第19回サイパン・タガマン
(2008年3月15日)
19th Saipan Tagaman!!
■タガマン2008参加レポート 松丸真幸 場所:北マリアナ諸島サイパン島 距離:スイム2km、バイク60km、ラン15km 参加人数:54人 天候:快晴、気温28℃ メディア:群馬テレビ、サイパン地元新聞 使用機材:サプリメント MEDALIST〔フリーダム含む〕 レースウエア 2XU:エリートトライシングレッド パンツ 2XU:エリートトライスーツ ランキャップ 2XU:トライアスロンキャップ ゼッケンベルト 2XU:レース用ナンバーベルト ソックス CORRATEC:チームソックス フレーム CORRATEC:RTカーボン フォーク CORRATEC:2008モデル ヘルメット ALPINA:MORANO アイウエア ALPINA:TRI-GUARD 40 バイクシューズ SHIMANO:SH-TR50 ペダル SHIMANO:PD-7810 ホイール前 SHIMANO:デュラエース ホイール後 PRO:ディスクホイールカーボン クリンチャー ステム PRO:PLTアヘッドOS シートポスト PRO:PLTシートポスト アクセサリー PRO:ボトルゲージ ランシューズ SAUCONY:2857 【成績】総合2位〔日本人1位〕 【内容】今年もトレーニングの一環として、タガマントライアスロンに参加。前日もガッツリと練習をこなしてレースに挑んだ。昨年は2位だったので、今回も目標はトップ3。賞金が良いせいなのか、何気にタガマンは海外から強豪が揃う。 レース当日の天候は、快晴で暑かったが、私はそんなに気にならなかった。スイムは、PICホテル前の海。リーフに囲まれ、とても穏やかな場所だ。透明度も高く、遠浅であるので初心者にはとてもお勧め。ここを逆三角形で泳ぐ2周回。泳ぎやすいコンディションなか6時にスタート。プロ選手はウエットスーツ禁止なので、2XUの泳いでも大丈夫なウエアを着用。それなりに頑張って泳いで、5,6番目で上陸。バイクに移る。 バイクの序盤は、フラットコースだが海岸線を走るので風が強い。また、サイパンは路面の悪いところもある。私はコラテックのRTカーボンを駆った。これは、振動吸収に優れているバイク。ストレスなく快走し、他の選手を一蹴する。あっという間に、トップを走っていた元世界チャンピオンのアンドリュー選手を抜かし、先頭に躍り出る。1週間でバイク1000kmを走った練習はウソをつかない。〔当然ながらスイム、ランもおこなう〕 サイパン最北端の観光名所「バード・アイランド」に到着。1位を独走。2位はアンドリュー選手、3位は韓国の選手。そのあとは、外国人選手が何人かだったが、全く気にならない。北部のほうは、アップダウンがきついので、ここは踏ん張りどころ。だが秘密兵器であるメダリストの強化版「フリーダム」を摂取していたので、元気モリモリ。あまりきつくなかった。選手中、唯一、平均時速40kmオーバーで、バイク60kmの行程をいち早く終了。ランシューズに履き替えて、素早くコースへと飛び出す。 ランニングは、海岸線を走るフラットなコース。だが、日陰ゼロ。気温も上昇してきた様子。私はランも快調に飛ばす。しかしながら、元世界チャンピオンが追い上げてきた。ついに折り返し手前で追いつかれてしまった。私もギアを上げることは出来たが、ここでむきになって、フルパワーで頑張ってしまうと、今後のシーズンに影響があるので止めておいた。あとは無難にランをまとめ、自己ベスト55分で走ってゴール。〔ランラップ2位〕合計2時間56分、2分差の2位でゴール。 昨年は3時間3分だったので上出来だ。現在、体の仕上がり具合は85%といったところか。あとは、4月のシーズンインに向けて徐々に量を落とし、質のトレーニングで体を研ぎ澄ましていく。 【感想】いつもサポート本当にありがとうございます。しっかりと良い状態に持っていって、シーズンに突入します。これからもどうか宜しくお願い致します。 【追伸】群馬テレビ局が来ていたので、今回の大会模様が放映されると思います。 ■TAGAMAN TRIATHLON 2008参戦記 石川歩 トライアスロン初の海外レース。そしてミドルディスタンスも初参戦。今回はタイムを狙う、というよりはサイパンの自然や人との触れ合いを満喫したいという思いで挑んだ。 レース当日は、想像していたよりも涼しい1日だった。スイムは、PICホテル前の海からスタート。逆三角形を2周回するコース。スタート時は暗くしっかりと目標のブイが見えなかったが、泳いでいるうちに空は明るくなってきた。 泳ぎながら、ふと見上げたときの空の美しさを今でも思い出す。朝日に染められてピンク色に染まった空にうろこ雲が模様を作り…泳ぎながらもハッとさせられた。水中では珊瑚や藻、魚たちが楽しませてくれる。こんな美しい海でスイムができるなんて日本近海じゃ考えられない!ミドルは初めてなので比較的ゆっくりめで様子を見ながらスイムアップ。 バイクを漕ぎ始め、順調な出だしかと思いきや…早々に路面の穴に突っ込み、補給食とボトルがフレームから落ちてしまう。停まれば良かったのにパンクを心配して進んでしまう。ふと我に返ったときに、この先ボトルをもらえるエイドまで約30kmあると気付く…気が遠くなったが、それを目指そうと漕ぎ続ける。 道中、大方一人旅が続くが沿道の人たちが応援してくれるのに励まされる。一人なのがずっと続くとコースが合っているか不安になってくる…でもそれを見通すかのように黄色のカラーコーンが現れて、ちゃんと私を導いてくれる。これだけの距離にカラーコーンを配置する手間を思うと、改めて大会運営側に頭が下がる。 強い風や渇きが次第に体力を奪って行く中、ようやくバンザイクリフが右手に見えてきた。薄青の空に浮かぶ真っ白な雲を背景に聳え立つそれは、厳かで偉大で、今こうして平和に競技をできている場所に惨劇があったことを静かに彷彿とさせた。その眺めに圧倒され、何とかエイドまで辿り着けた。 スポーツドリンクの入ったタガマンボトルを受け取り渇きを癒す。それから上った坂の先には真っ青な海が水平線を描いている。美しいそれに目も心も奪われた。今でもあの景色をはっきりと覚えている。 途中追い越す人たちと少し会話をして、励まし合って進む。ピンクのユニフォームを着てピンクのバイクに跨がる私に、皆が"Pink, good!!"と声を掛けて背中を押してくれた。 街中に戻り、ランへのトランジットエリアに。右か左かどちらに進めばいいか分かりかねている私のバイクを大柄な男性ががしっと停めてくれた。頼りになるその男性は、実は大会始まって以来のベテランストッパーらしい。 彼のお陰で無事ランに移ることができ、歩を進める。右足の甲に痺れを感じたが、ビーチロードの直線に出た時に追い抜かした老齢の白人男性が励ましてくれたのが嬉しくて、また右手に広がる海の美しさに魅了されて、次第に気持ち良く走れるようになる。実はこの男性とは仲良くなって、今もメールのやり取りをしている。 途中すれ違う仲間と声を掛け合い、走っていき、一人の女性を抜かす。「頑張って下さいっ!」彼女から元気な励ましの言葉をもらって驚く。競争相手の応援をこんなにも快くできるものかと。後で知ったのだがこの女性は運営に携わる方で、翌日のバーベキューを主催して下さった。運営される方たち始め、たくさんの温かい人たちのホスピタリティがこの大会の大きな魅力なのだと思う。 走り続け、次第に濡れたシューズが靴擦れを起こして、痛みが酷く、歩いてしまおうかと思う。それでも美しい景色に暖かい気候、温かい人たちの応援に感動しながら進む。 フィニッシュラインへの直線は、競技を終えてしまうのがもったいないくらいで……ただただ感激のままにそのラインを走り抜けた。 フィニッシュして、血まみれになった私のシューズを見て、救護担当の方たちが手厚く処置をしてくれた。隣のイスに座っていた白人男性選手が手当てを受けながらも気さくに声をかけてきてくれる。こんなところまで、この大会は温かい。 レース前日にはカーボパーティー、当日夜はアワードパーティー、翌日はビーチでバーベキュー。大会の運営側が食べ放題飲み放題で催してくれた。そこで交流を楽しみ、食事を頂く。余計なお世話とは分かっていても、ついつい「赤字じゃないの?」と心配してしまう。決して海外レースに楽に来られる訳ではないので、お財布にも優しく、感謝感謝だ(笑) アワードパーティーでは、エイジ優勝のメダルと手作りのレイの冠を頂いた。選手だけでなく、ボランティアの方たちも表彰するという何とも温かくて素敵なパーティーだった。 ふと、あの島で過ごした日々を思い出す。それはあまりにも満たされた至福の時間で、日本での毎日を送るエネルギーを与えてくれた。来年も心の充電をしにまたサイパンの地を踏みたいと強く思う。 ■第19回タガマン2008参加レポート 平田泰久 18年ぶりに常夏の島、北マリアナ諸島サイパンに上陸した。 気温32度ながら日本のように重い空気ではなく、さらっとした心地よい風が気持ちよい。やはり僕は、こんな自然に囲まれた島の風土が好きだ。しかし、多くの日本人が犠牲になったことは忘れてはならない。慰霊碑の前で僕は静かに黙祷した。 今回は、家族旅行も兼ねていたため選手とは別ツアーで、選手達の宿泊地PICから15kmほど離れたホテルだった。レース前日は、2時過ぎに起床してランニングのアップ、おにぎり2個を詰め込んで3時半に自走でPICに向かった。 受付を済ませ、バイクをセットし4時半にスイム会場に着いた。まだ誰もおらず、しばらくビーチのソファーに横たわり、きれいな星空を眺めながら、南国にきたなぁ〜と実感していた。 南国のレースはのんびりしていて、そろそろ明るくなってきたのでスタートするか〜というアバウトさでブイもスタート直前に運んでいた。三角形のブイを2周するコースで、まだやや暗い中でスタートがきられた。 アップは十分だったので良いスタートがきれた。コースも外れることなく魚を見ながら気持ちよく泳げ、タイムは32分37秒(2km)。ロングのトッププロアスリート松丸選手が30分04秒だったので上々のタイムで上がれた。 バイクは前半フラットコースだったのでガンガン踏んだ。二人をパスするもその後は一向に選手が見えなかったが、宿泊ホテルの前で子供たちが8位!と教えてくれた。 しばらく行くと、前に選手が見えたのでペースを上げ、上り坂で抜く。さらに二人抜き5位まで上がる。しかし、ひとつめの折り返しで、そのまま直進してしまい痛恨のコースミス。 カムバック!!という叫び声で気づいた。1分ほどのタイムロス。後半はややペースが落ちたものの5位をキープしてランに移る。タイムは1時間41分47秒(60km)、AVE35.3km。松丸選手は1時間29分01秒AVE40.1kmと圧倒的な速さだった。 ランはそれほど暑くなかったのでエイドでは水を取らずに走った。6kmの折り返しで後方を確認するとふたりの選手が猛烈に追い上げてきている。ひとりは背の高い白人で“good job!”と手を上げてくれた。かなり余裕がありそうだ。 もうひとりは韓国のキム選手で、2006年宮古島で29位の選手だ。このままではふたりに抜かれてしまうのでペースを上げた。賞金は6位までだ!気温も上がり始めやや脱水気味になってきた。それでも前の選手が近づいてきたのでさらにペースを上げて4位に上がる。よっしゃぁーこれで賞金$500! 12km地点のメモリアルパークに戻ってきて、子供や嫁さんが声援を送ってくれる。“行け〜〜!!”嫁さんの声援は一段と大きかった。でも僕は一杯一杯でその声援に応える余裕はまったくなかった。 そして、ラスト500mで一度抜いた選手に抜き返され5位に落ちた。そのまま倒れこむようにゴール!タイムは57分21秒(15km)、3分49秒/kmペース。松丸選手も55分15秒で走ったもののランで抜かれ惜しくも2位だった。 しかーし、アワードパーティの表彰式で僕は年代別1位で表彰され、総合の表彰からは外され5位の賞金$300はゲットできなかった〜そういえば競技説明会の時、カテゴリーの変更をどうのこうのと英語で説明していたなぁ?僕は一般の部ではなくエイジの登録になっていたようだ。へたこいた〜〜!! ■第19回タガマン2008参加レポート 清水舞美(サイパン在住) 私にとって2回目となるタガマントライアスロン大会がお天気も風もパーフェクトな3月15日、サイパンにて行われました!!タガマンは私にとってはトライアスロンを始めるきっかけとなった記念すべき思い入れの大きな大会! 2年前初めてタガマンでトライスロンレースを見て、「ああ、トライアスロンとは他人との競争ではなく自己との戦いなんだ!」と大感動、これまで「みんななんであんなに辛いことをしているんだろう??」との疑問はどこへやら(笑)、トライアスロンの世界へ足を踏み入れることと相成りました。 そんな今回のレースは?というと、個人的にこれまでで厳しいレースでした。けれど最後の最後まで自分をプッシュし力の限りを出せた、今までで一番良いレースだったと思います! 早起きが大の苦手な私も当日は3時起きで会場のPICへ。夜が開け、空が若干明るさを増してからいよいよスイムのスタートです。 昨年テニアンで行われたレース以来の久々のレースだったため、若干レースがどんなものだったか忘れていた感もありましたが(^^ゞ、とにかく正しいフォームをキープすることだけを念頭に、美しい朝焼け広がる空の下泳ぎました。 ブイを確認するために頭を上げる度、早いスイマーたちが遠くの方で水しぶきを上げるのが目に飛び込んで来ます。素晴らしいスイマー仲間に恵まれて今回のトレーニングでスイムも伸びた私でしたが、まだまだ、まだまだ。 スイムで広がった差を後半で追い上げるのはその差が大きくなれば大きくなるほど大変、次回はもっとスイムを頑張ろうとすでに水中で心に誓った私でした(笑) 一度強烈なパンチをくらう一面もありましたが、相手がすかさず立って「ソーリー!」と謝られ思わず海中で笑ってしまう場面も(笑) そして得意の(大好きな、と言った方が良いかな^^)バイクへと移ります。バイクでは目標があったので、レースでは練習の時よりもずっと、終始押しまくりでした!途中最後に来るランのことが頭をよぎりましたが、「ま、なんとかなるだろう」とひらすらペダルに集中。 そのおかげか結果は目標を大きく上回ったものとなり、大満足な結果が出ました!こういうのを、「火事場の馬鹿力」と言うのかな(^^)? ただしヘルメットを着けた時だいぶ後退していたことに気が付かず、だいぶみっともない姿でサイパンを横断してしてたり(笑)、チェーンが外れたり、スリップが起こりそうになって一度ストップしたり・・・とトラブルも多々。それだけでタイムに響いてくることもあるので、次回はもっと上手く・手早く対処出来るように、そして急いでいてもヘルメットはカッコよく被ること!!・・・(笑)以上が次回のバイクでの課題であります(^^) そしていよいよ最後のラン!これまでは暑くなってからの、しかもバイクで疲れたところでのランを苦手としていた私。でも去年のタガマン、最後の最後で暑さとしんどさに負けて少しスロウダウンしてしまったことが自分の中では大きな悔いとなっていたので、今年は「やりきった!!と思えるレースを」を目標に、最後の最後まで粘りました。 「ネバー・ギブ・アップ、ビリーブ・マイ・セルフ」です!!全般にハイスピードで駆けていたようで、もう本当に『暑い』と言うより『しんどいラン』でした!でもひたすら前に進むことのみに集中、今年は最後の最後でも力強いラストスパート! ゴールテープを手に取った瞬間は、嬉しさのあまり思わず叫んでいました。どうにもこうにもこみ上げてくる嬉しさが、もう止まりませんでした!だって、このゴールの瞬間をひたすら夢見て数ヶ月トレーニングに励んで来たんですものね(^^)!! そしてそこには確かな手ごたえと結果が待っていました。 20分の記録更新☆「ああ〜、もうトライスロンはしばらくいいや。。」しんどいとレース中ふっとかすめるこの思い。でも終わった途端、「あ、次はこうしよう!これがやりたいな、こんな風にしたらどうだろう!?」って何もかもが楽しい思い出となって次に気持ちが向かってしまうのはどうしてなのでしょう!?? そしてまだまだ、まだまだと思ってトレーニングすることの楽しさ!これぞやった人のみが分かる思い。どんなトレーニングを積み重ねても、何が起こるか分からないトライアスロン。面白いです!!! 年々小さくなりつつあるタガマンですが、今年はローカルの子供たちも加わり、和気合い合いとしたサイパンらしい良い大会だったと思います。健康でレースに参加出来たこと、素敵な仲間たち、大会を運営し盛り立てて下さったオーガナイザーやボランティアの皆さん、そして大西さんを筆頭とした日本からの多くの参加者の皆さん、そしてサイパンの美しい自然に、今年も感謝感謝のタガマンだったのでした*** ■KFC徒然 2008年3月15日(土)第19回タガマントライアスロンがサイパンで行われた。タガマンはKFCのサポートレースなので、主催の時とは違い、選手と一緒の日程で、3月13日(木)に成田を出発した。 【主催者への進言】 サポートレースの場合は主催レースと違って気が楽だ。我々の役割は日本での選手募集と、現地では陰ながら日本人参加選手の世話や安全を見守るのが主な役割だ。 だから、突然の競技変更や事故や病人が発生しない限り、我々の活躍の場はない。大会運営に関しては、日本人選手が混乱しない限りは一切口出しをしないことにしている。 但し、タガマンのスタート時間に関しては、何年も前から明るくなってからスタートするように口が酸っぱくなるほどタガマン・コミッティへ進言している。 タガマンが日本人にイマイチ人気がない理由のひとつはこの点にある。真っ暗な時間帯にスタートする大会は世界中探してもタガマンしかない。 サイパンの連中はKFCが募集努力してくれないから日本人選手が集まらないと思っているようだが、それは違う。我々はどの大会も淡々と同様のプロセスを踏んで募集している。だから、参加するか、しないかは選手自身の判断だ。 かつては闇夜の5:30スタートだった。やっと今年から6:00スタートを受け入れさせたが、それでも真っ暗だった。いくら珊瑚礁内の安全な海と言っても、闇夜のスイムは危険だし、海の状況を知らない外国から選手にはハンディであり、フェアなレースとは言えない。 南の島のブルーの海を泳ぐことをイメージして、高い旅費を支払って遥々日本からやって来た日本人選手たちにとってはガッカリである。中には「海が綺麗と言っても、真っ暗中を泳がされては、サイパンに行った意味はない。」と訴える選手もいる。もっともだ。 今年は沖の闇夜の中にフラッシュライトのような光が見える。それに向かって泳げばよいというのである。毎年、暗くてブイが見えないという苦情が多いので、ブイに明かりを点けたという。それなら、もう30分遅らせて、明るくなってからスタートすればよいものを・・・理解に苦しむ。 主催者ビルがスタート時間を遅らせるのを嫌がる理由は、30分遅らせると、終わる時間が30分遅くなり、それだけ暑さが選手にダメージを与え危険だというのがその理由なのである。 ロタ大会やグアム大会やパラオ大会はもっと暑いし、コースももっともっとタフだ。真っ暗な中を泳がせる方が数倍危険と思うのだが・・・、日本人とアメリカ人との感覚の相違なのだろう。彼らもいい奴なんだが、この点だけは如何ともしがたい。 因みに、トライアスロンの世界では、スタート直後が最も死亡事故が多い危険な時間帯として考えられている。競技運営者としては最も神経を使う時間帯なのだが・・・。 【南の島、サイパンへ】 行きの飛行機は日本からの優勝候補プロトライアスリートの松丸真幸選手も一緒だ。他にタガマントライアスロンを取材する為、群馬放送の人達も一緒の飛行機だ。通常サイパンには3時間半程で到着するので、朝出発すれば、午後3時半位(時差の関係で、日本より1時間早い)に到着する。 それから、自転車を組んで乗ったり、海で泳ぐ等、思い思いに過ごすことができる。“安・近・短”がサイパン・マリアナ諸島の魅力的なところだ。 昨年は、ノースウエストのサイパン便が欠航になり、急遽グアム行きに乗り、グアム経由でサイパンに向かうこととなり、“近いけれど、遠かった・・・サイパン・・・”だったが、今年はスムーズにサイパンへ到着した。先週まではあまり天気が良くなかったらしいが、今週は天気が良さそうだ。 夕食は、松丸選手、阪野顕正・翔生親子と共に、ガラパンで毎週木曜日の夜に行われている“ストリートマーケット”へ行った。地元チャモロ料理や中華やバーベキューなどいろいろな食べ物の屋台が立ち並び、チャモロダンスもやっている。とても安くて、おいしく、ボリュームもあり、日本の縁日のような賑わいで、ローカルもたくさん来ていて楽しい。 滞在したパシフィック・アイランド・クラブ(PIC)の周辺は華僑資本の縫製工場が集中したところ、昨年までは中国人出稼ぎ労働者がたくさんいた。しかし今、工場はほとんどが閉鎖されている。そのため、中国人たちはもう国へ帰ってしまったのだろうか、今年はその数はめっきり減っていた。 【3月14日(金)レース前日】 レース前日、皆それぞれに、PICロビーで受付をし、夜の説明会とカーボパーティーまでの間、海で泳いだり、自転車に乗ったりと、調整していた。夕方5時半からPICビーチのビーチバレーコートで説明会が行われた。 コースは例年と同じで、PICのビーチを泳ぎ、バイクは北のバードアイランド、バンザイクリフ、グロット方面へ行く。ランはずっと海沿いを走る。説明は英語、韓国語、日本語で交互に行われた。 カーボパーティーはビーチバレーコート横に設けられたスイムスタート会場エリアのオープンスペースで行われた。今年も、食べ物も飲み物も、ブッフェスタイルで、いつものようにとてもおいしい。 【年々寂しくなるタガマン】 今年の参加者の数は日本人が一番多く約30名、現地サイパン選手が10名ほど、そして、韓国やグアムやアメリカからの選手を合わせて、トータル54名(チームリレーの選手は除いて)と少ない。テーブルの数、会場の人々を見ても、目に見えて少なく、寂しい感じだ。 サイパンでもかつてトライアスロンをやっていた人達がサイパンを出て行ってしまったり、サッカーなどの他のスポーツに興味が移ってしまっているようで、元気がない。 明日は早朝からレースなので、パーティーは早めにはけ、我らが松丸選手は本番使用のバイクではないものの調子が良さそうなので、明日が楽しみだ。不幸にも、本番用TTバイクは一週間前に航空会社の取扱いミスでフレームが破損してしまったのだ 【3月15日(土)レース当日】 いよいよレース当日。今回サイパンに入ってから、天気だけは申し分なく良い。スコールもなく、南の島特有に暑いが、湿度もそんなに高くなく、わりあいカラッとしていて過ごしやすい。 朝、タガマンはいつもの事だったが、スタートがこっ早い。それでも今年は、やっとスタートが午前6時になった。今までは午前3時からナンバリングを始めて、午前5時半スタートだった。まだ日の出前なので、真っ暗闇・・・ ブイも当然見えず、プロでもアマチュアでも、目隠し状態で泳ぐのはとても怖いものだ。 PICビーチのスタート地点へ行くと、それでもまだ日の出前なので、暗くてブイが見えない…というより、まだ設置されていない。タガマンは浅くプールのような海なので、5分もあれば、ブイの設置ができる。ここが他のレースと大きく違う点だ。 【ブイはどこ??】 やっと設置されたブイにはフラッシュライトが点いていた。闇夜のため、スタート地点からブイの色や形などは確認できず「ブイはどこですか? コースはどこですか?」と不安で聞きに来る日本人選手が数名いた。初参加の選手は特に不安だ。 今年はウエーブではなく、一斉にスタートだった。タガマンのスイムコースは、PICビーチのリーフ内なので、全般に足がつく深さで、波もほとんどなく、とってもイージーだ。毎年の如く、スイムシーンは後半まで光量不足で写真が取れない。 期待の松丸選手はスイムを5番手で終え、バイクに移った。10km地点で順位をチェックしてみると、すでに、トップはなんと、松丸選手だ。本番使用のバイクでないにもかかわらず、松丸選手のバイクは速い、世界でも一級品だ。時速45kmくらいで踏んでいく。しかも、2位の元世界チャンピョンのアンドリューは見た感じ、とってもバテている。 “久々の日本人優勝か?”と心が踊る。バイクからランへと移っていく。ランで松丸選手を待っていると、“がっくり・・・” アンドリューが来た! “え〜松丸選手は・・・” 【レース結果はこちら】 【今話題のススペ刑務所へ】 レースも終わり、夜のアワードパーティーまで、昼寝をしてゆっくり過ごす人、海でのんびりする人等々、様々だ。松丸選手と私達は今話題の“三浦和義”が収監されているススペ刑務所を見に行った。普段は絶対有り得ない事だが、日本の各局メディアがいつでも中継ができるように、それぞれテントを張っている。 そして、メディアの中継基地周辺をパトロールするガードマンのおっちゃんに話を聞くと、「今日は土曜日だから、裁判所やってないし、カズヨシ・ミウラの審問は火曜日だから、その時の方が、メディアもいっぱいいるよ。月曜日とか、火曜日に来たほうが良いよ。」と教えてくれた。 収監施設は3棟あったが、「カズヨシ・ミウラはここの建物の中だよ。」と、ガードマンにあるまじき事を?教えてくれた。すかさず、どっかの放送局がしているように「サイパン・ススペ刑務所から、松丸がお送りしました!」写真を撮った。松丸選手のこんなお茶目なところが好きだ。彼とKFCとの付き合いはすでに10年以上になる。スポーツマンとしても立派だが、人間としても信頼できる男だ。 夕方、6時からアワードパーティーが始まり、レースも終わり皆一様に、リラックスした顔だ。アイランドスタイルで、プチおめかししている人、可笑しな仮装をしているサイパンの選手etc…我らが松丸選手は堂々の総合2位で賞金900ドルをゲットした。メディアのフラッシュが飛び交い“私達も誇らしい”気持ちだ。 翔生君も年代別で3位になり表彰され壇上へ上がり、大きなピースサインといつもの“翔生スマイル”。さらに多くの翔生ファンを獲得したに違いない。 【3月16日(日)レース翌日】 昨年まで、タガキッズトライアスロンがエキシビジョン的に行われていたが、今年のタガキッズは大人のタガマン大会の競技中に並行して行なわれた為、残念ながら、子供ながら一生懸命に泳ぎ、大き目のバイクに乗り、半ベソの顔でランをする子供達のかわいい姿を見ることができなかった。 【スチューとサンデー・ブランチ】 昼はオブジャンビーチで地元サイパンの選手達有志によるバーベキューランチが行われた。私達はバーベキューに行かず、たまたまサイパンを訪れていた親友のスチュアート・スミスを誘ってPICのレストラン「マゼラン」でサンデーブランチと洒落込んだ。 スチューと会うのは久しぶりだ。1年半振りだ。でも、アメリカにいても、オーストラリアにいても、アジアにいても、必ずチョコチョコ携帯に電話をくれ近況を連絡してきてくれる。律儀な奴である。 スチューは、今アメリカのワシントン州に住んでいる。そこで学校に通って勉強しているそうだ。何の勉強をしているのかは、興味がなかったので、聞かなかった。なぜなら、彼と知合って約15年間、ずっと何かの勉強をし続けている。勉強好きのちょっとヘンな奴であるが、信頼のできる大切な友人の一人である。アメリカ人のくせに、母国アメリカが嫌いで、日本が大好きと云う、やっぱりヘンな奴である。 【お気に入りのタポチョ山頂へ】 サンデーブランチの後、スチューと別れ、タポチョ山に登った。松丸選手も行きたいというので一緒に行った。 タポチョ山への道をタガマンのランコースに使ったら、日本人だけでなく、外国からの選手に大受けのコースになると考えている。そうなれば、自ずと人気大会になること間違いなしと思うだが・・。 コミッティのビルとウルフにこのアイデアを進言すると、前週のエクステラ大会とコースが重なる部分があるので、ローカル選手にとっては2週続けて同じロケーションになるので賛成できないという。 しかし、外国からの選手のダブルエントリーはないから、日本や韓国のタガマン参加者にとっては新鮮なロケーションだ。 要は、タガマンをローカル選手向けのローカル大会にするのか、それとも、海外の選手を呼び込み国際大会として観光資源にするのか、その点を明確にすることが先決だ。観光資源にするならば、好き嫌いは別にして、日本と韓国の方を向かなくてはならない。オーストラリアやハワイからの観光客は期待できないのだから。 新しいアイデアを進言するのも我々の役割と考えている。我々は国内外で過去100本ほどレース運営しているので、それなりのノウハウは持っている。しかし、そのアイデアを採用するかしないかは彼ら次第だ。 タポチョ山頂への途中や頂上での展望は抜群で、息を呑む光景が眼下に広がっている。きっと人気のランコースになると思うのだが・・・。 常々、サイパンではタポチョ山頂からの景色がベストと感じている。松丸選手はここが初めてで、ここからの展望に甚く感動していた。 夜は松丸選手とKFCのバーベキュー処であるジェームス・サントスの家へバーベキューを食べに行った。チャモロ人の作る“チャモロ・バーベキュー”は本当に、本当に超うまい。贅沢で、幸せなひと時である。 そして、ここにローカルのポリスを呼んで、三浦事件にまつわる裏話を聞かせてもらうことができた。日本のマスコミが知れば、特ダネ間違いなしのレア情報だ。【このレア情報に興味のある方はこちら】 【どこへ向かう、タガマン】 3月17日(月)、帰国の日、朝9時より来年のタガマンについてのミーティングをした。ここでもスタート時間をもっと遅らせるようにキツくキツく進言した。 また、来年の開催日を4月第一週の土曜日にすると言うので、これにも強く反対した。毎年4月初めは日本の会計年度に当たるため、どこの職場も休暇が取り難く、日本からの参加は見込めないと説明した。 タガマンを愛しているからこそ、タガマン復活を願うからこそ、キツく、執拗に進言すのであって、それ以外の何物でもない。ビルとウルフに対し、イジメをやっている訳ではない。 ビルとウルフはオーストラリアのレース・スケジュールに日程を合わせると、開催日はこの日以外にないと譲る気配がない。日本の選手も歓迎するが、オーストラリアからの選手の方がより欲しいと言う。個人的にはいい奴なのだが、背後に人種や国が見え隠れすると本質が見えなくなる傾向が強い。KFCの大会ではないので、これ以上言うのはやめた。 もし、来年、オーストラリアから大勢の選手が来ればよいが、今年のように1人だけで、且つ、日本人が減れば、参加者20〜30人ほどのローカル大会に縮小してしまう。そうなれば、観光局のバックアップもなくなるだろうし、存続に疑問符が付く。 (後記:5月31日に来年の開催日を4月25日に変更すると連絡してきた。) PICでチェックアウトを済ませた後、久しぶりに「デリ・カフェ」に昼ごはんを食べにいった。ここはあの宮塚英也選手お気に入りの昼メシ処だ。最初、「メキシカン・グリル」に美味いメキシコ料理を食べに行こうと思ったのだが、クローズになってしまっていた。島でのレストランの寿命は短い。 南の島の生活では“いつまでも”とか、“永遠”とか言う言葉は存在しない。人、物、全てにおいて、移り変わりが速く、一期一会と思った方がよい。その後、帰国の途についた。 サイパン島情報はこちら |