北マリアナ諸島(ロタ&テニアン&サイパン)
ローカル情報満載ファイル(101〜150)
■150、マリアナの美容院 北マリアナ諸島の美容院では、美容師のほとんど全ては出稼ぎフィリピン人のオカマである。ローカルのチャモロ人美容師は皆無である。また、日本にある男性専用の床屋、或いは、散髪屋というものはなく、男女とも美容院に行くのが一般的である。カット、シャンプー、リンスはもちろん、パーマやヘアカラーまでやってくれる。料金はだいたい日本の1/3くらい。例えば、カット(男性の散髪も同じ)料金は5〜10ドルくらいで、所要時間は10分くらい。腕前は、日本の首都圏の駅舎にある「10分1000円」を謳い文句にしているカット屋より遥かに上だし、丁寧である。 シャンプーの時に、顔面にガーゼを被せたり、「痒いところはありますか?」などの質問はない。そうかといって、仕事が雑な訳ではない。技術的にはしっかりしている。むしろ、オカマならではというか、丁寧で繊細である。オカマの彼ら(彼女ら?)には、まさに、この仕事が天職のように思える。 彼ら自身もオカマにこだわりを持っており、髪型、化粧、しぐさに至るまで女性としての「美」を追求しているのが傍目にも見て取れる。中には、付け胸をしているオカマもいる。店内に一歩入ると、明るくて、ハッピーなオカマ独特の雰囲気が漂っている。何事も経験、トライされてみてはいかが。 ■149、チャモロ・ソング マリアナに行ってレンタカーを借りると、カーラジオから様々なジャンルの歌が聞こえてくる。その中でも独特なメロディは、現地の言葉チャモロ語で歌うチャモロ・ソングである。南の島特有のゆったりとしたバラード系のものや、チャモロ人が大好きな、今にも踊り出しそうなチャチャチャのリズム等々である。 そんな中で、「あれっ」と思う聴き慣れた曲がある。それは、何と、日本のヒット曲のコピーなのである。平たく言えば、パクリである。メロディーはそのままで歌詞がチャモロ語に置き換えてある。一部分は日本語の歌詞がそのまま使われている箇所ある。昔から日本の歌はチャモロ人にも人気があり、特にバラード系の歌がよくコピーされている。人気があるのがサザンオールスターズの“いとしのエリー”、夏川りみの“涙そうそう”、徳永英明の“最後の言い訳”等々である。どれも良い曲だが、さらに、そのコピーの仕方が絶妙で、情感たっぷりに、雰囲気を上手く醸し出して歌っている。 また、日本の歌ではないが、“マイウェイ”“ラブミーテンダー”やカーペンターズやビートルズの曲もよくコピーされている。因みに、ロタ島にもケビン・アタリックというシンガーソング・ライターがいる。彼は歌を作るときには、神のお告げがあり、天から頭の中にメロディが降ってくると言う。 ■148、ローカル・レートとミニタリー・レート 日本人にはあまり馴染みがないが、マリアナ(北マリアナ諸島とグアム島のこと)では、一部の支払いに関してローカル・レートとミニタリー・レートという特殊な割引制度がある。 通常、観光客が行く繁華街の店では、観光客向けの値段、すなわち、少し高めの値段設定がしてある。これは別にマリアナに限ったものでなく、日本の観光地でも、ハワイでも、香港でも、世界中どこの観光地にもあるものである。 これらの繁華街で、ローカル(地元の人たち)向けに、観光客向け値段から20%ほど割引する。この割引値段のことをローカル・レートと呼んでいる。対象となるものは、ホテルの宿泊費、大きなレストラン、レンタカー等々である。元々観光客向けではないスーパーマーケットなどではローカル・レートは適用されない。この割引を受けるためには、支払いの際に、現地の運転免許証やID(身分証明書)を提示しなくてはならない。しかし、一目でローカル(地元の人)と分かる人は、何もしなくてもローカル・レートを適用して割引してくれる。だから、マリアナではローカルのような風貌の人は得をするということである。 一方、ミニタリー・レートとは軍人専用の割引率(割引料金)のことである。対象はホテルの宿泊料金、レンタカー、レストラン、航空券など。しかし、ローカル・レートと違って繁華街以外の地域でも適用される。また、その割引率は40〜50%と非常に高い。この割引を受けるにはミニタリー・IDを提示しなくてはならない。また、KFCの大会では設定していないが、現地で開催されるマラソンやトライアスロンの参加費にもミニタリー・レートが設定されているものがある。 ■147、北マリアナ諸島の住宅事情 北マリアナ諸島の住宅事情は日本のそれとは大きく異なる。日本の住宅の場合は、木造瓦葺2階建で、壁はモルタル造りというのが一般的だが、北マリアナ諸島ではブロック造りの住宅が一般的である。 建築費が安上がりで、住宅としての強度も問題がない。風速100km/h級の台風が襲って来てもビクともしない。これは台風の多発地帯であるマリアナでは大切な要素である。さらに、木材を使っていないので、火災にも強い。だから、北マリアナ諸島で住宅火災は皆無に等しい。 それに、機密性に優れているので、冷房もよく効く。また、湿度が高くても、木造のように腐ることはない。仕上げには、セメントを上塗りして、ペンキを塗って外装を整える。だから、一見、立派な鉄筋コンクリート造りと見間違う。ブロックでできているようには見えない。 基礎の部分に関しても日本とは大きく異なる。日本のように負荷がかかる基礎の部分だけを固めるのではなく、家屋の敷地面積全体に満遍なく鉄骨を組んでセメントを流し込んで平面状にしっかりと固める。そして、その上にブロックで壁や支柱部分を器用に積み上げていくのである。もちろん、鉄筋で補強する。 日本のどこかのマンションのように鉄筋をケチるような手抜き工事はしない。このように基礎がしっかりしているから、地震にも強い。因みに、マリアナ諸島は活火山帯であるため、時々、大きな地震が発生する。 住宅の価格に関しては、立地条件や価値観が各々違うので、一概に高い安いを論じることはできない。北マリアナ諸島では、幾ら高価な住宅を建てても、それに対する固定資産税に相当するものがないのがよい。 ■146、マリアナの海に大渦巻き! 日本では鳴門海峡の渦巻きが有名だが、マリアナの海でも大渦巻きが発生する場所がある。それはサイパン島とテニアン島の間にある海峡で発生する。 この海峡の幅は約5kmで、普段から潮の流れが速い所ではあるが、時として、潮の干満の影響でテニアン寄りの海流に非常に速い流れが発生する時がある。そのテニアン側の非常に速い潮の流れとサイパン寄りの遅い潮の流れが原因(スピードの差)で大渦巻きが発生する。その直径の大きさは、何と約4kmもある。 地元の人たちの間で、この海峡は流れが速いことはよく知られているが、このような大渦巻きが発生していることはほとんど知られていない。そして、それを見た人も少ない。この大渦巻きが原因かどうかは分からないが、昔からこの海峡でカヌーや小型ボートの転覆事故が多々起こっている。カヌーでこの海峡に漕ぎ出して行くのは危険である。 【右の写真は2006年6月4日15:00頃に現れた大渦巻を上空から写した貴重な写真、陸地はテニアン島】 これをマリアナの観光資源として利用することができるのでは、と思うのだが、それをやろうとする現地の人がいない。 ■145、北マリアナ諸島の水道事情A 水質の良いロタ島を除いては、サイパンもテニアンもグアムも水道水を蛇口から直接飲んだり、炊飯に使ったりすることはできない。塩分や石灰分が多く含まれているからである。通常、そのままの水道水はシャワーやトイレに使われている。 街のスーパーマーケットには、エビアンやボルビックなどのペットボトルを売っているが、これらを炊飯や、コーヒーやお茶を入れたり、水を飲んだりする日常生活水に使っている訳ではない。 島民たちは、多量の水を必要とする日常生活には5ガロン容器(約20リットル)に入った真水を水屋、或いは、スーパーマーケットから購入するのである。これだとペットボトルと比べて非常に安価で、使い勝手か良い。最初は5ガロン容器(15ドル程度)を購入しなくてはならないが、2度目からは中身の水だけを購入すればよいのである。5ガロンが1ドル50セント〜2ドル程度で済む。では、この真水はどうして作るかというと、水屋が水道水をろ過して作るのである。 ビーチ沿いに建つ一流観光ホテルの水道水は蛇口から直接飲んでも問題はない。なぜなら、各ホテルが独自で水道水をろ過して客室に供給しているからである。とは言っても、塩分が多少残っているので、石鹸の泡立ちが良くないのは致し方ない。南の島においては、昔から飲料水の確保には高コストを要するのである。 ■144、実録「Hunt for Abu !」 これは「今だから話せる本当にあった話@」です。文章が長いので「特別版レポート」に掲載します。 ■143、微笑ましいマリアナのニワトリ マリアナ諸島では道端でニワトリの親子を見かけることがよくある。親鳥の後ろを小さなヒヨコが数羽チョロチョロとついて歩いている。日本ではお目にかかれない微笑ましい光景である。 マリアナ諸島のニワトリは昔の日本の田舎のように自宅の庭で放し飼いという方法で飼われている。だから、自然とニワトリ同士が交尾をして有精卵を産むのである。そして、それを親鳥が抱いて暖めてヒヨコに孵すのである。孵ったヒヨコは親鳥が愛情を込めて育てる.。とにかく、朝から晩まで親鳥の行くところにチョロチョロついて行き、片時も離れることはない。 また、放し飼いにしておけば、餌をやる必要がないので飼い主は助かる。そこかしこに生えている草を食べて成長するからである。常夏だから一年中緑の草が枯れてなくなることはないので経済的である。加えて、ヤシの実を二つにカットして庭先に置いておけば、勝手に中身の白いコプラ(ココナッツミルクの原料)を啄ばんでくれ、成長が早まり、卵もたくさん産んでくれる。ヤシの実は、栄養価が高く、安価なニワトリの栄養剤なのである。 同じ敷地内に猫や犬も放し飼いにされているが、猫や犬がニワトリを襲うということはない。なぜなら、マリアナ諸島のニワトリはスリムで、動きが敏捷で、大空を舞うことはできないが、背の高い木の枝に軽々と飛び上がることもできるのである。だから、猫や犬ではニワトリに敵わないのである。また、飼われていたニワトリがジャングルに迷い込んで、野生化したものも生息している。野生のニワトリが生息しているのは世界中探してもマリアナ諸島以外にはない。 かつで、空を飛ぶ珍しいニワトリがロタ島に生息しているとヨーロッパ中で話題になったことがあった。その時、イギリスの鳥類学者がロタ島まで空飛ぶニワトリを調べに来たこともあった。マリアナ諸島のニワトリはちょっとした有名人?(いや、鳥)なのである。 ■142、ウナギのふるさと、マリアナの海 ニホンウナギの産卵場所は長年の謎とされてきた。それがようやく塚本勝巳教授率いる東大研究チームによって突き止められ、半世紀を超す産卵場探しに決着が着いた。 その場所は、何と、北マリアナ諸島の西方、正確にはロタ島の西方約200kmの地点にあるスルガ海山(北緯約14度、東経約143度)である、ということが判明したのである。日本の沿岸で養殖用に捕獲される稚魚のシラスウナギは、このスルガ海山から海流に乗って遥々やってくるのである。 一方、何万、何十万匹という膨大な数の親ウナギたちは、産卵のために、一斉に日本の川を下って海に出て、小笠原諸島から北マリアナの北部諸島に沿って南下し、産卵場であるスルガ海山に辿り着くのである。ウナギにはGPSでも付いているのだろうか。なぜ、広大な太平洋で、自分が産まれた「点」のようなスルガ海山の位置がわかるのだろうか。不思議である。そして、その海山で親ウナギたちが大きな群れを作り、新月の夜に一斉に産卵をするのである。遥か昔から、人知れず営まれてきた壮大なドラマである。 ここで気になるのは、北マリアナ諸島の人たちは魚を獲る為に、昔からスルガ海山の付近まで出掛けていることである。彼らの絶好の魚場は海底から競り上がっている浅い棚場、すなわち、海山の頂上なのである。スルガ海山も彼らの魚場の一つかも知れないし、或いは、スガル海山ではないにしても、この辺りの海域は、彼らチャモロ人たちの古くからの魚場である。 スルガ海山は水深3000mの海底から競り上がり、山頂の水深は約40m(ロタブルートライアスロンのスイムコースと同等程度の水深である)と非常に浅い。だから、晴れていれば、船(海面)からその海底ははっきりと見えるはずである。もちろん、親ウナギの大群もハッキリと見ることができる。もしかして、北マリアナ諸島の漁師たちは過去に親ウナギの大群を見たことがあるのかもしれない。そのような伝承が残っているかどうか調査する価値は十分にある。(近日中に、KFCローカル・ネットワークを使って調べる予定) この壮大なドラマの一端を覗いてみたいものである。北マリアナ政府は、このウナギの産卵場スルガ海山を観光資源の一つに加えるべきである。これほど貴重な観光資源を放っておく手はない。サイパンからスルガ海山までの200kmという距離は、サイパン島〜グアム間の距離と同じだから決して遠過ぎるということはない。クルーズには丁度手頃な距離である。 ■141、世界情勢(経済)の縮図、北マリアナ 北マリアナ諸島は太平洋上の点のような小さな島々ではあるが、こんな所にも世界情勢の波が押し寄せ、如実に世界情勢を映し出している。 最近(2006年2月)目立つのは、世界的な原油高騰から生じたオイルマネーの恩恵が北マリアナ諸島にも及び始めていることである。それは、近年の原油高で生活レベルが向上した大産油国ロシアからの観光客来島である。それも、全観光客数の10〜20%も占めるようになった。しかし、ロシアといってもモスクワではなく、ナホトカやハバロフスクと云った比較的マリアナに近い極東地域からの来島である。原油の高騰が始まる以前はロシアからの観光客など殆どなかった。 また、アジアの経済情勢もハッキリと映し出している。近年の傾向として、日本資本のホテル(フィエスタ・リゾート&スパ/旧第一ホテル、サイパン・ワールド・リゾート/旧ダイヤモンド・ホテル、ハファダイ・ビーチ・ホテル等々)が韓国資本や中国資本に買収され、日本の投資は北マリアナ諸島から引き上げる傾向にある。2005年10月には、長年サイパンの観光業を支えてきた日本航空(JAL)も撤退した。これに付随して、近い将来、ホテル・ニッコー・サイパンからもJAL資本は撤退することは間違いない。これらは全て90年当初のバブル崩壊時から2005年までの日本経済の低迷に対して、中国経済や韓国経済の台頭によるものである。 過去に遡ると、1985年の「プラザ合意」以降の急激な円高は、日本企業の国際競争力を低下させたが、反面、海外投資がしやすくなった。その結果、それまでサイパンにあったアパートのような貧弱な建物のホテル(例えば、第一ホテル/現フィエスタ・リゾート&スパなど)は、日本の投資により立派な新しい大規模ホテルに建て替えられた。さらに、新規に日本投資が入って大規模ホテルがたくさん建てられた。また、その円高を利用して、日本の海外旅行熱か高まった。その結果、北マリアナ諸島にもたくさんの日本人観光客が訪れるようになり、島の経済も急激に発展し、道路の舗装化や水道や電気と云ったインフラの整備も進んだ。 1989年に韓国が海外旅行を自由化にした。そして、その年からようやく韓国人が自由に海外旅行にいけるようになったのである。それ以前の北マリアナへの来島者は日本人観光客ばかりであったが、徐々に韓国人旅行者も訪れるようになった。その後、韓国の経済発展と共に韓国人観光客が増えていった。その結果、当然の如く、韓国からも投資が入るようになり、韓国資本の大規模ホテル(リビエラ・ホテル等々)建設がサイパン島の彼方此方で始まった。 ところが、1997年に投資家ジュージ・ソロス(ヘッジファンド)が仕掛けたアジア通貨危機で韓国経済が破綻し、韓国からの観光客はピタッとゼロになった。さらに、悪いことが起こった。その時、建設中の韓国資本ホテルも資金不足から建設工事途中で投げ出して帰ってしまった。その残骸がサイパン国際空港の前にある幽霊ビルのようなセメント剥き出しの建物である。その後、通貨危機が終わった2000年頃から徐々に韓国人観光客が再訪するようになってきた。 また、近年、中国の影響も無視できない。1997年の香港返還を機に、テニアン・ダイナスティ・ホテル&カジノという香港資本の巨大なカジノ施設を併設したホテルが、1998年にテニアンに建てられた。そして、1997年に中国も海外旅行を自由化した。しかし、当初は中国からの観光局は非常に少なかったが、その後、急激な経済発展を背景に広州等々の比較的裕福な沿岸部からツアーを組んで団体で訪れるようになってきた。 このように小さな島ではあるが、北マリアナ諸島から世界情勢がハッキリと見えてくるのである。そして、今、島の人たちは、長年に亘って北マリアナ諸島の発展に貢献してきた日本の投資が引き上げていくことに不安と寂しさを感じているもの確かである。 ■140、ビジターズ・チャンネル 北マリアナ諸島(サイパン・ロタ・テニアン)やグアム島の殆どのホテルで「ビジターズ・チャンネル」という番組が部屋備付のテレビで放映されている。番組と云ってもストーリー性のあるものではなく、日本で云うテレビ・コマーシャル用の短いフィルムをつなぎ合せたもので、40〜50分で1本のフィルムになっている。 それが日本語の解説で、日本人観光客向けに、現地の「買う・遊ぶ・食べる・見る」情報を24時間に亘って、延々と繰返し流れている。ちょうど、ホテルの部屋で見る「TV版観光ガイドブック」と云ったところである。 北マリアナ諸島のホテルでは北マリアナ諸島の情報を、グアムではグアム島情報を夫々別々のフィルムで放送している。これは現地のビデオ制作会社が現地の店やレストランと契約して作ったもので、契約先の情報だけを放映しているので、偏ったものになっている。そして、フィルムは同じものを1〜2年間流し続けている。その中でも、一番多いのはレストラン情報で、ホテル内のレストランだけでなく、街中のレストランも紹介しており、どこに、どんなレストランがあるのかを映像で教えてくれる。このレストラン情報は最も役立つ情報である。 また、「買う・遊ぶ・食べる・見る」情報だけでなく、朝市やストリート・マーケット(日本で云う縁日のようなもの)などの島情報も放映している。ちょっと変わった所では、プチ・チャモロ語講座もやっている。見逃しても、繰り返し放映しているので、再度見ることができ安心である。最近(2005年度以降)は、ロタ情報がフィルムに含まれていない。おそらく、ビデオ制作会社と契約していないのだろう。 頂けないのは、フィルム製作に関して手抜きをしている部分が時々見受けられることである。例えば、北マリアナ諸島版の放映(2006年1月放映)フィルムで、串焼肉BBQを焼いて食べるシーンがある。これが如何にもサイパンの公園でやっているように演出しているが、実は、グアム島のチャモロ・ビレッジで毎水曜日に催されるフィエスタのフィルムを流用しているのである。 日本人観光客には分からないだろうと思ってやっているのだろうが、これは一種の「ヤラセ」で、日本なら「社長のお詫び」ものである。こんなシーンを見ると、日本人を馬鹿にしているようで、不快な気分になる。フィルム全体の信憑性にも疑問が沸いて来る。おそらく、この会社のマネージャーはチャモロ人ではないはずだ。なぜなら、チャモロはプライドが高いから、絶対にグアムの映像をサイパン用にパクことはしないからである。 ■139、チャモロ・アイとイラク戦争 マリアナ諸島には「チャモロ・アイ」という余り聞き慣れない言葉がある。この言葉の意味は、現地チャモロ人の「ずば抜けた視力の良さ」を意味する言葉である。 それを示す、次のようなエピソードがある。あるチャモロ人が、視力2.0の日本人を助手席に乗せて、夜8時頃、ヘッドライトの壊れた車を運転していた時の事である。そのチャモロ人は暗闇の中をまるで昼間のようにスイスイ運転していくのである。さらに、「向こうの交差点に誰某がいる」と告げるである。すなわち、遥か前方にいる人の顔が見えているということなのである。そして、助手席の日本人がその人影を見つけることができたのは、その数十秒後であったという。これには視力2.0の日本人も狐に化かされているような不思議な感覚に陥ったそうである。 チャモロ人は、我々文明人が望遠鏡で見るのに匹敵する視力を裸眼で持っているのである。さらに、驚くのは、単に、遠くのものが見えるだけでなく、暗闇でも遠くのものがよく見えるのである。すなわち、暗視スコープ付望遠鏡を持つ眼ということになる。おそらく、その裸眼視力は5.0か6.0はあるのではなかろうか。 我々KFCは大会時に毎度この「チャモロ・アイ」のお世話になっている。それは、遥か沖を泳ぐスイマーのコンディションを把握することや遠くを走る選手のゼッケン番号の識別等々である。だから、安全管理のため、レースの時は常にチャモロ人に傍にいてもらうことにしている。 砂漠の民や草原の民の視力が異常に良いのと同じで、海の民であるチャモロ人も視力が異常に良いのである。しかし、彼らはこの視力の良さを口外したがらない。特に、外国人には話さない。だから、「チャモロ・アイ」という言葉も外国人との会話の中では出てこない。そのため、現地在住が長い外国人(米国人や日本人等々)でも、そんな言葉がある事さえ知らない。チャモロ人はそれを自慢するというよりも、むしろ、隠したがる傾向が強い。その理由は、「文明人=視力は良くない、非文明人=視力が良い」と思っているからだろう。外国人から非文明人と思われたくないのである。 また、それ以外にも隠さねばならない重要な場合がある。それはイラクやアフガニスタンなどの戦場においてである。彼らは戦場に派兵されても「チャモロ・アイ」のことは隠しておく。何故なら、もし、これが米軍上層部に知れたら、チャモロ人やヤップ人などのミクロネシア出身の兵士たちは、間違いなく、彼らの力(超視力)が発揮できる最も危険な最前線の見張り役として送られるからである。 それ故、戦場では、この超視力はミクロネシア出身兵士だけの暗黙の秘密になっているという。だから、遠くを見る時は、隣にいるアメリカ人兵士と同じように、望遠鏡を覗き込む振りをするそうである。あるチャモロ人が白い歯を見せながらコッソリ教えてくれた。 ■138、北マリアナ諸島の知事選挙と就任式出席 4年に1度のスーパーイベントであるガバナー(知事)の選挙が11月初めの週末(2005年11月5日)に行われた。何故、スーパーイベントと云うかと言えば、その投票率が95%にも達するからである。 ガバナーというのは北マリアナ諸島でのアメリカ大統領に当たる。すなわち、最高権力者なのである。そして、この知事選挙はアメリカ大統領選挙と同じく、ガバナーとルーティン・ガバナー(副知事)の2人セットで選挙に打って出るシステムになっている。 この度の2005年度の選挙は過去に例を見ないほどの接戦となり、在外票(島外に暮らす人の票)の到着を待って、19日(第12回ロタブルー・トライアスロン大会日)にようやく正式結果が発表された。この度は2大政党のDemocrat(民主党)やRepublican(共和党)ではなく、Covenant(盟約党)という本国アメリカでも余り聞きなれない政党候補が勝った。 北マリアナ諸島では政党はそれほど大きな意味をなさない。その候補者たちが当選することが最優先であって、出馬直前に民主党から共和党に鞍替えしたり、共和党から民主党に鞍替えしたりすることは多々ある。この度のCovenant陣営も民主党から鞍替えした人(候補者も支持者も)が大部分である。一般的には現政権ブッシュ米国大統領が共和党だから共和党が勝つ方がアメリカ議会から予算を勝ち取り易くなって、北マリアナにとって有利ではないのかと思うが、彼らにとってはそうではないらしい。 そして、2006年1月9日に新政権の就任式が行われた。驚いたことに、この就任式にKFCトライアスロンクラブもVIP待遇で招待されたのである。当日の式典においては、大勢のVIPの1人として前方の席に座って新知事の施政方針等々を聞いているだけであった。別に何もすることはない。この後、夕方からサイパン・マリアナ・リゾートで盛大なパーティが催され、ご馳走を腹一杯頂いた。 ここで不思議な出来事があった。というのは、このパーティ会場で、ある出席者から、「日本の六本木ヒルズ族は株価が命、中身は何もない。 世間の人は彼らの仕事を必要としていない。もうすぐ皆お終いだよ。特に、ホリエモンは。」という予言めいた言葉を告げられた。 そして帰国後、まもなく16日に東京地検特捜部がライブドア本社に家宅捜索に入り、23日にはホリエモンが逮捕され、僅か1週間のうちにライブドア・サクセス・ストリーは脆くも崩れ去った。 ■137、ボジョボー人形騒動 2005年5月頃、日本のTV番組「ザ、世界ビックリ仰天ニュース」で願い事(恋愛成就や金持ち等々)を叶えてくれる不思議な人形と云うことで、北マリアナ諸島で昔から細々と手作りされていたボジョボー人形が紹介された。その影響で人気が沸騰し、日本人観光客がお土産用にまとめて買うので、現地では品薄状態が続いており、今は貴重なものになっている。(後記:2007年にはボジョボー・ブームも下火になった。) この人形は、この界隈に自生しているボジョボーの木の実の種と麻紐で作られており、男女ペアになっている質素で単純な、子供でも作れそうな民芸品である。ずっと昔から5ドル前後で売られていたものである。それが今(2006年1月現在)では何と20ドル〜30ドルが相場(ロタホテルの売店が一番安い、9ドルで売られている。2005年11月現在)になってしまっている。 最近、この人形で一儲けをしようと仕入先を探している日本人バイヤーや中国人バイヤーをグアムの田舎村やロタ島で見かけることがある。しかし、話を聞いて見ると、彼らはこの人形の背景を何も知っていない。単にブームに踊らされているに過ぎない。だから、的外れなことやって、上手く仕入れができないでいる。 この人形は、サイパンやグアムで作られていたものはなく、昔からロタ島で作られていたものである。もっと詳しく言えば、ロタ島の島民でシックスツーさんやアタリックさんという2〜3人の手先の器用な島民によって手作りされ、それが土産店に細々と流通していたのである。 それに、ボジョボーの木も島にはそれほど多く自生していないし、実をつける時期も限られている。だから、ブームが到来したからといって多量に作れるという代物ではない。それに彼らもノンビリしており、大量に作って売ろうなどと云う気はサラサラない。 今ではサイパンやグアムで観光客用にヤシの実で作った類似品(ココラックドール等々)が出回ったり、正規品販売店を名乗る胡散臭い店ができたりしている。強いて言うなら、正規品とは、ロタの島民シックスツーやアタリックさんの手作りボジョボー人形だけがそれに該当する。 因みに、島民たち曰く「ボジョボー人形で金持ちになったとか、恋愛成就した話は聞いたことはない」という。 ■136、奥が深いマリアナの海 昨年、マリアナ諸島の海で新種の魚が7種類も発見された。これが示すように、マリアナ諸島付近の海は非常に神秘的で魅力のある海である。 テニアン島にはこんな伝承がある。テニアンの東方沖には「クジラの墓場」があると言う。その所為だろうか、テニアン島の東海岸マサロク・ビーチには時々クジラの死骸が打ち上げられて来ることがある。その光景を目の当たりにすると、この伝承が強ちウソとも思えない。その証拠に、ロタやサイパンではこんな伝承はないし、クジラが打上げられてくることなど決して起こらない。テニアンが「ミステリアス・アイランド」と呼ばれる由縁はこんなところにあるかもしれない。 また、ロタ島の直ぐ東には水深1万mのマリアナ海溝が横たわっており、このマリアナ海溝の深海で餌を獲るために、時々クジラが回遊して来る。その時、陸地の近くを通るので、島民にその姿を見せることがよくある。時には、東港沖のササンハヤ湾(ロタブルー・トライアスロンのスイムコースもこの湾で行う)に迷い込んでくることもある。2004年7月には、何と!!数百等もの鼻権藤クジラがこの湾にやって来て、ダイバー達を驚かせた。 それ以外にも、ロタ東港沖は、あのウルトラマンの生まれ故郷なのである・・・と、これは作り話だが、円谷プロはロタ島の神秘的な青い海に魅せられて、ロタ島沖の海中をウルトラマンの生まれ故郷に設定している。 さらに、ロタ島とテニアン島の間の大海原には、深海からサンゴ礁が隆起して、水深50mくらいの広大な棚場が形成されている場所があるという。この棚場はマリアナ諸島最高の魚場で、大小ありとあらゆる魚が無数に住んでいると云う。水深50mくらいなら、透明度の高さからして、海底の様子がクッキリと見渡せるのである。ここの話をする時のチャモロは興奮気味に話すのが面白い。 それ以外にも、いつ、どの島から、どの方向に、何時間ボートを走らせれば、どんな魚が獲れるか、ということが古からの伝承で分かっているらしい。だから、例えば、週末に大きなパーティをやるから、2m大のマグク2本と1m大の尾長鯛3匹と鰹5匹というように注文すると、殆んど要求通りに、そのパーティ会場に新鮮な刺身で並べられているのである。これがチャモロの真骨頂である。 何でもないことのようだが、要求した種類の魚を、その日にドンピシャリと合わせて釣り上げてくるというのは超能力のようなものである。さらに、船といっても魚群探知機も何も付いていない時代遅れの小さな船外機付きモーターボートである。こんなチャモロも凄いが、マリアナの海は奥が深い! ■135、男尊女卑のチャモロ人社会 一般的には、男性は外で働き、女性は家で家事や育児をする。もちろん、外で仕事をしている女性も多いが、欧米のように男女平等な位置づけで働くことは殆んどない。 特に、男性社会だということを如実に表しているのが、政治家やガバメント(政府)の仕事においてである。女性がガバメントの仕事でトップの位置に付くことはない。また、女性の政治家もいない(2007年11月現在、下院議員に女性が一人いる)。チャモロ男性は女性に高圧的に支持されるのが大嫌いなのである。しかし、そうだからといって女性を虐げたり、下に見たりしている訳でもないのである。やはり奥さんは怖く、女性には優しいのである。 チャモロ社会は何事においても男女の区別がなされていると言える。例えば、パーティなどでも、一見ランダムに座っているように見えるが、よく見ると客人は別として、男達の席、女達の席というのが自然と分かれている。また、女性たちは男性同士の話には決して口を挟まない。特に、政治の話においては絶対である。 しかし、女性たちは女性たちだけで、月に一度くらいは「レディース・パーティ」と称して、飲んで歌って、羽目を外して楽しむのである。 ■134、超スローな車社会 なぜか、北マリアナ諸島の島民たちは非常にゆっくりした速度で車を運転する。理由は分からないが、とにかく、我々日本人から見ると、全般的にスロー・スピードなのである。単純に数値で表現するのは難しいが、感覚的に超スロー速度なのである。 我々なら自然と60〜80kmくらいで走ってしまいそうな片道2車線の交通量の少ない幅広い道路でも30km〜40kmでトロトロと走る。別に、ポリスによる速度取締りを気にしている訳ではない。 そして、幹線道路から反れて脇道に入ったりすると、途端に時速が10〜15kmくらいにダウンする。故障したのかな、と思うくらいである。しかしそうではなく、そのままどこまででもその速度で走るのである。偶々、運悪く後ろに付いてしまったりすると、余りの遅さに「イーッ」となってしまう。 このような車社会だから、当然のことながら、北マリアナ諸島における交通事故発生件数は非常に少ない。さらに、それが死亡事故につながることは滅多にない。おそらく世界中でも速度に関しては、最も安全運転をする国民(島民?)ではなかろうか。北マリアナ諸島でぶっ飛ばしているのは、緊急事態の時か、或いは、島外から来た外国人である。 反して、お隣のグアム島の交通事情は全く違う。皆、非常に飛ばす。国道などでは、少しでも前方が空いていると、80km〜100kmオーバーでぶっ飛んでいく。その所為だろう、交通事故による死亡者が多発して、社会問題になっているくらいである。 ■133、チャモロ人によくある病気 チャモロ人というのはよく食べ、よく飲み、毎日を明るく楽しく過ごし、身体が大きく、心も大らかで、とても病気とは無縁のように見える。確かに、都会人のようにストレスから来るような病気を患っている人は殆んどいない。 しかし、そんな彼らも、食生活、生活様式に問題があるのか、糖尿病、高脂血症、過コレステロール、血液や血管系からくる動脈硬化、痛風などを患っている人が多い。いわゆる、成人病である。しかも、これが大人だけでなく子供にも多いのは驚く。 それ以外には眼病を患っている人が多い。眼病の中でも、特に白内障を患っている人が多い。一年を通して紫外線が多く、サンゴの白い地面からの強烈な太陽の照り返しも白内障の原因の一つと言われている。とにかく、白内障の人が多いのである。それなのに、不思議なことに、どこの病院にも眼科というものが存在しないのである。 また、学校などでインフルエンザが流行ると、スグに島中に大流行する。チャモロ人はよく太っている割には寒さに弱く、雨季などで少し気温が下がると、すぐに風邪をひいて熱を出す人が多い。大きな身体に似合わず意外とデリケートなのである。気温が下がると言ってもTシャツ一枚で過ごせる程度の気温なのに・・・である。 ■132、チャモロ人の食生活 北マリアナ諸島にはレストランがたくさんある。特にサイパンには多くのレストランがあり、洋食、中華料理、日本食、韓国料理等々、世界中の美味しい料理を食べることができる。しかし、現地のチャモロ人たちは、給料日や誕生日などの特別な日以外には、レストランで外食することは殆んどしない。家で食事をする。また、太っている人が多いからといって、いつも豪華な食事をしているかと言うとそうではない。意外と質素な食事である。平均的なチャモロ人の一日の食事メニューは以下のようなものである。 【4:00AM/朝食】(マリアナの朝は早い) 朝食はスパム(SPAM)入りサッポロ一番(日本の即席ラーメン)を1袋か2袋。または、山盛りのフライドライス(焼き飯)で、日本でいう二人前くらいはある。一日の食事の中でも朝食は大切に捉えており、必ずたっぷりと食べる。チャモロ人はサッポロ一番にスパムとう組合せが大のお気に入りである。 スパムとはソーセージ缶詰の一種で、値段が安く、北マリアナ諸島では庶民の定番の食べ物である。米国製品だが、唐辛子大好きなマリアナ諸島向けに、タバスコを肉に煉りこんだスパイシーなマリアナ・バージョンが売られているくらいである。どこのスーパーにも入口に山と積んで売っている。 【12:00PM/昼食】 昼食も朝食と同じようなメニューが多い。または、どんぶり山盛りのごはんとフライドチキン。 チャモロ人はフライドチキンをよく食べる。日本で言う「から揚げ」とは少し違う。 【3:00PM/間食】 おやつとしてドーナッツ5個ほど。または、ご飯と刺身など。 周囲が海で、新鮮な魚が手に入り易い所為か、チャモロ人はたいへんな刺身好きである。 【6:00PM/夕食】 どんぶり山盛りのご飯とツナ缶を一個。来客など、特別な日にはバーベキューをする時もある。 とにかく、一日を通してチャモロ人は米のご飯をたくさん食べる。米が好きなのである。おかずは一品ということが多い。 一般のチャモロ人の食生活は大体こんな感じで、それほど偏っている訳でなく、まずまずである。しかし、問題なのは、食事以外にコーラなどの炭酸飲料をたくさん飲む習慣があることである。水代わりに、毎日1ダースくらい飲む人もたくさんいる。それに、子供の頃から普段の生活の中で歩くことを一切しない。子供は全員スクールバス通学、大人は隣家へ行くにも車で行く。だから太っている人が多いのである。 ■131、優れものの減速システム マリアナ諸島では、道路上に、道路を横切る形で道幅いっぱいにアスファルト、または、セメントを盛って、高さ15cm、幅30cmくらいの土手が作ってある箇所が多々ある。 これは強制的に車のスピードを落とさせるためのもので「バンプ」と呼ばれている。スピードを落とさずにこの凸型部分に突っ込んで行くと、車は飛び上がり、凄い衝撃を受ける。速度が高いと間違いなく車にダメージを受ける。日本にはこのような「バンプ」システムはないので、マリアナ諸島でレンタカーを借りた場合には要注意である。このバンプが設置してある箇所は、駐車場の出入り口、集落の入り口、学校脇の道路、繁華街への入り口等々、減速の必要な場所である。主要道路にはない。 この「バンプ」は車のスピードを確実に落とさせることができ、且つ、安価な優れたシステムである。標識のように無視して走行することはできない。このバンプ効果なのかもしれないが、北マリアナ諸島には暴走族や暴走車はほとんど存在しない。 また、ロタ島の「バンプ」は凸型でなく、凹型に道路が掘られている。この凹型バンプはロタ島以外にはない。これは島の中心地ソンソン村の入り口に2本あるだけである。この凹型バンプは車の減速システムだけでなく、スコール時の雨水排水溝の役目も兼ねる優れものであり、ロタの人たちのちょっとした自慢になっている。 ■130、北マリアナの外来宗教 北マリアナ諸島の島民の大部分はカソリック教徒である。しかし、出稼ぎに来ている外国人や移住者の人たちはそうとは限らない。例えば、バングラディシュからの出稼ぎ労働者(イスラム教徒)が多く住むチャランカノア地区には、幹線道路から見えない所にイスラム教徒のモスクがひっそりと建っている。サイパンにモスクがあること自体不思議であり、殆んど知られていないが、モスクまであると言う事は、サイパンにはイスラム教徒が相当数住んでいるということを意味する。 因みに、ロタやテニアンにはモスクはない。あるのはカソリック教会だけである。ここ北マリアナ諸島は米国自治領であるため、米国と同じく宗教や言論の自由は認められているので法的にはモスクがあること自体は問題ない。 さらに、意外なのは、サイパンには中国の新興宗教集団「法輪功」の信者がたくさん住んでいることである。法輪功は前中国国家主席江沢民の時代に迫害を受け、海外へ、特に米国へ逃れている信者が多い。そして、現在も法輪功の活動、というよりもその存在自体が母国中国では認められていない。彼らの目指す最終目標は人民を苦しめる中国共産党政権の打倒であって、法輪功自体は決して危険な宗教ではない。自爆テロなど暴力的な活動は一切しない。彼らはガラパン・ストリート・マーケットやフレームツリー・フェスティバル等々のイベント時にブースを出したりして、常に自分達の存在をアピールする程度である。そして、そのブースに江沢民や悪徳役人が人民を虐待や殺害している生々しい絵画を展示し、その前で信者たちが静かに座禅を組んでいるという風景をよく見かける。 元々、共産党独裁政権というものは宗教集団とそのシステムが酷使している。例えば、中国共産党政権独裁者であった毛沢東は、宗教集団の教祖のようなものである。すなわち、共産党独裁国家と宗教集団は同じようなものなのである。だから、独裁国家には二人のリーダーは要らないのである。それは独裁国家の存在を脅かす危険な存在なのである。ソ連の独裁者スターリンも己の独裁政権を脅かすものとして、国内での宗教活動を一切認めなったのもこのためである。 ■129、米国政府の憂鬱 2005年8月末にグアム島北部のリティディアン岬のビーチで中国人密航者5人が発見拘束された。彼らはいずれも北マリアナ諸島(サイパン島)から小型モーターボートに乗ってグアムへ向かったのである。グアム島は北マリアナ諸島最南端のロタ島からは目と鼻の先の距離であり、晴れた日には島影をハッキリと見ることができる。 米国領であるグアム島は入国ビザの条件が非常に厳しく、中国人の正規入国は殆んど不可能に近い。しかし、北マリアナ諸島は米国の自治領というポジションにある。だから、入国ビザの条件は北マリアナ政府が独自で定めることができる。そのため、グアムよりもその条件がかなり緩い。 というのは、北マリアナはローカルのチャモロ人の人口が少ないため、島内の経済を動かしていくには外国人の労働力は絶対不可欠であり、フィリピン、バングラデッシュ、中国等々から安い労働力を雇い入れる必要があるからである。そんな事情があって、米国に密入国したい人たちは、先ず北マリアナ諸島に正規ビザで入国して、そこから、チャンスを窺って小型モーターボートでグアムを目指すのである。すなわち、北マリアナ諸島を米国密入国の足場として利用しているのである。 最も多い年(1999−2000年)では年間約1200人もの密航者がグアム移民局に拘束されている。これらの大部分が中国人である。また、これだけ大勢の中国人密航者がいるということは、おそらくグアムにこれらの密航者の手助けをする中国人組織が存在しているということである。これら北マリアナからの密航者の多さに頭を悩ませている米国は、北マリアナ政府から入国管理の権限を取り上げようとする動きを強めている。 以下は実際に目撃した話である。 2003年、背丈ほどのブッシュが茂っている人通りの少ない原野を抜けて、車でリティディアン岬に行く途中、怪しげな場面に出くわしたことがある。ブラインド・コーナーを抜けると2〜300mほど前方に白いセダンが停まっており、今、正に4人の小柄な東洋系の男達が車から降りようとしていた。 こちらの車に気が付くと、瞬間、4人とも左右のブッシュの中に散ったのである。まるで、忍者のような身のこなしで。彼らを降ろした車も同時に発進して対向して来た。乗っていたのは何食わぬ顔で運転する東洋系の普通のオバサンだった。奇妙な取り合わせである。 そして、数秒後に、男達が姿を消した場所にさしかかった。しかし、どこに隠れたのか、その辺りには人の気配が全くないのである。彼らは間違いなく訓練を受けた者たちに違いないと直感した。彼らが中国人密航者と関係があるのかどうかは分からないが、不気味な奴らであった。 ■128、北マリアナのお宮参り 現地チャモロ人の生涯において、「ロサリー」と同じくらい大切な行事がある。それは「クリスティニング」と呼ばれる行事で、「ロサリー」が人生最後の行事であれば、これは人生最初の行事に当たるものである。 これは子供が生まれると1歳の誕生日までに行われる。日本で云う「お宮参り」のようなもので、カトリックの行事の一つである。その内容は、先ず、子供を連れて教会に行き、そこで「ゴッドファーザー」、或いは、「ゴッドマザー」と呼ばれる「神の親」の資格のある人に「カトリック・ネーム」なるものをその赤ちゃんに付けてもらうのである。いわゆる、これがカトリックの「洗礼の儀式」に当たり、イエス・キリストの血に見立てた赤ワイン、骨に見立てた硬いパンを用いてその儀式は行われる。 ここで「神の名前」と「神の言葉」を貰うのである。実際に「神の親」になるのは、そのファミリー(一族)の目上の人がなることが多い。そして、その夜は親戚友人一同が集まって仕上げにお祝いのパーティを開くのである。これには教会の神父も加わってお祝いの言葉を述べる。赤ちゃんの洗礼を祝うパーティとは云え、BBQもあり、レッドライスもあり、もちろん、ビールもある楽しいお決まりのチャモロ・パーティなのである。そして、この時ばかりは主役の赤ちゃんのことは暫し忘れられがちである。 ■127、マリアナの花 マリアナ諸島にはたくさんの種類の美しい花がある。そして、島民たちはいろいろな花を上手く生活の中へ取り込んでいる。数ある花の中でも、マリアナを代表する花と云えば、ハイビスカス、ブーゲンビリア、プルメリア、フレームツリーの4種類で、これらは全て木に生る花である。 ハイビスカスには赤、黄、ピンク、白の4色がある。花が大きくて華やかなので、髪に刺したり、首飾り(レイ)にしたりして、おしゃれとして楽しむことが多い。また、香りが弱いので食卓に飾ることも多い。日中は開花しているが、夕方から早朝までは花を硬く閉じてしまうという特徴がある。特に美しいと思うハイビスカスはロタ島にあるロタリゾートに植えてある真っ赤なハイビスカスである。因みに、ハイビスカスはグアム島の「花」に指定されている。 ブーゲンビリアは赤に近い濃いピンクが主流だが、白、オレンジ、ピンク、黄、紫色もある。一見花びらに見える所は葉で、真の花はその中心にある直径数ミリの小さなものである。花が密集して咲く性質があるので、民家の垣根として植えられていることが多い。 プルメリアは白色が一般的だが、黄、クリーム、ピンク色もある。香りが非常に強く、南の島らしい甘い良い香りがする。他の花のような華やかさはないが、可憐な清楚な感じの花である。女性は香水代わりにしたり、部屋に置いたり、風呂に浮かべたりして香りを楽しむ。これはロタ島の「花」に指定されている。 フレームツリーは他の花と違って年中咲いている訳ではない。4月から6月にかけて一斉に咲く。その木は桜の木ほどの大きさであり、一斉に咲くところや、花が散った後に葉が出てくるところなど、日本の桜によく似ている。但し、その花は淡いピンクではなく、燃えるような、炎のような朱色をしている。だから、別名、南洋桜とも、火炎樹とも呼ばれている。この名前は日本統治時代に日本人が名づけたものである。この花はサイパン島が最も多く、メインロードに沿ってたくさん植えられている。。 ■126、悲しみの「黄色いリボン」 「黄色いリボン」とは戦地に赴任した家族や恋人、友人の無事帰国を願って、黄色いヒモやテープを自宅の玄関先や金網フェンスに結び付ける習慣のことである。この慣わしは、1979年のイランによる在テヘラン米国大使館員人質事件での米国大使館員の無事帰国を願って米国内で行われたのがその始まりと言われている。その後、1991年の湾岸戦争の時に一気に米国中に広がったものである。戦地(戦闘をするための戦地、イラク戦争での自衛隊のイラク活動はこれには当たらない)に兵士を送ることのない日本では余り馴染みはないが、北マリアナ諸島では9.11NYテロ直後のアフガニスタン戦争の頃から民家の玄関先など至る所でこの「黄色いリボン」が目に付くようになった。北マリアナ諸島では警察官の大部分が米国陸軍(USアーミー)の予備役であるという事情があり、有事の際には、真っ先に徴兵されるのである。2001年10月から始まったアフガニスタン戦争、続くイラク戦争では大勢のマリアナ出身の兵士が亡くなっている。長引く戦争で、昨年(2004年)辺りからは「黄色いリボン」の風潮にも変化が見られるようになった。単に、ヒモを結びつけるリボンではなくて、車に貼り付けるマグネット式の「黄色いリボン」が販売されるようになり、これを貼り付けている車を島中の至る所で見かけるようになってきた。さらに、今年に入ってからは、ピンク色のものや白地に星条旗をアレンジしたものまで出回ってきた。こんなものが商売として売り出されると言う事は戦争が日常化してきたということであり、非常に不気味な兆候である。 ■125、天皇、サイパン訪問中の「ちょっといい話」A 2005年6月27日に天皇がサイパン国際空港から宿舎であるニッコー・ホテルに到着された時のことである。ホテルの玄関先で現地在住の日本人の子供たちとその親たちが日の丸を振ったりして天皇を出迎えた。これはよくある風景である。 その時、一人の子供が天皇につかつかと歩み寄り、手に持っていたボジォボー人形を黙って差し出したのである。しかし、透かさず護衛のシークレットサービスがこの子供の動きに反応して、このボジョボー人形を取り上げようとした。この人形が危険物かもしれないのだから、シークレットサービスとしては当然の反応である。 しかし、天皇はこのシークレットサービスの動きを手で制して、この子供からボジョボー人形を受け取り、お礼を言って、背広のポケットにしまって部屋に入っていかれたのである。天皇はご存知ないかもしれないが、この子供にとってはボジョボー人形ということに意味があったのである。 ボジョボー人形とは昔から北マリアナ諸島に伝わる願掛け人形でボジョボーという木に生る実の種とヤシの実の皮の部分にある繊維(亀の子タワシに使われているものと同じ)と麻紐で作られている男女対になった身長20cmくらいの人形である。脚を結ぶと恋愛運に恵まれると信じられ、腕を後ろで結ぶと金運に恵まれると信じられている。マリアナでは車のルームミラーにぶら下げている人が多い。 天皇訪問の少し前に、日本のTV番組「ザ、世界ビックリ仰天ニュース」でこのボジョボー人形が紹介された。その影響で人気が沸騰し、日本人観光客がお土産に買って帰るので、現地マリアナでは品薄状態が続いており、貴重なものになっていた。こういう下地があったので、この子供は今流行の貴重なボジョボー人形を天皇にあげようとしたのであろう。この子供なりの歓迎の気持ちの表し方だったのであろう。 ■124、天皇、サイパン訪問中の「ちょっといい話」@ 現地サイパンでは、天皇は「日本人慰霊碑」や民間人がたくさん亡くなった「バンザイクリフ」や「スーサイドクリフ」を慰霊されると発表されていた。そして、丁度この頃、竹島領有問題や教科書問題等々で韓国国内には強い反日運動が高まっていた。 そのような伏線があって、サイパンに住む韓国人たちが韓国人戦没慰霊碑のある場所に天皇を中傷するような横断幕を天皇訪問前に掲げたのである。ここは天皇が「バンザイクリフ」慰霊の時に必ず通るルートになっており、ここに張られた横断幕は嫌がおうにも天皇の目につくことになる。これには韓国と日本の複雑な歴史問題が絡んでおり、日本人会が強行に撤廃を要求できず、これには現地の領事や日本人会もお手上げ状態で困惑していた。 その時、この国際的な難問題を一気に解決したのが戦前の日本統治時代に日本式教育を受けた現地チャモロ人のひとりの年配女性であった。この女性(現地最大のスーパーマーケット「ジューテン」の経営者の母親)が自分達の島で韓国人たちが勝手な振る舞いをすることは許さない、と怒り出したのである。「天皇は神様である(戦前、チャモロ人たちは皆そのような教育をされたのである)。その神様が我々の島に来て下さるというのに韓国人たちは何と不届きなことをするのだ。」と。 すると、直ぐにこの女性に多くのチャモロ人が同調して、天皇を中傷するような不届きな横断幕を撤収しろと騒ぎ出したのである。これには現地政府から査証を発給してもらっているという弱みを持つ韓国人たちはなす術なく、天皇訪問(6月27日)直前に撤収したのである。我々日本人としては、何とも複雑な心境ではあるが、これで一件落着となった。 この一件は北マリアナ諸島の人たちの親日振りをよく表わしていると云える。我々KFCがマリアナをこよなく愛しているのもこの年配女性のような日本に対する「気持ち」を持っている人がたくさんいるからであり、決して南の島が好きという単純な理由だけではない。 ■123、野生動物の天敵とは 北マリアナ諸島には絶滅を危惧され、絶滅危惧種に指定されたり、捕獲が制限されたりして保護されたりしている動物が数種類ある。フルーツバット(フルーツを餌にしている大型のコウモリ)・ヤシガニ(ココナッツを餌にしている陸上の大型カニ・ヤドカリの一種)、海亀、ツックツック(鳴き声がツックツックと聞こえるマリアナ固有の野鳥)、マリアナ鹿(現在はロタ島にしか生息していない)、キング・フィッシャー(姿の美しい野鳥・日本名カワセミ)等々である。 それらの頭数が減少した原因は人間、すなわち、現地人のチャモロ人が食べてしまったからである。大体にして、保護されている動物は食べて美味いものが殆んどである。ここ北マリアナ諸島では「絶滅危惧種保護」イコール「Don’t Eat!」と言うことを意味するのである。 フルーツバットはスープの出汁にすれば抜群に美味いといい高値で闇取引されている。ヤシガニはボイルして食べる。その肉質は普通のカニと同じだが、餌としているココナッツの香が肉に染込んでいて病み付きになる味である。マリアナ鹿の肉は脂身がなく、島民にとっては牛肉や豚肉より貴重品である。中でも、そのレバーの刺身は最高品として重宝がられている。マリアナ鹿に関しては、狩猟解禁の期間が1ヶ月間ほど設けられており、その間だけ小鹿を除いて捕獲してもよいことになっている。海亀の肉は美味いらしく、誰に言わせても、声を揃えて絶品と言う。そして、食べた後の甲羅は飾りにするという。ツックツックはBBQにしたら抜群に美味いので、皆が獲って食べてしまったと言う。だから、現在ではこの鳥は殆んど見かけることはできない。 それに比べて、同じ野鳥でも姿形の美しいキングフィッシャーは不味くて食えないらしい。道理で他の保護動物と比べて、キングフィッシャーだけは至る所で見掛けることができる訳である。唯一キングフィシャーだけは絶滅危惧ではなく、その姿形が美しいので保護されているとのことである。要は、何でもかんでも「食うな!」と言うことである。 ■122、国籍を持たない人々 現在、北マリアナ諸島には約300人ものステートレス・チャイルド(Stateless Child)と呼ばれる国籍を持たない人達が存在している、という信じられないような事態になっている。これらの人達の大部分は北マリアナ諸島で生まれ育ったフィリピン人である。 北マリアナ諸島は独立国でないため、北マリアナ政府の発行するパスポートはない。その代わり、米国の自治領であるため、島民は皆アメリカ政府発行のパスポート(USパスポート)が与えられている。すなわち、島民は皆アメリカ国籍なのである。 国籍に関して、アメリカは日本の血統主義とは異なって出生地主義を採用しているので、北マリアナで生まれた者は自ずとアメリカ国籍が与えられるのである。では、それなら何故300名もの無国籍の人達が存在しているのかというと、北マリアナは第2次世界大戦終了後に日本統治からアメリカの信託統治になり、その後、1976年にアメリカの信託統治から自治領に政治形態を移行した。その時の手続き開始から完了まで、国際情勢に翻弄され13年間も要してしまったのである。 そして、その期間に北マリアナに出稼ぎに来ていたフィリピン人たちが産んだ子供たちが今問題になっている無国籍の人達なのである。最近になって北マリアナ政府もアメリカ政府に彼らに国籍を与えるように交渉を開始した。それにしても、余りにも遅すぎると言わざるを得ない。 ■121、天皇、サイパン訪問 2005年6月27日から28日に掛けて天皇皇后両陛下が「慰霊の旅」と称してサイパンを訪問された。サイパンでは60年前の太平洋戦争で軍人、民間人合せて約5万5千人の尊い命が失われている。そして、この度の訪問はこられの犠牲者への慰霊を目的としたものであった。これは先の太平洋戦争の犠牲者に対する天皇の責務であり、また、天皇自身でなければ成し得ない責務なのである。同時に、サイパンにおける一つの戦後にケジメをつけるものでもある。 バンザイクリフで犠牲者に黙祷される天皇の後姿にはジーンと来るものがあった。この姿から天皇はもっと早い時期にこの地を訪問したかったのだろうと感じた。そして、年老いた日本人遺族は皆異口同音に「これで自分達の戦後は終わった。」とか「これでやっと、サイパンへの慰霊も終わることができる。」等々話されていた。 それを聞いて、戦争を経験していない我々にとっても、ホントに良かったと思う。遺族の人たちは、戦後60年という長い間引きずってきた肩の荷をやっと降ろすことができたのである。これらの人々にとって、天皇訪問は非常に大きな意義があったことだろう。 また、天皇が訪問されたことで、報道陣だけでも200名以上が来島し、日本の新聞やテレビにも大きく報道された。こんなにサイパンが日本のマスコミに取り上げられたことはかつてなかった。これだけでも宣伝効果は数十億円規模に上るだろう。 日本政府は、反日を己の政権維持の道具にするような隣国よりも、小さいながらも親日の隣国マリアナ諸島を始めとする太平洋諸島の島嶼国をもっと大切にして欲しいものである。普段は天皇うんぬんには全く無関心だが、この度の「慰霊の旅」は、日本にとってもサイパンにとっても、天皇は本当によい仕事をされたと思う。 ■120、マリアナの不思議な白い土壌 マリアナ諸島は島全体が白い石灰質の塊でできている。なぜなら、海底のさんご礁が隆起してできた島々であるからである。だから、日本で言う黒っぽい土や岩石はマリアナ諸島には一切存在しないのである。草木の生えていない土が剥き出しの道が白く見えるにはその所為である。 そのサンゴ岩でできている山肌を削って作られた砂や小石はチョークのように真っ白である。だから、これらを材料にして造られた建物も白く見える。また、これらの砂や小石には、元がサンゴであるため、油分を多く含んでおり、且つ、柔らかい。だから、これらの砂や小石を材料にして造られている舗装道路は表面が削れて平らになり易く、さらに油分が表面を覆うので摩擦がなくなり、よく滑る。雨でも降れば、アイスバーンのように滑り易くなる。急ブレーキや急ハンドルは効かないので運転中は要注意である。ホテルの玄関口には「スリッピー(滑り易いので注意)」という看板が常時設置してあるくらいである。 しかし、一番不思議に感じるのは、砂に水を撒きながら上からトントンと叩く(プレスする)と、セメントを使わないのに、あっと言う間に、まるでセメントを使って固めたように、カチカチに固まってしまうのである。この性質は道路を仮補修する時などには非常に安価で便利である。では、セメントは不要では?、と思うが、それはそうではない。雨が降ると、元の砂に戻ってしまのである。ホントに面白い不思議な砂である。 ■119、バカ安いレストランが存在する理由 マリアナ諸島は近隣のグアムや日本と比べて遥かに割安で美味い物を食べることが出来る。中でも、中華料理や韓国料理は特にお勧めである。 例えば、ガラパンにあるハッピーレストランの「フーヨン・エッグライス」はチャーハンの上にエビ、シイタケ、玉ねぎが入ったオムレツが乗せてあって、そのボリュームは日本のチャーハンの2倍くらいあり、その味は抜群に美味い。それでも価格は3ドルという驚きの安さである。 他にも、皮から手作りで打った水餃子や蒸し餃子(中国では焼き餃子は一般的ではないと言う)が12個3ドルで食える。また、茄子の炒め煮(本場中国風マーボ茄子)も味は抜群で量もたっぷりで二人で食べても十分な量が僅か5ドルという安さである。全てが原価割れではと思ってしまう。エビ料理などの他の一品料理も驚くほど安くて、本格的な中華料理を出してくれる。ここのコックは「テニアン・ダイナスティ・ホテル」で数年コックとして働き、その後、「サイパン第一ホテル」で1年間コックしていたと言う。 では、何故そんなに安くて美味い料理が食べられるかと言うと、北マリアナ諸島の入国ビザ制度と最低賃金制度にその原因がある。アメリカと違い北マリアナはビザの審査基準が出稼ぎ労働者を受入れ易いように制定されており、フィリピン、韓国、中国、バングラデッシュ等々から多くの労働者が出稼ぎに来ている。 そして、北マリアナの中で中国人社会やフィリピン人社会のように各国毎に社会を形成している。そして、彼らの時給は3ドル5セント(約300円)と相場が決まっている。それでも、母国で働くよりも高収入なのである。このような状況下で、例えば、中国の場合、中国人社会の人間を相手に中国人コックが本場中国から輸入された食材を使って、本場の中国料理を作るのである。これを食べに来る客も料理するコックも時給は3ドル5セントなのである。 だから、日本で食べると数千円もする料理が10ドルほどで食べることができるのである。但し、これらのレストランは街のレストランであって、ホテル内や観光客目当ての奇麗な門構えのレストランではない。これらのレストランの簡単な見分け方は、門構えの汚い、開いているのか閉まっているのか分らないような、一見怪しそうに思えるレストランがこれらに当たる。勇気を出して、トライ。 ■118、JAL、サイパン撤退の理由 JALはサイパンと東京、大阪間を週14便運航しているが、これらのすべて撤退するということを決め、2005年5月17日にそれをサイパンで発表した。正式には、6月27日の天皇陛下のサイパン訪問の直後、すなわち、7月上旬に北マリアナ政府に正式に通達し、今年10月には完全撤退するという計画である。 日本での新聞発表による撤退理由は、利益率の高いビジネスクラス利用客が少なく、採算率の低いエコノミー客が多いから、と言うのが主な理由としてあったが、それは違う。 JAL本社は北マリアナ諸島(主にサイパン島)の将来性を綿密に分析した結果、撤退を決定したのである。JAL本社の人間とサイパンについて話したことがある。彼らはサイパン政府が想像する以上、サイパン観光資源(特に海水の汚染状況)の現状や政府観光局の能力、政治家及び政治形態、財政状況、米国の意向等々の詳細な多くの情報を持っていた。 親北マリアナ諸島派のKFCにとっては残念だが、これらのことを分析した結果、将来も利益が見込めないと決断したのである。要は、サイパンに見切りを付けたのである。さらに、近年はマリアナ方面に来ていた観光客が東南アジア方面にシフトし始めており、JALとしては機材をそちらに回したほうが得策と考えたのであろう。 現在(2005年)、北マリアナの観光客全体の日本人観光客が占める割合は約70%、その内JALが約50%の観光客を輸送している。これらのデータを見てもJALの運航休止はサイパン経済に大きな打撃を与えることは間違いな。JALが撤退した後にANAが就航するかと言えば、そんなことは決してない。 さらに、もう一つの主要産業である縫製業にも陰りが出始めており、サイパン経済はかつて経験したことがない窮地に追い込まれることになる。その結果、JALパックを始めとする観光業に携わる企業や外国からの出稼ぎ労働者の大半は不要になる。 この危機は突然襲ってきたのではない。数年前から日本企業の撤退が続いているという伏線はあった。しかし、サイパンの誰もがそれを真剣に、危機とは考えず対応策を採らなかった結果である。JALが悪い訳ではない。 ■117、北マリアナ諸島の海の安全 北マリアナ諸島の警察機構はデパートメント・オブ・パブリック・セイフティ(DPS)と言い、その一部にボーティング・セイフティという海の安全を管轄するセクションがある。このボーティング・セイフティの仕事はサイパン、ロタ、テニアン島付近の海上の安全やパトロール、すなわち、海難救助や海上でのボートライセンス有無のチェック等々が主な仕事である。 また、特別にトライアスロン大会やオーシャンスイム大会でのレスキューも手伝ってくれる。そして、彼らでは手に負えない仕事はグアムに基地があるUSコーストガード(米国沿岸警備隊)が行なう。すなわち、外国の不審船や潜水艦やテロリストの領海侵犯や侵入などの対処や海難事故の対応である。丁度、日本の海上保安庁がこれに相当する。さらに、これの上にはネイビー(米海軍)がある。これもグアム・アプラハーバーに基地があり、ネイビーは本格的な軍事行動に対処する。 ある日本人カヤック冒険家から北マリアナ諸島の北部諸島のアグリハン島からサイパン・テニアン・ロタを通ってグアムまでの単独カヤックで挑戦をしたいので、その間の海上通行許可を取得するための話を付けて欲しいと頼まれた。こういう場合は、先ずグアム・ァプラハーバー海軍基地内にあるUSコーストガードに話を付けて、「Marine Permit Application Process」を取得しなくてはない。 これを我々日本人がやるのは簡単ではない。実際の手順としてやったのは、KFCネットワークを駆使し、サイパン政府からUSコーストガードのサイパン支局に話を通してもらい、そこからグアムの本部にアポを取ってもらうという手順で許可を取った。そして、USコーストガードのグアム本部でOKがでると、そこから直接サイパンにあるUSコーストガード支局とサイパン・ボーティング・セイフティに「OKした。」という連絡が行くという段取りである。 また、北マリアナのボーティング・セイフティ用ボートはグアムのUSコーストガードのお古が払い下げられる。これなどは北マリアナ諸島と米国との力関係を最もよく表していると言える。 ■116、マンゴ−の食べ方いろいろ 北マリアナ諸島ではほとんどの家の敷地に大きなマンゴー・ツリーが植えてある。これらのマンゴーは3月〜4月始め頃から小さな実を付け始め、5月中旬から下旬にかけてその最盛期を迎える。常夏の島ではあるが微妙な気候の違いがあるらしくサイパン島最北部のマッピ地区から最盛期を迎える。そして、それが徐々に南に向って移動していくのである。そして、最南端のロタ島が最終と云うことになる。 現地の人曰く「マンゴーは南の物ほど美味い」と。試してみると、確かに甘みや香も南部で採れたマンゴーの方が強くて美味い。我々の経験では、ロタより南にあるグアム島の最南端のメリッソ村辺りの物が一番美味い。この伝承は正しい。 マリアナのマンゴーはローカル(カラバウ)・マンゴーと呼ばれ、フィリピン(ペリカン)・マンゴーやメキシコ・マンゴーとは少し形が異なる。但し、ここでは完熟物を食べることができるので、他の国からの輸入物よりは遥かに美味い。 また、マンゴーの食べ方にもいろいろあり、4月頃の若い小さな青い実は塩を付けてそのままカリカリとおやつとして食べるのが一般的で大人にも子供にも人気が高い。それ以外にも、半分にカットして黄色に着色した酢漬けにして食べる。5月頃の大きくなった完熟直前の青い実は皮ごと薄く千切りにしてキムチの元に付け込んで、漬物感覚でご飯のおかずとして食べる。 そして、表面が黄色や薄赤く色づいたら完熟したしるしで、放っておくと自然に樹から落下する。完熟物の食べ方には2通りあって、皮を残して果実だけを食べる食べ方と皮ごと豪快にバクバク食べる食べ方である。皮の味は揮発系油のような独特な味で病み付きになる人が多いと言う。農薬などまったく使っていなので皮ごと食べても問題ない。 また、北マリアナに住むフィリピン人たちは完熟マンゴーの甘い果実を白いご飯の上に乗せて水を注いで、氷を入れて美味そうに食べる。母国フィリピンでこのようにして(マンゴー水茶漬け)食べるのが一般的と云う。現地チャモロ人はこの食べ方はしない。 ■115、北マリアナ諸島の教育事情 ロタ、テニアン、サイパンの各島には公立の学校が日本と同じように小学校から高校まである。しかし、教育水準は米国や日本などと比べると低いのが現状である。だから、裕福な家庭、または、教育に熱心な家庭は小学校から私立学校に入学させる。この点は日本と変わらない。 しかし、北マリアナ諸島には私立学校は一つしかなく、自ずと皆その私立学校に子供を通わせることになる。その学校の名前は「グレース・クリスチャン・アカデミー」という非常にカッコいい名前である。その教師の殆んどがアメリカ人である。サイパンはもちろんのこと、ロタとテニアンにも分校がある。日本やアメリカから子供連れで赴任してきているビジネスマンたちも殆んど>自分達の子供をこの私立学校に通わせている。 そして、大学に関しても、北マリアナ諸島には「マリアナ・カレッジ」という公立の短期大学があり、サイパンに本校、ロタとテニアンに分校がある。しかし、裕福な家庭の子供達は、アメリカ本土の大学に行くのが一般的になっている。そして、卒業して帰ってくると、大学での成績はどうあれ、マリアナ・カレッジを卒業した者よりは箔がつくのである。因みに、北マリアナの人たちは、何故かテキサス州の大学に入学する者が多い。 ■114、歩かない文化 北マリアナ諸島は米国と同様に完全な車社会である。例えば、20〜30mほど離れた隣の家に行くにも当然のように車を使う。兎に角、人々は歩かないのである。だから、道端を歩いているのは地元チャモロ人ではなく、出稼ぎに来ている中国人やバングラディシュ人等々である。それ以外には日本人などの観光客である。 さらに良くないのは、大人だけでなく、子供たちも殆んど歩かない。日本と違って学校へはスクールバスで行く。学校から近くても遠くても公共の黄色いスクールバスの送り迎えが付くのである。このように子供の頃から歩かない習慣が身に染み付いているためだろうか、ちょっとした距離でさえ、歩こうとはしない。だから、デブの子供が多いのである。 例えば、我々が隣のレストランまで歩いて行こうとすると「なぜ、車で行かないの?」と、まるで我々が不思議な人であるかのように見られる。このようにここマリアナ諸島にも米国の良くない習慣が浸透している。その癖、健康の為やダイエットの為に、改まって「ウォーキング」と称して歩くのである。どこか変である。 ■113、フード・スタンプ 北マリアナ諸島のスーパーマーケットでは「Yes, We accept food stamp」という文字を入り口に見かけることが多々ある。このフード・スタンプ(food stamp)というのはスーパーマーケットで米、肉、バター、チーズ、卵、小麦粉、野菜などの食材と交換できる政府支給の金券のことである。 これはアメリカ政府が低所得者に対して生活保護のために支給しているもので、北マリアナ諸島はアメリカの自治領であるため、同じようにフード・スタンプが支給されているのである。しかし、このフード・スタンプで何でも買えるかと云うとそうではなく、食材しか買うことができないのである。だから、弁当のように料理されているものや、酒やタバコのような嗜好品、そして、生活必需品であっても食材ではない石鹸やトイレットペーパーなどは買えない。 これを支給される資格は個々の条件によって多少異なるが大雑把には月収1000ドル以下の人、老齢者、身体障害者、母子家庭等々である。そして、毎月の支給額は50ドル〜250ドル程度で決して多くはない。この制度は古くからあり、一昔前は政府の配給所に出向いて米、バター、小麦粉、チーズ、塩、醤油などは現物で貰い、その他の生鮮品(肉や野菜など)の分だけをフード・スタンプで支給されていた。しかし、現在は全てスーパーで食材と交換できる仕組みなっている。 因みに、北マリアナ諸島の人口約8万人の内、7千人がフード・スタンプを貰っているのが現状(2005年現在)である。人口の約1割がフード・スタンパー(フード・スタンプ受給者のこと)というのは健全なこととは言えない。 ■112、北マリアナ諸島の人種構成 人種差別はどこにでもある。もちろん、北マリアナ諸島にもある。これについては、以前に触れたので省略して、北マリアナ在住の日本人のポジションについて我々が常に感じていることを書く。 地元のチャモロ人やカロリニアンはほとんどが親日派である。そして、日本人は自分たちよりも「上」と考えている。また、フィリピン人も日本人は自分たちより「上」と考えている。韓国人は親日派と反日派とに明確に分かれているが、両派とも日本人が自分たちよりもポジションは「上」と考えている。また、中国人のほとんどは反日派であるが、ポジションはやはり日本人が「上」と考えている。 これらの国々の人たちと直に触れ合ってみると、全ての根底には過去に日本に侵略されたという心理的なモノや日本の経済力に因るところが大きいということがよく分かる。個人個人の資質によるものでは決してない。我々日本人が戦争に負けたアメリカ人に弱いのと同じ心理である。 一部のホワイトピープル(現地では肌の白い欧米人をこのように呼ぶ)は日本人を「下」に見ている。しかし、現地在住の一部の日本人は得てして自分を白人と同等と思い込んでいる。特に白人グループに混じって暮らしている一部の日本人はそう思い込んでいる節が強い。しかし、それは違う。傍目から見ているとそれがよく分かる。一部の白人は日本人を有色人種として、はっきりと自分たちより「下」に見なし、露骨な態度をとる者もいる。しかし、そんな中、長年付き合って、それを全く感じないのがビル・サコビッチ、マーク・マイケル、ニッキー・ニコル、スチュアート・スミスの4人である。ある意味、彼らは変人なのかも知れない。 それを顕著に感じるのが、我々KFCがマリアナで大会を開催をする時である。スタート時間を変えろとかコースを変えろとか、無理難題なイチャモンをいろいろつけてくる白人がいる。それは我々有色人種の日本人が北マリアナ諸島で地元の人たちと一緒になって規模の大きな大会を運営しているのが悔しいのである。これは彼らには絶対にできない芸当なので、尚更悔しいのだろう。それならKFCの大会に参加しなければ良いのにと思うのだが・・・。 ■111、マリアナ諸島最高の魚場 マリアナ諸島では山(ジャングル)に精通している人々と海(漁)に精通している人々の2グループに大きく分類することができる。 海に精通している人たちは「魚場」に関して驚くべき知識を持っている。例えば、いつ、どの海域に行けば、どんな魚が獲れる等々である。これは先祖代々から受け継がれてきたもので、彼らの大切な知的財産である。 そして、そんな彼らが云うマリアナでの最高の魚場はロタ島とテニアン島の間に存在すると云う。そこには海底から競り上がった巨大なさんご礁の棚があり、その棚の部分の水深は約100フィート(50m)と浅く、マグロ、カツオ、マヒマヒ等々の大物からヒラアジのような小さな魚まで、いつもたくさん住み付くていて「魚の宝庫だ」と云う。 彼らはイベントや祭りなどで魚が大量に必要な時にはそこへ獲りに行くという。但し、このようなレアな情報は島民の全てが知っている訳ではなく、ごく一部の漁に精通している人しか知らない情報なのである。 また、この他にも大物ブルーマリンが獲れる魚場や高級魚オナガが獲れる魚場など、個人個人が貴重な情報を持っている。そして、その場所を示す表現方法は大雑把で、例えば、オナガはロタ島から北東へボートで2時間とか、ブルーマリンはテニアン島から東に6マイルとか、である。でも彼らにはそれで用が足りるのである。 因みに、マリアナ諸島では、周りに魚が豊富にいるのに「漁業」と言う産業は存在しない。それは、昔から自分達の食べる魚は自分で獲るものという考えがあり、魚に対してお金を出して買うものではなかったからでる。 ■110、現地航空会社のお粗末な実態 これは「フリーダム・エアー / Freedom Air」でサイパンからテニアンに行った時の体験談(2004年2月14日)である。サイパンのローカル空港内にある「フリーダム・エアー」のチェック・イン・カウンターで「サイパンーテニアン」間の往復チケットを購入した。 そして、サイパンでの搭乗時に、往路チケットに加え、間違って復路用チケットも切り取られてしまい、領収書だけを手渡されたのである。ところが、これが複写式のため、航空券も領収書も見た目は同じで、さらに判読不可能な字の汚い手書きであるため、それが復路用航空券だと思ってしまう。 そして、翌日、テニアンからサイパンへの帰り際に、テニアン空港の「フリーダム・エアー」カウンターでそれを提示すると、それは領収書であって、航空券ではないので搭乗できないと云う。事情を説明したところ、同じ会社であるにも係わらず「それはサイパン・スタッフのやったことだから自分達には関係ない。文句はサイパン・スタッフに言ってくれ」の一点張りである。それには通し番号が記載してあるのだから、サイパン事務所に電話一本入れれば事が済む話である。にも拘らず、何もしようとはしない。怠慢なのである。怒り心頭。 そして、テニアン空港のカウンターで「再度サイパンまでの航空券を買わないと乗せない」一点張りなのである。「こんなトラブルはしばしばあるのか?」と尋ねると「よくある。」と平然と言う。あきれてしまう。泣き寝入りしている日本人がたくさんいるに違いない。仕方がないから、再度航空券を買ってサイパンに行き、サイパン空港「フリーダム・エアー」カウンターで事情を説明して、返金してもうとすると今度は「返金はできない」と言う。これではまるでドロボーである。 保管してる使用済み航空券と領収書の通し番号は同じだからチェックすれば直ぐに分かることなのに、それをしない。ここでも怠慢なのである。「調べておくから明日また来い」というのである。大抵の日本人はこれですぐに引き下がるということを知っているのである。ローカル全般に言えることだが、馬鹿な奴ほどプライドが高くミスを認めようとはしないのである。「返金してくれるまで、ここは動かん!」と頑張って、やっと32ドルを返金させたのである。 大切なのは、金額ではなく、取られた金は絶対に取り返すという強い気持ちを持つことである。日本の常識からは考えられないことであるが、これが「フリーダム・エアー」の現場スタッフのお粗末な実態なのである。 この航空会社は、元々が人間ではなく、タロイモや魚等々を輸送するために作られた航空会社であるから、優秀な人材や今風のコンピューターを使ったオンライン発券システムは今尚必要としていないのである。これではノースウエスト航空もコンチネンタル航空もフリーダム・エアーとはコードシェアをしたがらない筈である。だから、フリーダムエアーは他の航空会社と違って、航空券の予約購入はできない。だから、乗り合いバスのように先着順に空港カウンターに来た人から搭乗する仕組みなのである。客が多いと翌日便に回されることもあるので要注意である。 ■109、ポーカー好きのチャモロ人 サイパンとテニアンでは街の至る所で「POKER」という看板が目に付く。北マリアナ諸島ではポーカー博打は違法ではない。テニアン・ダイナスティのカジノ場以外のポーカーはカードではなく、全てがポーカーマシンで行われている。面白いのは日本のパチンコと違って玉や景品を必要としない。25セント硬貨をそのままマシンに投入するのである。そして、勝った場合は、そのマシンから直接25セント硬貨がジャラジャラと出てくるのである。だから、パチンコのように景品を経由して現金に交換する必要はないので、博打本来の醍醐味が味わえるのである。いわゆる、ラスベガス方式である。 それにしても、チャモロ人たちはポーカー好きの民族のようで、例えば、ガバメント・オフィスでパソコンに向かって難しい顔をしているので、珍しく頭を使って仕事をしているのかと思いきや、何とその画面にはトランプカードが映し出されている、ということをよく目にする。何のことはない、仕事中にパソコンでポーカーゲームを楽しんでいるのである。 一昔前は街中に今ほどポーカーゲームの店はなかったのだが、近年、急激に店の数が増えて、至る所で目にするようになった。その理由は、近年(正確な年月日は知らない)法律が改正されて、無制限に金を賭けることができるようになったからである。以前は、掛け金に上限が設けられていたのである。しかし、なぜか、ロタには他の2島と比べてポーカーの看板は少ない。 ■108、ポピュラーなチャモロ料理 マリアナ諸島を代表する最もポピュラーなチャモロ料理と云えば、「チキン・ケラグイェン」と「カドンピカ」であろう。チキン・ケラグェンはローカルのレストランに行けば、必ずメニューに載っている。一方、カドンピカは家庭料理でレストランでは殆んどお目にかかれない。では、これらはどんな料理かと言うと、 『チキン・ケラグェン』 ケラグェンにはチキンの他にもビーフ・ケラグェンやフィシュ・ケラグェンやタコ・ケラグェン等々がある。これは日本で云うマリネ、または、サラダという感じの食べ物である。ご飯にのせて食べたり、パンに挟んだり、そのままでビールのおつまみとして食べるのが一般的。その作り方はチキン、ビーフ、フィッシュ、タコを食べやすい大きさに切り、軽く湯通しをする。そして、レモン汁(ローカルレモンがあればベスト)とタマネギのスライス、または、みじん切りを加え、よくかき混ぜる。次に、お好みで塩、黒コショウ、ホットペッパー、醤油で味を整え、さらに、お好みでココナッツの果肉を細かくして混ぜ、それで、出来上がりである。非常にさっぱりとしたヘルシーな料理である。 『カドンピカ』 骨付きチキンの柔らかいピリ辛煮という感じの料理。これはご飯のおかずに非常に合う。また、ビールのおつまににも喜ばれる。その作り方は、ぶつ切りにした骨付きチキンの表面を軽く焼き、それに酢(ローカルレモンがあればベスト)、スライスした生姜を入れ、弱火でコトコト煮る。チキンに火が通り柔らかく煮えてきたら醤油、砂糖を少しとホットペッパーを入れ、さらに味を調整しながら煮ていく。味が十分沁み込んだら出来上がりである。因みに、ピカとはチャモロ語で「ピリッと辛い」という意味である。 これらに対し、豪華なバーベキュー(BBQ)料理は特別なお持て成し料理で普段は食べることはない。 ■107、変わりゆく産業構造 北マリアナ諸島の主な産業は縫製業と観光業の2つである。当然、政府の税収もこの2大産業に頼るところが大きい。観光業はテロ、戦争、日本などのアジア諸国の経済状況等々による浮き沈みが多々あるが、Tシャツを主とする縫製業は過去順調に成長してきた。 ではなぜ、南の島のリゾート地に、場違いな縫製業が根付いて、観光業を凌ぐほどに成長したかというと、それは北マリアナ政府の政策にある。具体的には、3ドル5セントという低い最低賃金と中国からの低賃金出稼ぎ労働者の受け入れが可能なビザ制度にある。 さらに、北マリアナ諸島はアメリカの自治領であるため、その製品に高品質を意味する「Made in USA」の表示を付けることが可能なのである。これに対して、米国は最低賃金が8ドルと北マリアナに比べて2倍以上高く、また、米国ビザ制度の関係から賃金の安い中国人は入国することがでず、その分人件費が高くつく。その結果、今では生産コストの安いサイパン製の米国本土のTシャツ市場を席巻しているのである。 この状況を善しとしない米国議会(ブッシュ政権)は北マリアナの最低賃金を上げるようにマリアナ政府に圧力をかけてきている。よって、近い将来には最低賃金の値上げが実施されることは間違いないであろう。こうなるとサイパンの縫製業は一気に立ち行かなくなるのである。これを見越して、最近ではサイパンの縫製業者がサイパンやグアムのホテルやスーパーマーケットを買収して観光業へのシフトを急いでいる。 因みに、サイパンの縫製業は中国系資本(華僑資本)である。さらに、ここに来て、グッド・タイミングで、昨年(2004年)から中国政府は人民の「行ってもよい旅行先」の一つに北マリアナ諸島を加えたのである(中国の一般人民は自由に海外旅行はできない)。この中国政府の決定は、今後、中国からの観光客を増加させることは間違いない。おそらく、縫製業者はこの辺のことも考慮にいれているのであろう。流石は華僑、商才にたけている。 ■106、ロサリー ロサリーとはチャモロ人が亡くなった時の葬式等の一連の行事のことである。チャモロ人は人が亡くなるとロサリーを18日間行う。新聞にロサリーの告知広告を出したり、ポスターを作ったりして、一般に知らせる。日本で云う死亡欄とは違い故人の写真や生年月日、職業や簡単な人物紹介等々が入った告知広告なのである。 そして、実際のロサリーでは喪服を着るわけでもなく、普段の服を着て、皆でパーティのようなご馳走を食べる。通常のパーティとの違いは、お目出度い意味合いを持つレッドライスは作らず、その代わりに白いご飯を用意するのとビールを飲まないこと、パーティには付き物の音楽がないこと、そして、教会からお経のようなものをあげる人を呼んでお祈りを1時間ほどあげてもらう。それから皆で食事をする。このような儀式を死亡日から9日間毎夜続ける。そして、9日目に故人を埋葬する。この埋葬すること(行為)を「フェネラル」と云う。 さらに、埋葬後、もう9日間同じ事を繰る反すのである。合計18日間ということになる。前半の9日間は友人なども含めて大々的に行うが、後半は家族のみで行う。但し、きっちりとした決まりはなく、大勢の人が集まって、皆で祈り、食事をすることが故人を送るために必要であると信じられている。悲しくないわけではないが、ロサリーで泣いている人はあまり見かけない。それはカトリックの思想で「死によって魂が肉体から開放され、天国で新たに生きていく」という思想からきている。 ■105、現地国内線事情A 2005年2月10日にノースウェスト航空系列のPIA(Pacific Island Aviation, Inc)がマリアナ地域から撤退したので、2月28日現在マリアナ地域をカバーする現地ローカル航空会社は、以前からある「フリーダム・エアー(本社グアム・経営者チャモロ人)」と新規参入の「ケープ・エアー(本社グアム・コンチネンタル航空系列)」の2社である。 「フリーダム・エアー」はテニアン〜サイパン間を主な収入源にしており、6名乗りセスナ機が毎日15往復以上は運航している。その飛行時間が数分間と短いため、客が混み合ってくれば、臨機応変に増便で飛ぶことがある。しかし、サイパン〜ロタ〜グアム間は30人乗り機材が午前に1往復(サイパン10時発)と午後に1往復(サイパン6時発)づつの計2便である。 この航空会社のネックは日本から航空券を予約購入することができないといことである。その理由は日本に支店があるインターナショナルな航空会社とリンクしていないということもあるが、さらに問題なのは、現場で働くスタッフの能力の低さに問題があり、国際感覚からは程遠いということも大きな要因である。だから、「フリーダム・エアー」は現地人専用と考え、マリアナに不慣れな観光客は利用しようと考えない方が賢明である。 「ケープ・エアー」はグアム〜ロタ〜サイパン間の運航で、テニアンには飛んでいない。そして、マリアナ路線に就航して日が浅いため、現在は運航スケジュールもオンタイムでないことが多々ある。その機材は30人乗り以上のものが用意されているとは聞くが、現在運航している9人乗りの機材以外は誰も見たことが無いと言う。そして、成田からサイパン経由でロタに行く場合は、翌日の朝便しか利用できず、サイパンで一泊しなくてはならないのである。これでは近くて遠いロタ島になってしまう。また、ローカル路線でありながら、ローカル空港施設は使用せず国際空港施設を使用しているため、チェックイン・カウンターは国際線コンチネンタル航空カウンターでおこなわれている。この点は要注意である。 このような状況下では、日本からの一般観光客がロタ島に行くためには、好むと好まざるにはかかわらずグアム経由で「ケープ・エアー」を利用する以外には方法がないのである。しかし、「ケープ・エアー」はバイクを積んでくれないのでトライアスロン参加者には適さない。 ■104、北マリアナ諸島のガソリン事情 メイン・アイランドのサイパン島ではガソリンスタンド(GS)からガソリンが無くなるということは殆んどないが、ロタ島やテニアン島ではしばしば起こる。その原因は各GSのガソリン備蓄量が元々少ないことに加え、天候の影響で海が荒れたりすると燃料運搬船が予定日に入港しないからである。だから、天候が治まるまでGSにガソリンが無いという状態が続くのである。 だから、島の人たちは車の燃料タンクの目盛りが半分〜1/3くらいになると余裕を持ってガソリンを満タンにしておくのである。これはこれらの島々で暮らすための生活の知恵である。観光客もレンタカーを借りた時には注意が必要である。 ■103、スリル満点のロブスター獲り マリアナ諸島のロブスターは旨い、掛け値なしに旨いのでる。この辺りで獲れるものは身がプリプリしており、日本にあるレストラン「レッド・ロブスター」で出されるパサパサのオマール海老とはモノが違う。いわゆる、日本で言う伊勢海老そのものなのである。 大きさは日本のものより一回り大きい。一般の日本人観光客はロブスターと聞くとオマール海老を想像する人が殆んどであるが、それは違う。この辺りでは、海に生息している大形の伊勢海老をロブスターと呼ぶ。残念だが、これは一般に流通していないので街のレストランでは口にすることは稀である。マリアナ鹿と同じく自分で獲りに行くか、誰かに頼んで獲ってきてもらうかしかないのである 。このロブスター獲りは他では経験できないスリル満点の漁なのである。これの生息場所は、さんご礁が沖に向かって落込んでいる辺りの海底である。水深は3〜10mくらい場所である。そして、昼間は海底の岩の裂け目に隠れてジッとしている。夜行性なので、獲るのは夜に餌を獲りに裂け目から出てきた時である。だから、このロブスター漁は夜に行う。それも、何故か昔から満月の夜と決まっている。 段取りとしては、昼間にロブスターのいる岩場を確認しておき、夜に潜って海底の砂場に出てきた所を銛で突くのである。一般的に、素潜りで獲る人が殆んどである。水中ライトがあると云っても、真っ黒な海は不気味である。さらに、厄介なのは、さんご礁の外側、すなわち、外洋であるため、その匂いでサメが集まって来ることがある。危険な種類のサメは殆んどが夜行性なのである。だから、スリル満点、ある意味、命がけの漁である。収穫量は、ポイントによって異なるが、大体2〜3人で50〜100匹くらい獲れる。 こういう武勇伝を聞いたことがある。ライ・マングローニャがテテト・ビーチ沖のさんご礁底で、タンクを背負ってロブスターを獲っていた時のことである。獲ったロブスターを入れた袋を腰にぶら下げて漁を続けていた。突然、それをサメが横取りしようとライの腰に体当たりをしてきたのである。ライもせっかく獲ったロブスターをサメに取られてはなるものかと、思いっきりサメの鼻っ面にパンチを放った。そうしたら、流石のサメはもビックリして逃げてしまったという。「サメに襲われたら鼻っ面を殴れ」と言われるが、なかなかできるものではない。流石は野生児ライである。 その食べ方は、新鮮であれば刺身が一番、それ以外には、ボイルしたり、BBQスタイルで焼いたりするのが一般的である。ベリー・レアで焼いたのも旨い。また、頭の部分はミソがいっぱい詰まっており、味噌汁やスープのだしをとっても旨い。しかし、地元の人たちは頭部は食べないで捨ててしまう。もったいない! 因みに、サイパンでも、テニアンでも、ロタでも島の周りのさんご礁の根っこ部分には、これらロブスターはいくらでも生息しており、絶滅の心配はない。なぜなら、自分達の食べる分しか獲らないからである。それを商売にしている者はいない。 ■102、マリアナ鹿のハンティング事情 マリアナ諸島には、19世紀末から20世紀諸島にかけてフィリピンから食用として持ち込まれた小形の鹿が生息している。これが現在のマリアナ鹿と呼ばれているものである。近年はロタ島以外の島々では絶滅を防ぐためハンティング(狩猟)は禁止されている。 では、ロタ島でのハンティング事情はと云うと、先ず、ハンティングするためには「フィッシュ・アンド・ワイルドライフ」(通称ジャングル・ポリス)と云う北マリアナ諸島の自然を保護管轄してる役所でハンティング・ライセンスなるものを取得せねばならない。その取得に際して、過去に犯罪暦等々がある者は却下され、誰でも取得できるというものではない。また、狩猟期間が設けてあり、ライセンスがあれば、いつ獲ってもよいという訳ではない。年の内、10月〜12月(この辺ちょっと記憶が定かではないが・・・)までの3ヶ月間が狩猟期間として認められており、その捕獲頭数も厳しく定められている。また、実際のハンティングに際して、犬を使うことも禁止されている。犬を使うと捕獲が禁止されている脚の遅い小鹿ばかりが追い詰められることになるからである。 ハンティングと云えば、猟銃やライフル銃を想像しがちだが、実際にはピストルもよく使われている。ピストル片手にTシャツ姿でジャングルの中で鹿を追いかけ回る姿には、思わず笑ってしまう。どう見てもハンティングをしているようには見えないのである。その訳は、欧米のように鹿ハンティングを趣味やスポーツの一環として捉えているのはなく、単に食料(肉)の確保が目的なのであって、その過程などどうでもよいのである。そして、獲った鹿は直ぐには食べない。持ち帰って、血抜きをした後、肉、骨、皮にバラし、ハンティングに参加したもので山分けするのである。その後、肉は冷蔵庫で1週間ほど寝かせるのである。鹿肉も牛や豚と同じようにしばらく寝かせなくては旨くないからである。 しかし、どこにでも規則を守らない奴はいるもので、狩猟期間外に獲ったり、禁止されている犬を使ったり、ライセンスがないのに獲ったりする奴はいるものである。例えば、大切なゲストがやって来ると云えば、多少の規則は無視しても、新鮮な鹿肉を用意しなければ、というホスピタリティを発揮するのがチャモロ人なのでる。憎めない人たちである。因みに、もし、見つかれば、何と5万ドル(約500万円)の罰金らしいのだが、捕まったという話は聞いたことがあるが、素直に、5万ドルの罰金を払ったという人の話は聞いたことがない。 ■101、現地国内線事情 サイパンーロターグアム間をカバーしていた現地国内線PIA(Pacific Island Aviation, Inc/ノースウエスト航空系列)が16年間の営業に、2005年2月10日をもって終止符を打つことになった。 我々KFCが始めてPIAに乗ったのは12年前の1993年4月であった。この当時は、現行の30人乗りの機材と違い、8人乗りのセスナや19人乗りの小型機材が就航していた。そして、驚くことに、その機材や空港内のトラックなどには西濃運輸のロゴ・マークが描かれていたのである。それは西濃運輸がPIAのカーゴ(荷物)部門に資本参加していたためであった。1994年にロタブルー・トライアスロンを開催するに当たって、バイク輸送は西濃運輸の日本人スタッフに大変お世話になったものた。しかし、1997年頃に赤字を理由に西濃は突然撤退してしまった。 そして、この当時から同じ路線を「フリーダム・エアー」という同等規模の航空会社もカバーしており、ライバル関係にあった。しかし、日本から予約できるのはPIAのみで、保有機材も多く、キャンセルも少なく、比較的オンタイムで運営されている。片や、フリーダム・エアーは機材が少なく、日本の路線バスのように、早く来た人順に搭乗する仕組みである。満席になれば、次の便に、場合によっては翌朝便まで待たなくてはならないので、日本からの旅行者が利用するのは難しい。 そんな状況の下、2004年に突然「ケープエアー」(コンチネンタル航空系列)という飛行機会社が同路線に新たに就航してきた。これは親ロタ島派のコンチネンタル航空のスタッフがグアムーロタ間を主にカバーさせるためにアメリカ本土から連れて来たものである。というのは、コンチネンタル航空はグアム空港をハブにしているため、グアムからの乗り継ぎで便利な時間帯にロタへ飛ぶローカル・エアーラインが欲しかったのである。しかし、この路線には顧客がそれほど多くなく、2社が経営を維持するのが一杯いっぱいで、3社が就航すれば、1社が潰れるのは当然の成り行きである。 では、なぜ、信頼度の高いPIAが撤退するのかというと、顧客の取り合いで、今後十分な顧客が見込めないのと、これまでドル箱だったUSポスタルとの郵便物輸送契約を「コンチネンタルとケープエアー」組に取られてしまって、安定収入の見込みがなくなったためである。しかし、サイパンーテニアン間のチャーター・フライトを継続させることで運航許可書を維持し、会社は存続させて行く方針であると聞いている。現時点でのケープエアーの運航状況は遅れやキャンセルが多く、信頼性からはPIAに敵わない。 |