ばかりに目を奪われています。これでは全体像が見えてきません。これらの難題を根本から解決するためには、親日国家(島)の 現状を知ることや、それらの存在を世界へ発信することも大切です。そうすることで、世界の日本を見る目が変わってくるはずです。

ロタ島民たちは、中韓両国の反日感情に対して、常に日本の立場で物申してくています。微力ですが、数少ない日本の応援団です。 そこで、日本のリーダーである安倍晋三総理に世界中で最も親日派の人々が暮らすロタ島を訪問して欲しいと思いました。

粘着質の中韓両国との関係を正常化するためには、安倍総理のロタ島訪問と云うスーパーインパクトが不可欠と 思っています。

2014年夏、その実現に向けて、行動に移しました。米国と云うことで、 公的訪問は問題が多いだろうから、私的でも良いと伝えています。また、ロタの滑走路が短いと云う問題もありますが、安倍総理がその気になれば、そんなもの、 どうにでもなります。

そして、一昨年8月、嘆願書に資料を添付し、地元青梅選出の 井上信治自民党衆議院議員(秘書)に事情を説明し、その嘆願書を安倍総理に渡して欲しいと託しました。

しかし、未だに、安倍総理サイドからも、井上議員事務所からも、何の連絡もありません。もうしばらく待って、何の反応もなければ、ダメ元で、直接、安倍総理にアタックしようと 思っています。

【最後に】

天皇は慰霊のために2005年にサイパン、そして、昨年にパラオをすでに訪問されています。だからという訳ではないですが、次は、 日本の総理大臣に、世界的には無名ですが、超親日派の人たちが住むロタ島を訪問して欲しいと願っています。

この訪問によって、 閉塞感の強い中韓両国との関係が、今後大きく変わるかもしれません。

そのことにアイランド・シリーズの存在や、それを通して培ってきた草の根ネットワークが少しでも役に立てば、嬉しく思います。

2016/01/18 KFC記