■第19回ロタブルートライアスロン2012 スイムシーン
19th Rota Blue Triathlon !!
2012年11月17日(土)、北マリアナ諸島ロタ島で「第19回ロタブルートライアスロン」を開催した。
サイパンにある マリアナ政府観光局本局での打合せや根回し、サイパンでの備品調達、それに縫製工場からの参加賞Tシャツのピックアップ等々、 やるべき仕事が多々あるため、10日前の11月7日(木)にサイパンへ入った。これは毎度の日程パターン。
この手の仕事をサイパンでしっかりやっておかないと、現地ロタへ入ってからでは、どうにもならない。日本人が言葉や習慣の違う 海外で大会を開催するには、局長クラスから下っ端まで、念には念を入れて根回しすることが大切で、これが大会をスムーズに運営するコツと 考えている。
特に、トライアスロンは占有面積が広いので、多方面での根回しが必要となる。時間を要する地味な作業だが、それが大会運営の肝と 考えている。
現在、海外でトライアスロン大会を直に運営しているのは我々KFCだけになってしまっている。原因は、 このへんの面倒臭い根回しにあるのかも知れない。
11月12日(月)未明にサイパンからグアム経由でロタへ入った。正確には早朝4時着。例年通りなら大会日の1週間前の10日(土)には ロタへ入ることにしている。しかし、今年、ロタへ行くには、この日程の、こんな不便な便しかない。
12日(月)朝一にメイヤーズ・オフィス(市役所)で各セクションのリーダーたちを集めて、第19回ロタブルー・トライアスロン大会の キックオフ・ミーティングをすると日本から連絡をしておいた。
ところが、前日の11日(日)がベテランズディ(退役軍人の日)の祭日で、 その振替休日が月曜日になっていた。リーダーたちは皆役人なので、休みだ。それにメイヤーズ・オフィスはクローズだ。 準備のための貴重な一日が消えてしまったのだ。
ロタで祭日の振替休日なんて初めてのことである。 原因は財政が厳しいからだろう。海外のイベントでは、この手のハプニングはよくあることだ。仕方がない。
今年で、現メイヤー・メルチオ・メンディオーラの下では3回目のトライアスロン開催となる。 因みに、メイヤーとは市長のこと。
メルチオは、1994年の第1回大会の時、市役所の土木課のチーフをしていた。彼はイーストハーバー(スイム会場)に ダンプで大量の砂を入れ、それまでそこにあった一面のサンゴの浜を、ブルトーザーを使って1日にして埋めてしまった。 大会日の3日ほど前の出来事だ。
そして、ここにバイクを置こうと言う。その砂の広場が基になって、今のセメントで固められた 立派なイーストハーバーができたのである。
ロタ島民だけでなく、チャモロ人全般に言えることだが、自然保護は大切と言いつつ、必要とあらば、いとも簡単に破壊してしまう。 自然保護を前面に打ち出せるのは、成熟し、豊かになった国だけであって、発展から取り残された南の島では、地域活性化との さじ加減が必要不可欠だ。
-----【自然保護と云えば、思い出す出来事がある。現テニアン・メイヤーのレーモン・デラクルズも、この部類の最右翼に位置する。
レーモンがメイヤーになる10年程前のこと。 テニアン・トライアスロンのチェアマン(現地の大会事務局長)をやった時のことだ。
大会に毎年使えるようにと、スイム・ブイ の根っこ(ブイを固定するフックの付いた重り)を海に沈めてくれた。 その重りは100s程もある大きなセメントの塊で、それを十数個、クレーン付き車両運搬用の貨物船に載せ、次々とクレーンで吊り上げ、 スイムコース上の海へ放り込んでいった。
ドッドーンという爆音と水飛沫、落下の反動で海面が持ち上がり、貨物船がぐらぐら揺れた。まるで、魚雷が爆発したようだった。 この辺りは水深が10〜20mで、海底にはサンゴがある個所もある。当たれば破壊されるだろう。
レーモン曰く、「テニアンの周囲はサンゴ礁だらけだ。この程度ではサンゴはビクともしない。Never Mind!(気にするな!)」】-----
その翌年の第2回大会では、メルチオがチェアマンをし、我々KFCと一緒に大会運営に汗を流した古い仲間である。だから、 我々KFCの考え、やり方をよく理解しており、ツーカーの仲だ。
その男が、十数年後の今、島の最高権力者であるメイヤーになっている のだから、心強い。彼は、あまり派手さはなく、寡黙なタイプで、非常に頭がよく、堅実派だ。
因みに、メイヤー(市長)とは、米国大統領のようなもので、警察、消防、病院などの人事権も持っており、名実共に最高権力者だ。 日本の市長とは権力構造が全然違う。
近年、正確には2001年の9・11以降、ロタの観光収入は減少傾向にあり、島民も仕事がなくなり、経済状態は悪くなる一方だ。島民は、 仕事がない→お金がない→島を出て、グアム・ハワイ・アメリカへ移住するという構図ができ上ってしまっている。
だから、現在、 観光客だけでなく、島民も恐ろしく少なくなっている。一部のスーパーでは、エアコンを消し、冷蔵庫を消し、電気を消し、 扉は開けっ放しで、商品棚もスカスカで、少ししかモノがない。ビールさえもぬるい。寂しく、過疎化し、ゴーストタウン化が 年々進んでいる。
お金がなく大変な時代だけれど、こと、トライアスロンとなれば、驚くほどの“ロタ・ホスピタリティー”を発揮してくれる。 他の島では考えられないほど、フレンドリーで、優しく、温かく、心がある。さらに超が2つ付くほどの親日派ときている。
そして、 19回目ともなると、島民達はそれぞれに自分は“何をすべきか”ということを心得ている。また、“何をしたらお客様(選手)が喜ぶか” ということを皆が自発的に、一生懸命に考える。島民にとってトライアスロン開催は 大変だけど、年に一度の楽しみでもあり、ロタ島民の誇りと云う位置づけだ。
それに、KFCと共に自分達の手で、一から作り上げた という自負もあるのだ。トライアスリートにとっては最高に居心地の良い島だ。
ランコースの整備はたいへんで、日本で言う役所の土木課がコースにせり出した草や木を刈り、道幅を広げる。 穴ぼこはブルトーザーで砂を入れ、ローラーをかけるなど、重機を入れての大作業となる。
バイクコース両脇の芝刈りやコース上のサインボード、バイクラックの補修や設置など細々とした整備はマリアナ観光局ロタ支部が 担当してくれる。サインボードの修繕やペンキ塗りなど、本当によく働いてくれる。大会にはなくてはならない存在だ。 イーストハーバーも入水スロープの滑り易い箇所は、苔を削り取り、シャワーを設置する。
スイム・レスキューはダイビングショップのセレナとルビンとブルーパームスとマーク・マイケル率いるカヤック部隊とが 連携してやってくれる。そして、それにロタ海上警察が加わると云う最強の布陣だ。
交通規制をする警察、救急車を出動させる消防、待機する病院、エイドステーションを取り仕切る担当、アワードパーティーの食べ物を 準備する担当、スイム会場を設営する担当等々、まさに、島民一丸となって、島を挙げて、大会を作っている。
“この人達、トライアスロンをする為にロタに残っているのだろうか”と思ってしまうほどだ。本当に有難いことだ。
普段は、のんびり、ゆったり、ゆる〜いアイランドスタイルのチャモロ人だが、トライアスロンの時だけは違う。 “やる時にはやるチャモロ”に大変身するのだ。
11月16日(金)、イーストハーバーで現地登録とロタブルートライアスロン恒例の試泳を行った。試泳に関しては、 午後1時から2時までと時間を区切って実施した。翌日の本番を考えると1時間で十分だ。
ロタのスイムコースはダイナミックな外洋を泳ぐ。 そのため、試泳の目的は深い外洋に慣れてもらうためと、そして何より、世界に類を見ない青の世界“ロタブルー”を堪能してもらうためだ。 レースは早朝でもあり、泳ぐことに集中して、ロタブルーを味わっている余裕はないから。
例年と同じく、宮塚英也選手、白戸太朗選手、松丸真幸選手+浩巳選手がリーダーとなり、泳力別に3グループに分け、 試泳と共に水中撮影を行う。
この時の水中写真は、翌日の競技中の写真と共に帰国後KFCのHPで閲覧&ダウンロードすることができる。
当初、オリンピアンの田山寛豪選手と山本良介選手も参加予定だったが、両選手とも、エリートの集まりがあるとかで、 急きょキャンセルとなってしまった。
今年から長年使ってきたコース右手沖のコーストガード(米国沿岸警備隊)のブイが撤去され、その代り、コース前方にオイルタンカーを 固定する為の巨大ブイが設置された。
有難く、それを利用させてもらうことにし、スイムコースを変更した。以前のコースよりもシンプルで 分かりやすく、ロタブルーも申し分がない。
スイムでのレスキュー体制はチームワークが抜群で、いつも完璧だ。
しかし、ロタのスイムコースは外洋で、水深もあり、それなりにタフなので、 いつも天気予報と潮汐表とのにらめっこ、ホントに神経が使う。潮の状況でレスキューのフォーメーションが違ってくるからだ。
例え、試泳と云えども、ダイビングショップと海上警察によるレスキュー体制が整うまでには、選手が海に入ることを禁止している。 スポーツは安全が第一だ。
11月17日(土)、準備万端で迎えたレース当日の朝、スイム会場でナンバリングをする。スタート時間が近づくにつれ、 スイム会場の空気が張りつめて来るのが分かる。
天候に関しては、晴れてはいるものの、時々スコールがやって来る程度で問題はない。海のコンディションは 大潮で潮の満ちて来る時間帯に当たった。そのため、ベタ凪とまではいかないが、試泳の時と比べても、そんなに大差ない。 泳ぐには問題はない。
今年のスターターは、メイヤーがミクロネシア地区のメイヤーズミーティングで不在だった為、代理のトミー・キットグアが務めた。 彼のお父さんは、かつて日本のリングに上がったことのあるボクサーで、当時の東洋ライト級チャンピョン柏葉守人の トレーナーも務めたことがある。親日派だ。
スイム・レスキュー部隊はロタ海上警察、ダイビングショップのセレナ、ルビン、ブルーパームス、それに、マーク・マイケル率いる カヤック部隊がいつもの様に配置についている。皆、ロタの海を知り尽くしているので、安心して任せられる。
今年の目玉はロタ海上警察の ジェットスキーだ。この日のために購入したそうだ。かつて、ロタにはジェットスキーはなかった。おカネをどう工面したのか、 ちょっと心配だ。
多くのリピート選手、ロタ大会初参加、トライアスロン初参加、それにサイパンからチャーター便でやってきた白人選手たち、 総勢130人程のスタートの光景だ。ロタではこの人数がMAXだ。
19年前、1994年の第1回大会、メルチオが整地してくれたイーストハーバーの砂の広場に自転車を横たえただけの トランジッションエリア。第1回大会にはバイクラックがなかった。
そして、イーストハーバーでスタートの合図を待っていた選手は 僅か40人足らずだった。
当時無名だったロタ島で、どこの馬の骨とも分からぬいちクラブが開催する大会、 それにインターネットもない時代、集客はままならなかった。あれから、もう19年・・・
今年も、06:30オンタイムでレースが始まった。皆、一斉に沖のブイを目指して、泳ぎ始めた。
レースの模様は巻末のレポートフォトをご参照下さい。
毎年、脱水症や事故には細心の注意を払っている。その所為か、今年は脱水症に陥った選手はゼロだった。
怪我人も落車によるかすり傷程度で済み、病院のお世話にならずに済んだ。ランパートでの激しいスコールが功を奏したのかも しれない。
前もって、旅行社と脱水患者や怪我人が出た場合の連係プレーを打ち合わせておいたのだが、杞憂に終わってよかった。 一般の観光旅行と違って、トライアスロンなどのスポーツ・イベントの場合、病院のお世話になることが多々あるものだ。
病院へ行く事がなく、 レースが終えられたのは、実に十数年ぶりの事だ。怪我も病気もなく、というのが一番だ。
レースも終わり、島民達が最も気合が入るアワードパーティーは大会会場のイーストハーバーで、夕方6時から催された。
かつてのような 派手さはないが、家庭的な、温かいパーティーだった。“バーベキュー・アイランドと言われるロタの名に恥じることのない様に、 ビーフ、ポーク、チキンの“シンプル・イズ・ベスト”なバーベキューメニュー中心のパーティー料理ラインナップだ。
お祝いには欠かせないレッドライス、パパイヤのピクルス、フルーツ等々、多くの食べ物と、絶対外せないビールなど、 腹一杯ふるまわれた。
そして、アクセスの悪さや財政難等々、薄氷を踏む思いの19回大会を終え、島民も我々KFCも思う事は、来年の第20回記念大会のことだ。 20年、人間で言えば、ハタチ、大人への仲間入りだ。立派な大人にしてやりたいものだ。
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写真提供:小野口健太 舘岡正俊 SIRENA