イベント報告
第20回ロタブルー・トライアスロン!
2013年11月16日(土)
20th Rota Blue Triathlon !!
■KFC徒然

11月16日(土)、サイパン島とグアム島の中間にあるロタ島という小さな島で、第20回目となる上記大会を開催しました。

ロタ島だけでなく、 グアムやサイパンと云う近隣の島々でも20年間も継続し、それでも尚、元気いっぱいのスポーツイベントは ほとんどありません。

それ故、その存在は近隣の島々でもよく知られており、発展から取り残されたロタ島民たちの唯一の誇り となっています。

”10年ひと昔”と云う諺がありますが、20年ならふた昔と云うことになります。20年経つと世代交代が起こるものです。 20年前、我々KFCと一緒になって立ち上げた人たちはすでに第一線から引退したり、亡くなったりしています。

今では、その当時、若者で、下っ端だった 人たちが彼らに代わって大会運営の肝の部分を担ってくれています。

また、ロタの子供たちは、彼らが生まれた頃からすでに トライアスロンはあったので、彼らには自分たちの島にトライアスロンはあって当然のものと思っています。今では、そのくらいトライアスロンは この島に溶け込んた島のイベントになっています。

【気が付けば20年】

最初に立ち上げたのは1994年4月です。その後、20年間も続くことになるなんて、夢想だにしていませんでした。

だいたい大会と云うモノは、その年の大会が無事に終わって、大きな支障がなければ、来年もやろうと思うくらいの軽い気持ちです。 そして、翌年の開催に関しては、 その年と同様にコトが運ぶと云う都合のよいイメージしか持ちません。しかし、もし、意に反して、 問題が勃発した時は、全力でそれに立ち向って、何とかすると云うパターンです。それで、これまでコツコツ地道にやってきました。

それが自然と積み重なって、気が付けば20年目を迎えていたと云うことです。これまで2年先のことを考えたことは一度もありません。何故なら イベントと云うモノは 周りの環境に左右されやすいので、遠い先のことは考えても仕方がないと思っています。 目の前にあるモノを全力でやっつける、それの繰り返しです。

【山あり谷ありの20年】

20年の間には山あり谷ありで、全てが順調にきたわけではありません。

最初の山は1999年のロタ・パウパウホテルの倒産です。その後は アルカイダによる2001年の9・11テロアタックです。これは今日までの20年間で、最もインパクトが大きく、 大会運営に影響を与えた出来事です。

その時まで、KFCロタ支部として、我々の手足となって大会運営を手伝ったり、選手として参加したりしていた島の若者たちは全て徴兵で イラクやアフガンの戦地へ行ってしました。そして、 ジョーエドたち数名は未だに帰島していません。

また、9・11に関しては以下のエピソードがあります。その勃発直後しばらくは、あの映像の恐怖から飛行機が敬遠されていました。 そんな状況下でも、11月開催のロタ大会の参加者約100人だけは、当時就航していた日航ジャンボ機(500人乗り)に搭乗し、 貸切り状態でサイパン空港へ降り立ちました。日本人トライアスリートの精神面のタフさにはサイパンの皆が 脱帽したものです。そのエピソードは今でも関係者の間では 語り草となっています。

その後、SARS、鳥インフルエンザという広域伝染病、それに、サイパン路線からのJAL撤退、サイパン〜ロタ〜グアム間を運行していた 現地航空会社PIA(かつてのノースウェスト航空とのコードシェア便)の倒産、さらに、アジア通貨危機、サブプライムショック、 リーマンショックという世界的な経済危機にも見舞われました。

サイパンやロタは経済規模が小さいので、観光客の減少やら 投資の撤退などで 大きなダメージを受けました。当然、ロタ大会の運営にも大きく影響しました。しかし、それらを何とか乗り越えて 今日までやってきました。

【今年最大の心配事】

今年に関しては、長引く不調の煽りで、ロタ島民が少なく、スイムレスキューのカヤック部隊、エイドステーション、 トラフィックコントロールの警察官、救急車(消防署)のスタッフ等々の運営に必須のマンパワーが十分に確保できるか否かが心配でした。

しかし、いざ蓋を開けてみると、 例年と変わらず問題なしでした。聞くところによると、サイパンやグアムに出稼ぎに行っている 島民(主に元政府の職員)たちをメイヤー(市長)が呼び戻したと云うことです。

ロタの人口は数年前までは3000人ほどいました。ところが、長引く不況で仕事がなく、島民たちは島外へ出稼ぎに行ってしまい、 現在では僅か800人ほどと聞きました。確かに、以前と違い、道ですれ違う車も少なく、街を歩く人もほとんどない状況でした。

日本と違って、 観光局スタッフや警察官などの政府職員も日給月給制なので、島の税収が減って来ると強制的に休みを取らされます。 それが長引くと島外へ出稼ぎに行くと云うことになります。

大会日の1週間前、サイパンからロタへ向かう時、偶然、サイパン空港で出会ったロタ出身の警察官も「今はサイパンに 住んでいるけど、 大会の日はロタへ帰って来いという命令がメイヤー(市長)から届いているので、復職して手伝うよ。」 と話してくれました。 さすがはロタ(チャモロ人)、゛やる時はやる”心強い限りです。それに本大会に対するロタ島民たち 一人ひとりの強い気持ちが伝わってきます。

お蔭で、バイクコースの道路脇の草刈り、ランコースの道路幅拡張工事、それにダイバーによる東港内の水中掃除も例年通りで バッチリでした。 また、警察による交通規制も救急車によるコース巡回も例年通りで、落車や怪我人もなく、脱水で病院の お世話になることもなく、 成功裏に終えることができました。

【ロタ大会の存在価値】

過去20年の間にロタ大会でトライアスロン・デビューされ、トライアスロンの魅力に取りつかれた方はたくさんいらっしゃいます。 人の第一印象と同様、デビュー戦の印象は大切です。

おそらく、これまでにロタ大会でトライアスロン・デビューされた方は優に200名を超えていると思います。その意味でも、 南海の孤島と化してしまったとは云え、ロタ島でのトライアスロン大会を存続させる意義は大きいと思っています。

今年も 本大会でトライアスロン・デビューされた方が数名いらっしゃいます。その中には、トライアスロンボーイズの井上英明さんの 娘瑛美子ちゃん(13歳)、刈田直文さんの息子修平君(19歳)と云う2人の若者もそれに含まれています。 因みに、彼らの父親、井上さんも刈田さんもロタがデビュー戦です。

また、白戸太朗率いるアスロニアも ロタ大会が取り持つ縁で誕生したと言っても過言ではありません。

【現地航空会社の倒産】

応募を締め切った後、10月初めにグアムを本拠地とする現地航空会社フリーダム・エアー倒産(bankruptcy)というニュースが 飛び込んできました。10月末までの運行は保障されていますが、11月に入ったら運航停止になるかもしれないと云う最悪の情報です。

今年もグアム〜ロタ間のバイク輸送はフリーダム航空のカーゴ便(貨物便)で90台ほど搬送する予定にしていました。何故なら、 ユナイテッドの160人乗りチャーター機材は荷物室が小さく、スーツケース+バイク30台ほどしか乗らないからです。

もし、大会前々日の11月14日(木)にロタへ全バイクを運べないと云うことになれば、大混乱とになります。これまでの経験から、 悪名高いフリーダムで搬送すると云う希望的観測は即刻捨て、別の手段を探すことにしました。

急なことなので、なかなか見つかりません。 そこで選手の皆さんを運ぶユナイテッド航空にお願いすることになりました。結局、選手と同型の旅客機(160人乗り)をもう1機手配して、 それでバイクだけを運ぶしかないという連絡を近ツリ(オフィシャルツアー会社近畿日本ツーリスト)から受けました。旅客機とカーゴ便とでは コストが大きく違ってきますが、この際、そんなことは言っておれません。

結果、この決断は大正解で、14日には、 案の定フリーダムは 運航停止していました。これまでの経験から、ここ一番と云う時にヘタるのがフリーダム・エアーなのです。

【そして、請求書が届く】

そして、帰国直後、参加費のほぼ全額に匹敵する額の請求書が近ツリから届きました。

皆さんの参加費のみで運営、と云うよりも、 チマチマ節約して切り盛りしている本大会にとって、この金額は相当に大き過ぎます。これでは大会自体がbankruptcyになってしまいます。

結局、 近ツリと折半する ことになりました。大企業である近ツリとKFCとでは経済面で月とスッポンほどの違いがあります。例え、 支払いが半額になったと云えども、 いちトライアスロンクラブにとっては大きなダメージです。

このダメージを契機と捉え、毎年値上がりを続けているツアー代金を心苦しく感じており、それを抑えるためにも、来年以降、 ロタへのアクセス手段(ツアーのあり様)を根本的に変更することにしました。”3人寄れば文殊の知恵”、近ツリ一社だけでなく、 他の旅行社にも相談してベストの手段を探したいと思っています。

【ロタ・コーヒー・プロジェクト】

トライアスロンとは直接関係ないのですが、ロタに到着した翌日と離れる前日の2日間を今年4月に作った ロタ・コーヒー農園(KFC Friendship Coffee Farm)の世話に 充てました。 敷地面積は約300坪です。この程度が、我々が無理なく世話のできる広さです。

その場所は高台にあり、眼下には海抜1万mのマリアナ海溝が横たわる濃いブルーの太平洋を臨むと云う最高のロケーションです。 条件が揃えば、遠くにグアム島を見ることができます。

この農園には約100本のコーヒーを 植えることができます。現在は30本ほど植わっています。年内に苗木に水を供給するための水道を引き、来年中には、さらに60本ほどを 植え増しする予定にしています。収穫は2年後くらいからぼちぼち始まると思います。

因みに、これらの苗木は、かつて、この島が日本の領土だった時代、ここへ移住して暮らしていた日本人が持ち込み、栽培していたものです。

それが太平洋戦争敗退で日本人が引き上げた後、野生化して、ロタのジャングルの中で60数年の長きをひっそり生き延びたものです。 このような壮絶なストーリーを持つコーヒー苗木なのです。だから、陽の目を見せてやりたいとも思っています。 いずれは参加賞として選手の皆さんにもお配りしたいと思っています。きっとロタの味?がして、美味しい と思います。種は世界で最もポピュラーなアラビカ種です。

また、この度、原さんが4月に作ってくれた農園の看板に、 鍛鉄文化の本場ヨーロッパでもそのセンスを認められている 西田光男さんがお洒落なコーヒーの 鍛鉄アート作品を持って来て、取り付けてくれました。

このコーヒー農園は自分たちが飲むためと、ロタ島民にちょっとした刺激を与えるキッカケにできれば、と考えています。もし、 我々のコーヒー農園で収穫したコーヒーをロタ空港でお土産として売ることができれば、それを機に他の農地でもコーヒーを 栽培する島民が 現れるはずです。

チャモロ人は元来“百聞は一見に如かず”の民族で、言葉の説明よりも、実際に見せれば、 放っておいても動く民族なのです。 これと云って産業のないロタ島。長引く経済不況に苦しむロタ島。そのロタ島がコーヒーのちょっとした産地になれば、しっかりした 経済基盤ができるのでは、と願っています。

かつて、ロタ島だけでなく北マリアナ諸島(サイパン・ロタ・テニアン)で日本人(企業)が成功した事例はほとんどありません。 投資家の間では「ビーチの白砂におカネが吸い込まれて行く」と言われているくらいです。

でも、 ほとんど資本を投下しない(と云うより、できない)我々KFCなら、何とかできるかも知れない、と思っています。 ダメ元で、ちょっと仕掛けてみようと思っています。捲土重来(けんどちょうらい)を願って。

【レポート・フォト】
【Special Thanks】

MVA / Rota Resort & Country Club / SIRENA / Mark Michael / RUBIN / Blue Palms / Aqua Gift Shop/ Bay Breeze Restaurant & Bar / JSBM / TRI-SPORTS / PAGE ONE / System Clinic

写真:小野口健太 舘岡正俊 SIRENA