イベント報告

■第9回ターコイズブルー・トライアスロン初参加 中軽米恵子


●テニアンに決めた理由
難所、一本坂を行く中軽米選手昨年、短いトライアスロンに参加してからどこかショートデビュー出来るいいところはないかな〜と探していたところ、あった!あった!サイパンテニアン島。サイパンは値段もお手ごろ。時間もロス無く行けます。初心者歓迎!!制限時間なしの言葉に『これしかない!ここしかない!』と即決定。

特にトライアスロンクラブなども入っていない私は国内で自転車引きずって行くより、いっそ海外でと判断。どうせ行くならという事で、宮塚さんのキャンプへも申し込みをしました。



●思わぬ異動と自転車
ところが6月のレースをワクワク心待ちにしていたところ、5月に超〜急がしい部署へ異動となってしまいました。ひょえ〜マジ〜!?練習できないよ〜・・・はまだよかった。引継ぎしている最中に気づいたことが。ちょっと待って!この仕事の日程、レースとドンピシャじゃないかな?終わらないとテニアン行けないじゃない。終わるのだろうか・・・。

あと自転車も。どうやって飛行機に乗せるのだろ〜?なにもかもが初めてのことでわからない事ばかり。軽く海外に決めたことを後悔しました。何度も今回は断念しようかと思いましたが、これを逃したらまたいつ行けるかわかりません。『ぜったい行ってやるぞ!』これをクリアしたら何も怖くなくなるに違いないと思いました。いや思わずにはやってられませんでした。


●いよいよ出発
6月満開の火炎樹。空港に着いてBIKEケースを受け取り、手続きをしていると同じくテニアンへ行くような方に遭遇。二言三言言葉を交わし同じような人がいてホットした事を覚えています。今思えば、その方こそ宮塚さんでした。(ぜんぜん同じではなかった・・・)写真では知っていたはずでしたが、その時はまったく気づきませんでした。失礼いたしました。

飛行機も怖けりゃ、海も怖い。こんな私がトライアスロンで一人サイパンへ。自分でもちょっと笑っちゃいます。今思えば何故トライアスロンだったのだろう?一言で言ってかっこいいから?いや違う。自分への挑戦?それも違う。もともと深く考えない性格なので理由はない。ただ何となく。

RUNは、10年前に4〜5年マスターズ陸上やらマラソンなどを少々やっていてここ数年はぜんぜん走っていなかったのですが昨年また走り始めました。SWIMは、初めて2年とちょっと。まったく泳げなかった私。BIKEは昨年7月から。運がいいことにBIKE屋さんが自宅より1分のところに。そんなこんなで、なんちゃってトライアスリート?となりました?


●レース本番
スイム・スタートの風景レース当日の朝、2重の虹が空にかかっていました。なんてステキな光景!ってひたっている間もつかの間。いよいよスタートです!ウエットを着ているので溺れる心配はないと昨日の練習でわかっていましたが、見れば見るほど遠いです。ブイが・・・

SWIMのコースは、沖に向かって250m地点の1つ目のブイを左折してそこから500m地点の2つ目のブイを折り返し1つ目のブイまで戻って海岸までというコース。

ゆっくりゆっくりと思いながら泳ぎやっと1つ目のブイ到着。ブイを宮塚さんに教えてもらったとおり回ります。いい感じです。と思いきやちょっと失速。300m地点で天を仰ぎました。疲れた〜〜。あとこの5倍泳ぐのか〜・・・。このまま天を仰いでいると顔が焼けてしまうので即座に下を向いて平泳ぎに変えました。


透明度の高いターコイズブルーの海途中でクロールに戻しとにかく泳ぎます。海の中には巨大なサンゴ礁がこちらを向いています。スゴイという言葉しか思いつきません。そうこう思っているうちに2つ目のブイ到着。半分まで来たぞ!あともう半分。その頃からなんとなく回りに人が少ない事に気づきました。一人旅か〜。まあ慣れてるけど。少し前を泳いでいる人がコース外れていきます。あれ?私が外れているのか?海を泳ぐ難しさを感じました。

あと250mとなりあとは海岸までひとふんばり。腕が急に重くなり、かいてもかいてもなかなか岸が近づきません。あとで気がつきましたが、引き潮だったようです。最後は手が付くまで泳ぎ、ここからトランジットまで小走りの予定でしたが泳ぎ終わった時、立つ事が出来ませんでした。平行感覚が・・・お・か・し・い。

一本坂を一気に下る宮塚選手トランジットですでにオープンウォーターを終わった人たちから励まされながら身支度をして次はBIKEです。最近は1番BIKEが楽しいです。BIKEで風を切って走るのがとっても気持ちいいです。

BIKEのコースはアップダウンがあり楽なコースではありません。上りはがまん、がまんで下りにいっきにスピードを上げます。Max63kまで出しました。自己最高速度です。周回を2周するので、先頭を走っている人たちとすれ違います。同じ宮塚さんのキャンプに参加していた人たちとすれ違いに元気をもらい、苦しかったけど楽しく走る事ができました。


炎天下のラン風景そしてRUN10kです。あと10k。まだ10kある。RUNのコースはBIKEコースの一部で上って下るコースです。走り始めは、歩いているのかと思う程のスピードだったと思います。たぶん歩いてもあんまり変わらないスピードかも?でも歩くわけには行きません。歩いたらもう走れないと思いました。予想通りの灼熱の太陽。脱水症状だけは気をつけなくてはなりません。とにかくたくさん水を飲み、たくさん水をかぶりました。

水を飲みすぎたのか、横っ腹が途中から痛くなりました。後でわかった事ですが、水の飲みすぎではなく水泳の時の息継ぎで腹斜筋をやたら使っていたようです。体幹がまだまだのようです。

とにかく早くゴールしたい!でもまだ遠い。走りながら横を見ると真っ青な海が見えました。辛いけど楽しい〜。今、南の島で走ってる〜って思いました。5k折り返しからは下りです。やっと楽できる〜はずでしたが、かなり足にきていました。水をかぶりまくり、最後は靴下までグジョグジョ。ゴールまであと少し。がんばれ!がんばれ!声援に励まされゴール。やった!何とも言えない達成感で満ち溢れました。


●最後に
炎天下、日傘をさして頑張る子供たち今回テニアンに来てほんとうによかったと思いました。初めてでわからない事だらけでしたが、いろいろな友人・知人に助けられたと思っています。BIKEケースを貸していただいた友人。自転車の分解組み立てを教えて頂いた知人。なにより一人でサイパンテニアン島に気持ちよく送りだしてくれた主人にも感謝しています。

トライアスロンを始めようと思った頃、友人から『仕事も家庭も趣味も。人生のトライアスロンもがんばりましょう!』と励まされました。そーかー!トライアスロンって3つのバランスを考えてこなすから楽しいんだ。3つを万遍なくこなしていくのは難しいけど、その時の状況に応じて楽しんでいきたいと思います。そして、来年もまたテニアンに帰って来ようと心に決めました。




■第9回テニアン・ターコイズブルー・トライアスロン初参戦記

湯浅 泰敏(44才)


余裕のラン、湯浅選手一年半前までただのメタボオヤジで、100m泳ぐのが精一杯でした。
なんの因果か友人に誘われてチームに加入し、なんとなくトライアスロンの道を目指し始めました。
これまでも何度かダイエットにチャレンジしたものの失敗し続けていたので、とりあえずプヨプヨになった身体をなんとかしたいと思っていた程度でした。

チームのコーチに、走り方、泳ぎ方、自転車のこぎ方などの指導を受け、体の故障も乗り越えながら、少しずつ草レースに出場しているうちに、体つきが変わって軽くなってきました。
そして今年はいよいよ本格的にトライアスロンにチャレンジし、オリンピックディスタンスで完走しようと思って出場レースを探していました。

オリンピックディスタンスのトライアスロンデビューはこだわりたかったのです。
「海のきれいなところに・・・」
ということで、私をこの道に引きずり込んだ友人を誘い、インターネットで見つけたテニアンでのレースに
エントリーしました。

はっきり言ってテニアンはキレイな海以外なにもない島。
でも、とてもすばらしい思い出ができました。


宮塚英也テニアン・トレーニング・キャンプの様子「宮塚英也テニアン・トレーニング・キャンプ」では、あの宮塚さんとお近づきになれました。
我チームのコーチは恐れ多くて、話をするのもはばかられてしまうという、日本トライアスロン界にとっては伝説(まだ元気ですが)の人です。

初参加の私たちは本番までどのように過ごせばよいのかわからないので、参加して大正解でした。
なんと同じ年ということもあり、いろいろと話が盛り上がってとても有意義でした。
特に、オープンウォータースイムの必須テクニック「ルックアップ」「ターン」が習得できて大満足。

そしてレースで印象的だったのは

《アットホームな雰囲気》
トライアスロン参加者は36名。
バイクやランの折り返しでは、ほぼ全員と声を掛け合ったりハイタッチをしたり、暑くて苦しいんですけど、とにかく楽しんで走ることができました。


《美しい海》
スタート直後の混戦せっかくオーダーしたウェットスーツでしたが、長袖だったため暑い!!
本番直前まで使用を迷いましたが、所詮「完走目的の初挑戦」と覚悟を決め、着ていたウェットスーツは脱ぎ捨てました。

少し前にプールで初めて1.5`続けて泳いだという程度の私にとっては、かなりの挑戦でした。
おかげで只でさえ不得意なスイムの成績はさらに悪くなり、泳ぎきって海を振り返ると、もう数名しか泳いでいませんでした。
でも悔いはありません。なんたって美しい海で気持ちよく泳げましたので・・・



《バイクコースの絶壁》
テニアン大会の名所、一本坂朝一でタイヤの空気圧をチェックしていたら、なんとパンク。
スタートまで一時間あったので事無きを得ましたが朝からチューブ交換。

そして見るだけでも心が折れそうな真っ直ぐな坂道が行く手を阻みます。
2回も上るかと思うと、心が折れそうになりますが、気合を入れてペダルを踏みます。
上りは10km/h、下りは時速70km/h下りはホントにスリル満点です。

また、途中でサイクルコンピュータのセンサーが吹っ飛んで計測不能に・・・いろいろあったバイクパートでした


《「暑さ」との戦い》
木陰を選んで走る湯浅選手これも地球温暖化の影響か、例年より暑いらしいのです。
レース前に脅かされたので、1km毎の給水はきっちりとり、塩を舐めたり梅干食べたり。
脱水症状になったらサイパンまで行かないと治療できないらしいんです。
高血圧で塩分を控えるように医者から言われていたのですが、ここでは脱水症状の恐怖の勝ち。


《アワードパーティー》
アワードパーティー(表彰式&後夜祭)といったものに初めて参加。こじんまりした海外レースではこれも結構楽しいイベントです。私は宮塚さんのキャンプで知り合った皆さんと、レースのことを語り合いながら楽しく過ごしました。

いやーとにかくどうなることかと思っていましたが、一生の思い出になる楽しい大会でした。
「自分なんてまだまだ・・・」と思っているみなさん。思い切ってエントリーしてみてください。
楽しめますよ。
私もまた是非参加したいです
最後になりますが、大西さんをはじめとするスタッフのみなさんありがとうございました。

- FIN -




■ターコイズブルー・リーフスイム参戦記

笹林貴寛(セサミスポーツクラブ大船)


飛ばす笹林選手テニアンのレースは朝が早かった。
前日に朝から晩まで散々海で泳ぎ続け日焼けし火照った体をプチ宴会のビールで冷やす、そんな日の翌朝がレースなのだから体に切れなどあるはずも無い。

ターコイズブルーのビーチを目の前にして、チームメイトは皆試合を戦うというより楽しみたいという気持ちになっていて、スタート前の緊張もなくただただ一刻も早く海に入って泳ぎだしたかった。

セサミでチームメイトの大牟田夫妻宅に飾られている、初期テニアンレースのスタート前の少し色褪せた写真の景色が目の前に広がっている。

写真のビーチを実際に感じ、写真外の光景も360度見渡して写真から記憶していた画像とシンクロさせた。
もはやこのビーチは写真だけのものではなくなっていた。


セサミスポーツクラブの面々スタート1分前のコール。
南国独特のおおらかな空気が流れたままでレース特有のピリピリした雰囲気がない。
早朝のまだ太陽が照り付けていないひんやりとした海が気持ちいい。

スタートだけは頑張ろうと思っていたので最初はチームの速い人たちに必死にしがみついて泳いでみた。

ビーチから一直線に沖へ150m?程泳いでブイを左に90度曲がるコース。
沖のブイに到達するところで息が上がってきたのでピッチを落とした。
4.5kmはトライアスロン用1.5kmのコースを3周だから序盤から無理して最後に潰れるという痛い目には遭いたくなかったのだ。

それに帰国までたっぷり残った時間を楽しめる余力を残しておきたい。
レース後の残り時間をホテルの部屋で休息に当てるのは真っ平御免だから、レースのペース配分には幾分気を使った。


ファンスイムを楽しむ大牟田(ムッチー)さんブイで直角に左折する時に水中カメラマンを確認。
以前、大牟田夫妻に水中から撮影された泳者の画像を見せてもらい感動したが、これは本当に気の利いた、透明度の高い美しい海でしか提供できないサービスで大満足。
しかし泳ぎだすとついつい真剣になってしまい、ポーズする余裕も無くブイを曲がってしまった。

一周目はトライアスロンの1.5km、スイムの1.5km、スイムの3km、スイムの4.5km全員が同時にスタートして泳いでいるので暫くは自分の周囲にも競って泳いでいる人が結構いた。

4.5kmは黄色いスイミングキャップだが、自分の周りは殆どが別の色のキャップの選手だったので、抜かれても気にせずマイペースで進んでいく事にする。

そう、素晴らしい透明度なので地元湘南では考えられないが、かなり離れた泳者もはっきりと確認出来て自分の周囲の状況を少し首をひねるだけで簡単にチェック出来た。だから泳いでいてとても楽チンで、前半はヘッドアップもあまりせず、前方や左右に離れて泳いでいる人に沿って自分は泳いで行くというちょっと手抜きレースを展開。
多少の蛇行は気にしない。


セサミ軍団の集合写真あとは海中を眺めながらのレース。
巨大なブルーのヒトデを見たり、熱帯魚の群れを見たり、飽きることがない。
羨ましい事にマンタや海亀を見たという人までいた。
レースを投げ出してそのまま潜って楽しみたいと何度も思わせる海だが、さすがにそれは我慢して泳ぐ。

一周目を泳ぎきりスタート地点に戻ったら、ビーチ目の前にある畳数畳ほどの岩にタッチして再び周回に戻る。
唯一観客の歓声が聞こえる場所でのんびりゴーグルの曇りを取ってから再スタート。

1.5kmの選手が多数いたが、彼らはこれで陸にあがる。
半数近い選手がいなくなっただろうか、泳ぎ始めても周囲に人が全然いない。
急に寂しい一人旅が始まったが、まぁ南国の海があるから大丈夫。
それにしても90度左折してから沖の最後のブイまでが遠く感じる。


最終泳者ムッチーと応援するセサミの面々あれれ?潮の流れがきつくなってるのかな?それとも自分が疲労しているのかな?
2周を終了して3kmの選手達がレースを終えていくのを横目に自分は3周目に突入。
元々4.5kmにエントリーしている人は少ないので3km組がゴールして更に人数が減った。
しかも潮が完全に自分に向かって流れていた。
最後のブイに近づいていくところは海底が浅くなっているのだが、通常、底の浅い場所を泳いでいるときは海底の景色の流れ方が深い場所より断然早くスピード感がある。ところが相当浅い場所を泳いでいるのに一向に底の景色が流れていかない。

完全にルームランナー状態、ハムスターが回転する遊具の中で走り続けているのとほとんど変わらない。
掻いても蹴っても全然進まない状況にちょっと心が折れそうになったが、とにかく折り返せば逆にこの潮に乗れる筈だからと言い聞かせて必死にもがき続けた結果、何とか折り返して無事に3周を終えてゴールすることが出来た。

テニアンという美しい環境から頂いたパワーのお陰だったのかな。
タガビーチの上から地元の人たちの暖かい声援が聞こえる。
本当に来てよかった。
砂浜から崖を上るゴールにつながる細い階段を上りながら思う。


タガビーチで遊ぶセサミ軍団昇ってきた太陽に向かってまだ泳いでいるチームメイトの応援にまわってしばし休憩。
先にゴールしていた橋本コーチと山本さんが最後尾を泳ぐ大牟田裕美子さん(ムッチー)の応援のため再度入水し泳ぎ去っていく。
次々とチームメイトがゴールしてついに残り泳者が一人になった。

毎週のように海で一緒に泳いでいるムッチーが仲間2人に伴泳されてタガビーチに向かう直線に入ってきた。
あの向かってくる潮を泳ぎきるのは大変だったはずだ。
ひと休みが済んだ私は再度海に入り、ムッチーを出迎える為に沖に向かって泳ぎだした。

今回セサミチームは総勢18名で参加し、全員無事完泳することができました。
テニアンという素晴らしい海で泳ぐきっかけを与えてくれたKFC、大西さん、現地関係者、セサミスタッフ、そしてチームメイトの皆さん、本当にありがとうございました。




■テニアン2008参戦記 岩間太(OSB8)


右が岩間さんテニアンへは、毎年参加を予定していて、今年もそのつもりで4月、5月の休日を6月に代休としてとっておこうと予定を入れておいたのだが、今の職場は年休を取得する場合も、代休の振替をする場合も、すべてパソコン上で入力しなければならないのであります。が、実はここで問題が発生して4月分の休日の振替が6月の勤務表ができていないために、パソコンに入力できない事態が発生してきた。

「どうも面倒なことになってきたぞ。」と思っていたのだが、まあ、年休もたっぷりあるから最悪、年休で処理すればいいかと思っていたところ、上司が人事に寄って話をしてくれたようで僕のパソコンのところまで来て処理してくれ無事解決することができました。感謝です。(要は、5月に一旦振替休日を入れておいて、6月の勤務表ができたところで、入れておいた振替休日を6月に入れなおすという2重手間をすることで解決したんですが・・・。しかし、よく考えるとこのシステムあまり良く出来ていないよね。1回の入力でできないんだろうか、出来ると思うけどなあ)


大会会場の朝さて、次に旅行社に連絡したところ、今度はサイパンからテニアンへのフェリーの時間が変更になったということで、13日の夕方に到着ということであまり良い時間帯に到着しない。
そこで、セスナでテニアンへ上陸しようと旅行社に手配をしてもらう。今回は一人での参加なので比較的融通が利きやすい。


【いざ出発】
テニアンに行くことを、大会の1週間ほど前に会長にメールで連絡して、いざ出発。

その約一月前にメンバーのMさんから参加する旨の電話が届いており、今回はOSB8のメンバーが何人か揃うんじゃないかと久々の再会を楽しみに12日午後9時発の飛行機でセントレアをあとにする。(余談ながら、セントレアの免税店でタバコを買おうと物色していたら、「今、2カートン買えばこの時計がつきますよ。」と甘い言葉に誘われてつい買ってしまったんですわ。

そして、待ち時間に時計を引っ張り出し、「ううーん、なかなか良いじゃん。」と思って「こりゃ誰かの土産にもなるな。」などと邪まな考えを持ったのがいけなかった。帰りにサイパンのホテルでかばんの中を探しても見つからない。取られたのか、なくしたのかさっぱり分からずガックリ。それよりもタバコを吸うのがいけないね、このご時世に。早く1000円になれば良いのに。すっぱりやめるから。・・・・多分。)


【テニアン空港到着】
ナンバリングの風景。気合が入る瞬間翌日の13日テニアンに予定より30分くらい早く到着する。セスナに乗る順番が少し早くなったためである。他社の日本人ガイドが思わず「ビッグ待遇だな。」とつぶやくのが聞こえたが、まあこちらが強引に頼み込んだわけじゃないので、こういうこともたまには良いかも。

テニアン空港に到着し外に出るとリムジンが止まっているので「これは迎えの車かな」と思い、その辺を歩いている人間が運転手かと思い声を掛けると「オー、オー」と言いながら空港の中に入って行き、ホテルとの直通電話を取って話している。「しまった。この人運転手じゃない。ただの現地の人だ。」と気がつく。そして出てきて「今、電話かけたからもうすぐ来るよ。」と、多分そんなことを言ったと思うがそのまま手を振って行ってしまった。「親切だな。」と思わず心の中で合掌。

しかし、この前に止まっているリムジンはダイナスティーホテルの車だけど、誰か違う人を迎えに来ているのかな?などと思っていたら、「いたよ!運転手が。」思わず運転手に「ダイナスティーホテル」って言ったら、またまた「オーオー。」と中に入っていって電話をしだした。まあいいか。2重になってしまったけど。


日の出前にブイ設置をする海上警察出てきた運転手に、礼を言う。やはり目当ての人間がいて、迎えに来ていたようである。

しばらくすると、セダンの車がやってきた。先ほどの運転手が助手席のドアを開けて乗れという。「サンキュー」と礼を言いながら乗り込む。なぜ助手席かというと、僕の他にも日本の方が二人みえていたから当然、一人身の僕が助手席へという自然な流れなのであります。あとで分かったことなのですが、カジノで大会が開催されることになっていたらしく、どうもそこへ参加する本当のビップをリムジンで迎えに来ていたのではないかと一人納得したのでした。


【テニアン・ダイナスティ・チェックイン】
今年もスタート前に虹が・・ホテルに到着し、缶ビールを買いに売店に行こうと思い、部屋の冷蔵庫を開けようとすると開かない。「まずい、これは。ビールが冷えない、一大事だ。」まもなく荷物を運んできてくれたボーイに「冷蔵庫を開けてくれ。」と頼むとすぐに電話をしてくれた。

「やれやれ、これで夕方までゆっくりできるわい。」としばらく待つがやって来ない。仕方がないのでとりあえずビールを調達しに売店に行き、つまみも一緒に購入して部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、部屋の掃除をしているクラークと目が合う。これはいい、この男に言えば手っ取り早いと思い「ミニバーシャット。」と言うと「オー、ルームナンバーは?」と言うので部屋を教えるとその場で電話をかけてくれた。

部屋に戻るとすぐに、クラークがやってきてミニバーを開放してくれた。「やった。」早速買ってきたビールを冷蔵庫に収め、まず一本。「うまい、この暑さを我慢してここまでやってきた甲斐があった。」

そしておもむろに携帯電話を開くとメールが入っている。「おかしいな?この携帯電話、通話は可能だけどメールはこの地域では駄目なはずなんだけどな?」と思いながら内容を確認すると、災害メールが入ってました。「長野県南部でマグニチュード4.8の地震が発生した。」との内容。「ここまで来て災害メールかよ。」と思わずブルーな気分に・・・。しかし、翌日の宮城、岩手にまたがるマグニチュード7.2の地震が発生し20日現在、定かではありませんが死者12名の尊い人命がなくなろうとはこのときはまだ、思いもよりませんでした。しかも、まだ行方不明者が10名もいるということも・・・・。


【先ずはビーチへ】
スタート会場の風景、どことなく緊張感が・・2本目のビールを飲み終えていい気分になり、今後の予定を考える。考えると言ってもとどのつまり、タガビーチへ行って海水に浸ると決まっているんだが。問題はいつ行くか?何時頃行くか?と言うことで、少し酔いを醒ましてからでないと事故を起こしてからでは遅い。「お前はアホか!!」と言われるのは極力避けなければならない。

で、1時間くらい経過した頃、アルコールも抜けてきたようなので、そろそろ海水に浸ろと、水着を着て1階のロビーで少しくつろいでいると、向こうから女の子が歩いてくる。逆光になっているからこちらからは誰だか分からないが、なんだか様子がおかしい。と言うのも彼女はこちらを注視している様なのだ。10メートルくらいのところまで来てやっと誰だか確認できる。


スタート地点のタガビーチY親子の娘さんだ。「去年のパラオ以来だなあと、懐かしさに話が弾む。」少しお喋りして僕はタガビーチへ向かう。のんびりまったりと至福の時間を一人過ごすのもまんざらではない。泳ぎもせずに海に浮かんでいるのもいいもんだ。

1時間くらい過ぎただろうか、一人の女性がやってきて気さくに話しかけてくる。こりゃ逆ナンパされたかなと思いながら話していると、去年パラオに参加していると言うではないか。「僕も行きましたよ。奇遇ですねえ。」と(何が奇遇だかよくわかんないけど・・・・。)そして、いろんな話をつなぎ合わせてみるとどうもY親子と一緒にきたみたいなんですねえこれが。そこでY親子の名前を出したら大当たり。間違いありませんでした。そんなこんなで話が弾んで、もうすぐ受付の始まる時間になってしまい、そのままプールサイドの受付へ。


【OSB8メンバー集結】
頼りになる海上警察のボス説明会は午後6時からとのことで一旦部屋に戻り、再度プールサイドへ。顔見知りの方がたくさん見えます。勿論、我がメンバーも顔を揃えております。説明を聞くよりも、今日これからの夕食をどうしようかと相談をして、午後7時半にホテル内で食事をすることに決定。

それぞれの部屋番号を確認して部屋に戻り、少し時間もあったのでまたもやビールを飲み始めるとだんだん気分が良くなってきてそのまま眠ってしまったらしく、電話のベルが頭に響いてきた。「遅刻だよ。」とMさんの声が聞こえてくる。「しまった。やっちゃった。」おわてて飛び出してロビーへ向かう。「みなさん、どうもすみません。」ここは低姿勢。低姿勢。

総勢9人。まず乾杯をして、ピザを注文。このピザがまたでかくて4人前くらいはありそうな大きさで、大きさを見ただけでお腹が一杯になってしまった。それでも今日はこれが唯一のまともな食事なので、なんだかんだ言いながら食べる。明日は大会だし、あまりお酒を飲んで匂いを撒き散らしては、参加される方々に失礼に当たるので、控えめにしておく。

午後10時前に店内の電気を消しだした。少し粘るがあくびをこらえるのが精一杯の状況になりだした。会長が「ボチボチ、お開きにしましょか。」と、タイミングよく関西訛りで声を掛けてくれたので、(一同それではここまで)ということで立ち上がり、各自部屋に引き上げる。携帯電話の目覚ましを午前5時30分に設定して眠りにつく。


【レース当日】
沖のブイを目指す選手の一団目覚ましが鳴る前に、目覚める。(年を取ると身体が勝手に起きてしまうんですよ。)外を見ると今日もいい天気で、暑くなりそうだ。部屋の中でストレッチをして身体を目覚めさせる。既にビーチに歩いていく人がいる。

僕もそろそろ出発しようと水分を補給して部屋を出る。廊下に出ると蒸し暑い空気が身体を包む。(このホテル廊下に空調設備がないんですね。それともあっても1階から拭き抜きになっているから効きが悪いのかもしれないな。)

タガビーチまで歩いて2分。受付でナンバリングをしてもらう。大きな数字で4箇所書かれる。(あとで消すのが一苦労だな。)スタート前のこの時間帯に決まってスコールがやってくるので、今日もまた来るのかなとそんなことを考えていると、ほんの少し雨粒らしきものが落ちてくる。大体こうなれば朝日と反対側に虹が架かるので、見渡すと「やっぱり出た。」雲がもう少し少なければきれいに架かっていたんだろうが、少し残念。

選手も集まりだしそれぞれ身体を動かしている。僕の左45度7メートル前にストレッチングをやっている人がいる。(よく見るとヒロミさんでした。)ああ、また参加されるんだ。前回だったか前々回だったか確かトライアスロンに参加されていた記憶がある。そのときもこのレポートの中で紹介した覚えがある。


【スタート前のハプニング】
ダイバーにVサイン!海面が鏡のようスタート時間が近づいてきたので、我々もビーチに降りて準備をする。身体を海水につけて感触を楽しむ。スタート時間のカウントダウンがまもなく始まる。それぞれが緊張したり、しなかったりといろいろだが、そのとき一人女性が階段を勢いよく上がっていくのが目に入る。

「いったい何事?」と思っていると、大西さんいわく「ゴーグルのベルトが切れたので取り替える間スタート時間を2〜3分程遅らせます。」とのこと。「うーん。思わずうなって失笑してしまいました。」(あったあったよ、面白いことが)階段を駆け上がっていかれた「あなた」(気にしなくて良いですよ。僕など何かハプニングがないかと、いつも思っているんですから。でも、あなたにとってはアクシデントでしたね。)


【レース・スタート】
中央を泳ぐのがヒロミさんさて、数分の遅れで無事スタート。相変わらずごちゃごちゃで、人の上に乗ったり乗られたりしながら最初のブイへ、水中でフロッグマンがカメラを構えている。「写してもらおう」と、呼吸をせずにフロッグマンを注目する。がどうもアングル的によくないのか、僕の後ろを泳いでた人にピントを合わせている。その人はピースサインを出している。その人に向かってフロッグマンは「OK」サインを出しているので、こりゃ駄目だ。残念ながら写してもらえなかったようだ。

南のブイを回り、北のブイに向かう。何か変わった魚はいないかと、水中を探すが特に目新しいものは発見できない。今日は一応ダイビングの予定が入っているので、そのときにまたお魚さんを見学しようとここは泳ぎに熱中することにした。


スイム・アップ後のシャワー、気持ち良さそう北のブイを回りタガビーチの砂浜を目指し泳ぐ。潮の流れがうまい具合に流れているせいか、いつも右へ右へと進んでしまうのだが、修正をせずともどんどんタガビーチに近づく。特に大きなアクシデントもなくフィニッシュ。シャワーを浴びて今度はまだ泳いでいる人の応援だ。3キロ泳の人も4.5キロ泳の人もそれぞれ楽しみながら泳いでいるように見える。しかし、みな泳ぎ終わった後の顔はすがすがしい。(仕事場ではこんな顔は見せないだろうなと思うのは僕だけかな。)

我がメンバーも全員泳ぎきったところで、トライアスロンを見学しようと思っていたら、Mさんが「ダイビングにキャンセルが入ったからこの後すぐ行くから。」という事で、9時30分に再度この付近に集まることとなった。

ダイビングも多少のアクシデントはあったものの、何とかアワードパーティに間に合うように終了し、ホテルに送ってもらいシャワーを浴びて会場に向かう。飲み物を飲んでもよいらしく、クーラーの中の冷たいビールを取り出し、もう一人のMさんと一緒に飲む。我がメンバーも遅ればせながら集まりだし同じテーブルに陣取る。全員が集まった頃、料理も食べてくださいということで、それぞれが皿に盛り付けをしてテーブルにつく。


【アワード・パーティ】
ご馳走を取る選手たちしばらくすると表彰式が始まりだし、それぞれの部門で表彰者が発表され賞状を受け取る。一通り終わったところで、なぜか自分の名前が呼ばれているではないか。我がメンバーに「ねえ、今僕の名前呼んでなかった?」と聞くと「うん、呼んでいたよ。」と言うのでわけも分からず出て行く。すると、うちの会長もでているじゃないですか。「ねえ、何、なんで?」と聞くと、どうも連続で出場している人に対する感謝状のようなものらしい。感謝状とか、賞状とかそういうもらえるものはは嫌いじゃないんで、断る理由もないのでありがたく受け取ることにする。

このあともトライアスロンの宮塚選手の功績を称えて感謝状が贈られ、また、ヒロミさんも親善大使とやらにいつの間にか任命されて、スピーチをされておられました。これからもこの大会を盛り上げて下さい、「ヒロミさん。」ローカルな大会でありながら、メジャーな雰囲気を大いに感じます。これからも楽しい大会へと発展していくことを願って、さらには来年、再来年と会えることを楽しみにしてこのあたりで閉めたいと思います。

だらだらした文章に最後までお付き合いくださいました皆さん、ありがとうございました。それではまた。




■KFC徒然


峰尾洋子選手、ゴール!!6月14日(土)に「第9回テニアンターコイズブルートライアスロン&リーフスイム大会」が開催された。テニアン島での大会は今年で9年になる。9年目ともなると、地元の協力体制もだいぶ確立されてきた。皆、やるべき事柄がわかっている。

テニアン島市長をはじめ、チェアマン(現地大会事務局長)、警察、病院、島民、観光局スタッフ達もKFCの大会にはいつも歓迎ムード全快で一生懸命協力してくれる。いつもながら、チャモロ・ホスピタリティーには本当に頭が下がる思いだ。感動すら覚えることが多々ある。




【テニアンを取り巻く厳しい環境】
ところが、そんな気持ちとは裏腹に、のんびりして変化のないような南の島だが、北マリアナ諸島(テニアン・ロタ・サイパン)をとりまく環境は年々厳しい方向へ変わっている。観光業だけをとってみても、日本からマリアナ諸島へのアクセスはどんどん不便になり、観光客も激減してしまった。さらに昨今の原油急騰が追い討ちをかけている。そんな状況で政府の財政状態は非常に悪く、島民も“島には仕事がないなら・・・”と、ハワイやグアム、アメリカ本土へと移住してしまっている。


【恒例のキックオフ・ミーティング】
ミーティングの様子、左端がジョー・クルズ今年もいつものように大会の10日前にメインアイランドであるサイパンに入り、観光局本局での打合せや最新情報収集、それに、参加賞のTシャツなどを工場からピックアップしたりする。そいて、テニアンへは大会1週間前に入り、まず市庁舎で現地のスタッフたちと恒例のキックオフ・ミーティングをするのである。

6月9日(月)にそのキックオフ・ミーティングを行った。これが大会を通しての最初で最後のミーティングとなる。それ故非常に大切なミーティングなのである。今年も市庁舎の会議室で行われた。ここにテニアンターコイズブルートライアスロン&リーフスイム委員会の面々がすべて集まった。

スイム会場のタガビーチの整備をする者、全コースの路肩の草刈りや路面の悪い箇所の補修をする者、マリアナ政府観光局のテニアン支部長、ブイ打ちや海上のレスキューをする海上警察、救急車を担当する消防、交通規制を実施する警察、各エイドステーション担当のボーイ&ガールスカウトの先生たち、そして、本大会の地元責任者であるチェアマン。


【チェアマンはジョー】
タガビーチのハシゴを作るスタッフチェアマンは今年で3回目になるジョー・クルズだ。彼はテニアン生まれ、テニアン育ちの“テニアン・ボーイ”で、責任感が強く、の〜んびりムードの南の島ではめずらしく、行動が超が付くほど早い。頭もいい。チェアマンにはうってつけの人物だ。

実は、彼は市役所を昨年10月ころに辞めていたが、トライアスロンのチェアマンをやる為にメイヤー(市長)から要請され、今年4月から市役所職員に復職した。過去2年経験しているので、我々とはツーカーの仲、彼がチェアマンなら“まず、安心”だ。

トライアスロン大会を開催するには、目に見えるところ以外でも様々な人の協力が必要だ。道を補修し、掃除をしたり、草を刈ったりする者、スイム会場のタガビーチにハシゴを作ったり、バイクラックを作ったり、パビリオン(当日朝の登録に使った建物)のペンキを塗り替える者、仮設シャワーを作る者、コース周辺の犬をつなぐように指導して回る者、シャワー用の仮設水道工事をする者、エイドステーションの水やフルーツを手配する者、パーティーの会場のテントやテーブル、イスを手配する者、食べ物を調達する者・・・etc。 

因みに、普段、タガビーチへ下りる木製のハシゴはない。これはトライアスロン&リーフスイム大会用にその時だけ設置されるのである。


バイク・ランのトラフィック・コントロール担当のポリスさらに、選手の安全面に関して、警察や消防、レスキュー・スタッフ、エイド・ステーションをするボーイスカウト・ガールスカウトの学生たちも必要だ。このようにレース当日までのこの1週間、島は子供から大人まで、文字通りトライアスロン&リーフスイム大会に向け準備一色になる。恒例の1週間前のキックオフ・ミーティングが終わると、のんびり島民たちにも週末のXデーに向けて俄然エンジンガかかるのである。



【痛いガソリン高騰】
日本も同様だが、テニアンでもガソリンが高騰し、水道や電気代も値上がりしている。準備をするにも、今年はそこが一番苦しいところだ。大会準備のため、車を動かしたり、ボートを動かしたり、草刈機を動かしたりするのに相当の燃料が必要となる。結局、大会終了までに500ガロン(約2000リッター)ほど使った。

テニアンの場合、コース脇の草を刈ってから、小石等をエアーブロー・マシンで掃き除去する。その後、日本では絶対有り得ないことだが、消防車でコースの路面を全部“洗うのだ!”。これも我々が要請したわけではないが、“バイクがパンクしたり、スリップして転倒しないため”その一心からでた“チャモロ・ホスピタリティー”だ。タガビーチを見に行くと、以前はレースの2日ほど前に設置されていたビーチに下りるハシゴやシャワーが早々と設置されていた。これも“より、参加者に喜んでもらえるように…”と自発的に早く設置された。


【ポリスとの楽しいブイ打ち】
警備艇ゾリアック内でブイのオモリをセットするポリス6月12日(木)に海上警察のポリスたちとブイ打ちに同行した。レースで泳ぐテニアンの海は水深が深い為、サイパン・タガマンのように当日朝に重りをつけてブイをカヤックからポンポン落とすという簡単なわけにはいかない。

数年前に海底に根っこになるアンカーを沈めてある。そのアンカーに中層の目印になる浮きを付けてマーキングしていく。そして、当日の朝にその浮きにブイを引っ掛けていく。これだと1時間くらいでブイのセットが可能になる。

サイパン在住の参加者から7:30スタートは遅すぎるというコンプレイン(苦情)が毎年寄せられる。しかし、サイパンと違い、深い海を使うテニアンでは準備にそれなりの時間を要するのである。因みに、タガマンのスタート時間はこれまたとてつもなく早い。日本の大会では考えられない。早朝夜明け前の薄暗い中で、ブイに灯りを付けて、それを目印にスタートしていく。いくら浅いといっても海の状態をよく知らない外国人にとって、海の状況が見えないのはハンディだし、危険だ。


海底10m付近に沈んでいるアンカーテニアンのスイムコースは水深が10m〜30m程あるので、誰でもそのブイ打ち作業ができるというわけではない。そういう作業もテニアンでは海上警察が率先して受け持ってくれる。普通はそういう作業をポリス自身が行ったり、警備艇ゾリアック(ジリアックとは、ゴムボートに強力なエンジンを付けた高速ボートのこと)を使ったりすることはできない。

まして民間人、それも我々外国人をゾリアックに乗せるなんてことは絶対にありえないことである。有り難いことに、それほどまでにこのイベントは島民たちに受け入れられており、島の大切な行事となっているのである。

午前中に予定されていたブイ打ち作業は、急遽午後からに延期された。というのは、この日、サイパン島付近の海上で海難事故があり、その救助へ出向いたためである。こういうことが本来の彼らの仕事なのである。コースは以前と変わっていないし、昨年いた海上警察官もテニアンを離れていなかった。そして、このスイムコースを設置する為にテニアン海上警察が自前で買ったGPSあるので、作業は1時間足らずで済んだ。最初の頃は半日仕事だった。進歩したものだ。


【チャモロ人の超視力】
スイムコースで見られる熱帯魚この作業を1時間足らずで終了させるのは、チャモロ人の想像を超えた超視力と素潜りでの潜水能力があってこそ初めて可能になるのである。この作業はタンクを背負うとしづらいのでタンクを背負わず、その10m以上のの深さを素潜りで数回繰り返し潜り、海底でロープを結んだりするのである。大体、その深さに沈んでいるアンカー・ブロックを海面から肉眼で見つけること自体我々日本人の視力では不可能だ。これも決してまねのできないすごい能力だ。ある意味“グランブルー”のあのジャック・マイヨールもびっくりかもしれない。一緒に潜って探してみたが、彼らにはかなわない。

過去9年間に使ったアンカー・ブロックが台風などで流されていたりして、海底に散らばり、小さい魚の住みかとなっている。それにしても、テニアンの海は本当に美しい。仮のブイをつけ終わり、コースを泳ぐと10m以上下のアンカーまでもがしっかり見える。透明度は高い。

俗に、テニアンの海の透明度は30mとも言われている。熱帯魚もたくさんいる。今年はスイムコースのタガビーチでカメも見ることができた。選手の数人はエイも見たそうだ。


【TV取材】
バイクも速くなったヒロミさん6月13日(金)、今年はタレントの“ヒロミ”さんが参加した。2年前のテニアン大会が彼の初レースであり、今年は2回目の参加となる。彼をターゲットにテレビ東京の“ソロモン流”の番組取材が入った。午前中はディレクターを連れてコースの下見をしたのち、テニアン警察へ出向いて、当日の取材に関し、安全面の注意事項をブリーフィングされた。

午後は今年からの試みとして、“試泳&水中撮影会”を行った。レース中は美しいターコイズブルーを存分に楽しんで泳ぐことはできない。それでは勿体無いので、スイムコースの下見も兼ねて、テニアンの海をゆっくり楽しんでもらおうという企画である。


【テニアンは6月が最高】
余裕の笑み、伊藤純子選手6月14日(土)、いよいよレース当日。テニアンは一年でこの時季が一番暑い。地球温暖化の所為か、今年はまた格別に暑い!スコールもなく本当に暑い。その代わり、海の状態は最高だ。波もなく、2月に開催していた頃を思えば、テニアン〜サイパン間のフェリーも揺れないし、快適だ。

さらに、島の景色の美しさも一年で一番美しい時季だ。島中あちらこちらに真っ赤な火炎樹が咲き乱れ、海と空の青さ、ジングルの緑に真っ赤な火炎樹の色がよく映える。

2年前まではスタート時間ギリギリだったブイの取り付けも、今年は30分程余裕をもって設置できた。海のコンディションも申し分ない。光も十分に差し込んでターコイズブルーも鮮やかに出ている。7:30ジャストのスタートだ。ところが正にこの時、一人の選手が「ゴーグルが壊れた。ちょっと待って!」を叫んだのである。ゴーグルを取り替えて、2分後にスタート。

レースはスイム、バイク、ランと順調にすすんでいった。今年は常勝の松丸選手が不参加だった為、宮塚選手とサイパンの選手、そしてテニアンのダイナスティーホテルで働いているオーストラリア人のケン・ホリデーとの戦いとなった。


【炎天下、頑張る子供たち】
ラン・エイドの風景エイドステーションもしっかりでていた。今年もボーイスカウトとガールスカウトの子供達が担当してくれた。今年は格別に暑い為、脱水症対策として、塩の他に一部のエイドには梅干を置いた。容器の蓋を開けて置いておくように伝えていたが、自発的にランナーのところまで梅干を持っていっていた。最初の頃と比べたら、子供達もトライアスロンというスポーツをよく理解できてきたようだ。そして、ボランティアという役割を楽しむことができるようになってきた。

テニアンのレースでは最終ランナーのすぐ後ろにエイドを担当した子供達や救急車が列をなしてフィニシュ地点に向かって戻ってくるというパターンがいつの間にか出来上がってしまった。疲れた最終ランナーに声援を送りながら、まるで凱旋パレードのようだ。


【楽しい企画】
ファンスイムの様子リーフスイムの方では、昨年までの1.5kmと3.0kmに加え、4.5kmのカテゴリーを導入した。また、昨年からの試みとして、オーシャンスイムの選手がスイム終了後、ランのみトライアスロンと同じコースを走る“ファンラン”を取り入れた。昨年好評だったので今年も導入した。今年も参加した選手にはとても好評だったので、来年からも続けようと思っている。

夕方のアワードパーティーでは、おいしいアイランドスタイルのバーベキューを中心に、レッドライス、パパイヤで作った美味しいピクルス(チャモロのバーベキューには欠かせない)、それに、代表的なチャモロ料理であるチキン・ケラグエンやタロ芋のココナッツミルク煮等、数々のアイランドスタイルの料理が並んだ。そして、冷たいビールも欠かせない。シンプルな島の料理だが、私達日本人には十分おいしく、むしろ日本では味わうことのできない贅沢なバーベキュー・ディナーだった。さらに、タガビーチの美しいは夕焼けもパーティーに華を添えた。


【ちょっとお得なアフター・レース】
スクールバスと大人たち今年もレースの翌朝に楽しいオプショナルツアーの企画を実施した。“カスティズ・ワイルドライフ・パーク”という主にテニアンに生息している野生動物を集めた“プチ”動物公園といった感じの所で、1時間ほど楽しんでもらおうというもの。

今年も通常入場料$5のところを“トライアスロンとオーシャンスイムの選手達を是非招待したい”というメイヤーズオフィスの意向で無料にしてもらい、さらに、送迎車まで用意してくれた。ここは車でないと行けない山の頂上にある。送迎車は、何と普段使っている“スクールバス”なのだ。日本人がアメリカンタイプの黄色いスクールバスに乗れるチャンスもめったにないというか、絶対に乗れないシロモノである。これに乗れた皆さんはラッキーだったし、貴重な経験だったと思う。

当たり前だが、このバスは子供用の為、シートは小さく、少し窮屈だが、車内で“スクールバス乗車記念”の写真を撮っている人もいた。行く道すがら、火炎樹が満開で、その下には散った花びらが赤い絨毯のようで美しい。テニアンは海も綺麗だが、ジャングルも素晴しい。到着すると生後2ヶ月程度のヤギちゃんが駆け寄ってきて出迎えてくれる。とても人懐っこく哺乳瓶から水を飲む。そんなヤギちゃんは皆の人気の的だった。シカやカメ、孔雀やウサギやヤシガニもいる。


カスティズ・パークから臨む太平洋、これぞ絶景山の上のジャングルに動物やベンチを置いて公園にしてあり、その敷地内にトレイル道が造ってある。マイナスイオンいっぱいで、ちょっとした散歩気分が楽しい。そして、何といってもここからの景色が素晴らしく、まさに絶景だ。トライアスロンバイクコースの折り返し地点になっている、スーサイドクリフを反対側から見下ろすかたちになっていて、目の前は海と崖の大パノラマだ。

テニアンの海の美しさはよく知られているが、ジャングルはめったに人が入らないし、高い場所からの景色の美しさには目を見張るものがある。散策の後は、1人に1個づつ、ココナッツがふるまわれ、中のジュースを飲んだ後は、半分に割ってもらい、中の白い果肉を珍しそうに食べていた。


【テニアンの現実】
冷たいココナッツ・ジュースは最高!!最後に、このテニアン島は未だに米軍がテニアン空港から北側一帯を所有している。それは面積にして島の約2/3に相当する。そして、近い将来、早ければ1年後には民間人の立入が禁止されることが決まっている。すなわち、B29原爆搭載ピットやB29が広島や長崎に向けて飛び立った滑走路、それに白砂の美しいロングビーチなどを含む島の北部一帯の観光ができなくなるということである。

その理由は、沖縄の米海兵隊8000人が2014年までにグアムに移転することが決まっており、その彼らの演習場としてテニアン島の北部を使用することになったのである。

ということは、当然、日本からの補償金の一部が演習場整備費に注入されるだろう。そして、事実上、米軍の一部に組み込まれている自衛隊もここで合同演習をすることになるだろう。こんな忘れ去られたような小さな島でも米軍再編というグローバルなうねりに飲み込まれることになった。幸い、島の南部を使うトライアスロン&リーフスイム大会への影響は全くない。



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